言葉の力。
『旧約聖書』の「創世記」によれば、神様が最初にしたことは、言葉を話したことでした。最初の言葉は「光あれ」だったと言います。すると、光が出来たと言います。神様の言葉には、≪出来事≫を生み出す力があります。
最近のニッポンの状況ですと、ウソとゴマカシだらけでしょ。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちにような人たちは、言ってることは、日本市民を騙すことばかりですから、言葉は人を欺くものだと言う方が当然になっています。東電、東芝、東洋ゴム、西武学園、三井不動産レジデンシャル、化血研(化学及血清療法研究所)…、キリがありませんが、言ってることとやってることが真逆でしょ。ウソとゴマカシが言葉の目的と考える方が自然みたいな時代です。
しかし、本来の≪約束≫の言葉は、神様の言葉と同様、≪出来事≫を生み出す言葉です。日本語でも、信じるとは、「人が言う言葉」という漢字「信」から出来ていますし、 「言霊」というものがある位ですから、今の時代状況の方が「狂気」なのであって、やはり、言葉は≪出来事≫になるものだ、と言う考えが、もともとありましたよね。
しかし、この≪出来事≫になる言葉は、「頭で理解する言葉」ではありません。 「心で感じる言葉」、「身体で生きてみる言葉」です。言葉を換えれば、≪出来事≫になる言葉は、客観的真理を伝える言葉ではなくて、人格的真理をもたらす言葉です。
子どもは、不思議なことですが、この≪出来事≫になる言葉に敏感です。この≪出来事≫になる言葉は、人を育てる言葉だからでしょう。育つと言っても、その根っこには、いつでも信頼が必要でしょ。≪出来事≫になる言葉ほど、信頼に値する言葉はないのですからね。
子どもが育たない、と嘆いているお父さん、お母さん。ぜひ、自分が≪出来事≫になる言葉を生きているのか?と自分に問うてみてください。すると、 「なんでうちの子は育たないのか?」かが、ハッキリ分かりますよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます