眼に見えるモノに目暗ましを喰らっている内は、人を大事にすることに注ぐべき精力が0ってことにもなりかねません。
p5最後の行から。
お金や特権を稼げるモノだけが、学ぶに値すると考えて、魂だけには利益をもたらすけれども、現代的な意味では価値がない、人を大事にするは、多大な勢力を注ぐに値しないぜいたく品だ、ということがありえるでしょうか?しかし、これこそ、これから各章において、人を大事にする技術を議論することなのかもしれません。第1に、人を大事にする技術について論じます。そして、これこそこの小著のかなりの部分を占めます。第2に、人を大事にすることを実践することを論じます。実践について語ることができることは、他の分野と同様、ほとんどないのですね。
実用主義の時代、功利主義の時代、自己中心の時代です。お金になることを論じることはあっても、一銭の金にもならない、人を大事にすることは、論じられることも、ましてや、実践することもほとんどない時代。フロムは敢えて、そこを論じようとしたんですね。このこと自体が、時代に挑戦するパレーシアでしたね。
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