岡田尊司さんと教育改革 改訂版岡田尊司さん。『愛着障害』や『発達障害と呼ばないで』など、毎月一冊くらいのペースで本を出しているのじゃないののかな? と思うほど、精力的に本を出しています。岡...
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.246の結論部は、昨日で翻訳終了しましたから、少し戻って、ブルース・ペリー教授が、発達トラウマ障害について触れているところを、今日から数ページ(pp.204-)ほど訳します。
アメリカ児童保護局(CPS)のケースワーカーといろんなセラピストは、ジェームズは反応性愛着障害(RAD)だと強く思いました(訳注:前の段落で、ジェームズの母親は、ジェームズは、「手に負えない」し、「いうことを聞かない」、「何度も家を飛び出し、走っている車に飛び下りようとした」などと証言している)。反応性愛着障害は、赤ちゃんの頃から、ネグレクト(訳注:母親が仕事や研究で、赤ちゃんの前にいる時間が少ない場合も立派なネグレクトです)に繰り返しあったり、あるいは、または、同時に、トラウマを負わされるようなことが繰り返しあった子ども等に下されることが多い診断です。レオンは、結局2人の女の子を殺したのですが、反応性愛着障害でした。反応性愛着障害の特色は、人の気持ちが分かりませんし、人と関わることが出来ません。また、人を思い通りに動かそうとしたり、反社会的な行動をとる場合もよくあることです。反応性愛着障害になるのは、赤ちゃんたちが、あんまりあやしてもらえなかった場合や、あんまり抱いてもらえなかった場合や、子育てする時に必要な触れ合いや気持ちに気配りが足りない場合です。人との関係を形作り、場の空気を読む脳の部分が、十分に発達しませんから、その脳の部分は、通常とは異なる脳神経の繋がりを作ってしまいます。その結果、健全な対人関係のやり取りの中から悦びを育てることもできません。
遊びのオジサンは、毎日子ども等と遊んでいます。どの小学校に行っても、鬼ごっこや、トランプや、縄跳びをなどする時でも、子ども等は、手に触ってきます、腰に手を回します、おんぶを求めてきます、腕にぶら下がりたがります、一緒に笑います…。子ども等は、誰に教えられずとも、自分の足りないものを遊びの中で補おうとします。それが、遊びの法則です。エリクソンに教えてもらった、遊びの法則です。
ブルース・ペリー教授が、(反応性)愛着障害になる場合として挙げている赤ちゃんの状態に、私が毎日であっている子ども等がしめす、足りないものとが、ぴったり重なりますでしょ。正確には,発達トラウマ障害の子どもたちです。
今の小学生、中学生、高校生、大学生…は、その半分くらいが、発達トラウマ障害だと言っても過言ではないでしょう。
いまこそ、発達トラウマ障害の子ども等の心理的支援を確立し、それを教育にも活かす時ですね。
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