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けしからんことこの上なし の研究突き抜けた悦び 転移と逆転移の問題は、臨床の基本です。 p236の第3パラグラフ。 非常に広大で、難解な分野に入っていくのに必要な動機.........
聖書の中に、Θεραπεύω セラペウオー、と言う言葉が出てきます。セラピーの語源になっている言葉です。意味は、1)奉仕する、仕える、2)治療する、手当てする、などの意味があるそうです。
他方、以前ブログ「見る」力 : 聖書とサイコセラピーで、イエスの見る力には、人を癒す力があると申しました。見る力とは、この場合、見通す力であり、その見通しを現実にする力、実現する力がある、ということです。イエスが12人の弟子を召命したときのところを見ると、見る力には、物事を実現する力があることが解かります。
セラピストにも、そんな力があると良いのですが、果たしてどうでしょうか?
しかし、私は、セラピストにも、似たような「見る力」があるように思います。
それは、こういうことです。すなわち、セラピストが、クライアントの心の世界に、子どもの立場に近づき、そのクライアントの心の世界、子どもの立場から、「共に見る」時、相手のクライアントが、相手の子どもが、自分自身で立ち上がるのではないか、と私は考えますね。
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