現世考: 要注意! 眼には見えないミサイル謙虚な気持ちで、「研究室」に戻った方が良い 改訂版 子どもの貧困 №1 子どもの貧困について、今後何回か取り上げたいと思います。今日は......
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Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,Speciation and Ritualization 人間を上下に分けて見ること と 日常生活を礼拝にすること の p.78,第2パラグラフから。4訂版。
青年期に戻ることにしましょう。日々の礼拝に戻りましょう。しかし,ここからは,特別な儀式や日々の礼拝と,毎日の生活を礼拝にする習慣を区別したいと思います。毎日の生活を礼拝にする習慣は,第1に,人間らしい陽気で楽しいことを目に見える出来事にして,それを特別に値打ちのある本気と一体にします。これまでは,「儀式」と「礼拝」という言葉は、別々の場で、別々のことを表しましたし,その言葉の含みは,最高から最悪まで全てを表したはずです。精神病理学では,一人の人がする「手を洗う礼拝」について語る時,申し上げていることは,その人は,1人の歪んだ豊かさの中で,両手をごしごし洗って,両手がヒリヒリ痛むまで洗っても,本人は一向に手がきれいになった感じがしない,ということです。しかし,これは,礼拝という言葉の人類学的な意味とは,明らかに矛盾します。この人類学的意味で「礼拝」とは,畏敬を感じながら得られる不思議な自由と,心地よい礼拝の形と,いつでも心底感じる善さですから,この礼拝のおかげで,礼拝に預かった者は,畏敬を感じてスピリットを生きる心の習慣を創造するのです。
退屈な毎日,不安な毎日に「さようなら」して,日々を新鮮にして生きることを願う人には,傾聴に値するエリクソンからのプレゼントでしょう。
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