遊びの法則と、日本中に溢れかえる愛着障害の子ども等岡田尊司さんと教育改革 改訂版 岡田尊司さん。『愛着障害』や『発達障害と呼ばないで』など、毎月一冊くらいのペースで本を出しているのじゃないののか......
いけないと解っていても,ついつい,ということがあります。貧乏性のせいでしょう。バイキング形式のホテルの朝食の話です。ついつい食べ過ぎてしまいます。やっぱり,心が弱いのかもしれませんね。
ご馳走様。
声には途轍もない力がある,ということに気づかせてくれたのは,福音館書店元社長の松井直さんです。声に途轍もない力があるのは,声が真実と心から結びついているから。そのことを教えていただいて,本当に感謝する気持ちでいっぱいです。
そのことをハッキリと私どもに伝えてくれているのが,『新約聖書』の4番目のイエス・キリスト物語「ヨハネによる福音書」です。その18節のそのくだりが出てきます。いつものように,前田護郎先生の翻訳を見ておきます。
「33ピラトはまた総督邸に入り、イエスを呼んでいった、「あなたはユダヤ人の王か」と。34イエスは答えられた、「自分からそういうのか、ほかの人々がわたしのことをあなたにそういったのか」と。35ピラトは答えた、「わたしがユダヤ人だというのか。あなたの民と大祭司があなたをわたしに引き渡したのだ。何をしたのか」と。36イエスは答えられた、「わが王国はこの世のものではない。もしわが王国がこの世のものであったら、わたしの手下はわたしをユダヤ人に渡すまいと戦ったろう。本当にわが王国はここにはない」と。37ピラトはいった、「それならやはり王なのか」と。イエスは答えられた、「あなたはわたしが王だといっている。わたしは真理について証するためにこの世に生まれ、そのためにこの世に来た。真理につくものは皆わが声を聞く」と。」
ヨハネは,この「真理」と言う言葉を特別な意味で使っていると,辞書には出ています。この場合,「真理」とは,イエス・キリストに示された「神の真実」であるそうです。「神の真実」,難しそうですね。でも,そんなに難しい話しでもありません。神様は,私どもひとりびとりを,その人ならではで生かしたいとお思いですからね。その線で考え,生きればいいのです。「神の真実」もそのことと考えて大過ありません。
自分らしく生きるためには,エリクソンや本田哲郎神父様が教えてくださっている様に,自分の感性に従って善い,と実感することがとっても大事になりますね。その感性が「声」となると言ったらいいのではないでしょうかね。
ですから,自分らしく生きるためには,その「声」を聴きとって,生かすことがなくては叶いません。そして,自分の「声」を聴き取って,初めて,人の「声」も聴き分けることができるんですよね。
ひとは,自分の「声」を聴きとった分,サイコセラピーでも,相手の「声」を聴きとることができるわけです。
自分の「声」も聴き取れずにいる者に,サイコセラピーは不可能だと,お分かりですね。
あなたも,自分の「声」にご馳走様でいてくださいね。
チアーズ cheers
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