Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

My First Try

2006-05-11 13:15:14 | windsurfin'


初めてウエーブボードを手にしたのは30歳になるかならないかのころだったかな。
JFボードといって日本ウインドサーフィンセンターのオリジナルで青の迷彩カラーだった。
セイルはHOTのグリッドロック4.5だった。浮かべたのが検見川。
進まないどころか立てなかった。立った瞬間板が沈むんだ。いきなり水吸ったのかと思った。
自分にガッカリした。道具にもガッカリした。風はビュービュー、気持ちはトホホ。
オレにウエーブは合わないな、と思った。トホホ。
大量の海水を飲み、ありとあらゆる身体の穴に砂が入った。
何故乗れないか不思議でしょうがなかった。

だいたい今は恵まれているよ。
今の初心者はダガーなしのワイドボードに乗れるから、ウエーブボードに楽に移行できる。
昔はオールラウンドから280のスラ板に移るのですら、とても勇気がいるものだった。
悩みに悩んでウインドサーフィンハワイの280を買ったものだった。

その初ウエーブのとき、周囲はジャンプしたり波に乗ってて、それはそれは神技に見えたものだ。
あらゆる人が師匠に見えた。オレはとにかく波のある海が怖くて仕方なかった。

オレはそれ以降、三浦と本栖湖オンリーになった。
御前崎なんてM78星雲にあるくらい遠いものだった
三浦なんか4台の風は滅多に吹かない。5.0~7.3のカム入りセイルでカッ飛んでた。
やがてつまらなくなってきた。レースしてるわけでもないし、フラットは楽しくない。
ウエーブボードは乗ったけど所詮フラットで乗っただけ。

でもどうしても波乗りウエーブがしたかった。
かっこよすぎるし、どう見ても楽しそうだった。

一大決心した。ウエーブしかできないところに住めばやらざるを得ないだろう、と。
で、茅ケ崎にやってきた。

進まないウエーブボードを処分してナッシュのクラークにした。トライフィンだ。
最初の初茅ケ崎は5.0南西だったよ。
最初は、ふざけるな!というくいらいびびった。アウトで足がガクガクするなんてオレくらいだろうよ。
セイル落としたらもうなかなか上がらない。上がったとたん前に飛ばされる。
胸のカラータイマーが赤色に変わるんだ。
オレはできないことが大嫌いだ。標準より劣ることがあったら許せない。

何回か通って、すぐにコツを掴んだ。
それはリラックスすることだった。それだけだった。
ジャイブのときは必ず声を出した。声を出すと息を止めないですんだ。息を止めると力んじゃうんだ。
それとアウトでは、しゃべりながら乗った。
『ひぇ~、オーバー、オーバー、どこでジャイブしよっかなー、よっしゃー次のウネリじゃー!3.2.1 どりゃーっ!』
こんな感じだ。今考えると笑えるけど、いかに海面で冷静でいられるかが課題だったんだ。
それほどイッパイイッパイになったんだ。

当時あまりのオーバーでゼイゼイ言ってビーチに上がると、
ローカル連中が(オレもローカルなんだけどな)、ちょっと風足りないな、なんて言ってる。
セイルを見ると同じサイズ。こいつら絶対ウソついてると思った。ドーピングでもしてんのか?なんてね。

南西の季節が終わり初めての大西のパークを見てオレは腰を抜かしそうになった。
冬なのに海が沸騰してるじゃありませんか!
1往復の繰り返ししかできず、浜では腕組み状態で地蔵化してしまう。浜地蔵。。。よくいますな。
ノリゾーがいて、オイラは彼にそっと聞いた。『イッパイ、イッパイ?』
すると彼はあたりに聞こえる大声で『いや~、イッパイイッパイ!!!』と答えた。

なーんだ、みんなイッパイイッパイなのか!楽になった。
海上では楽ではないけど、心構えが楽になった。
それからオイラは海上ではニコヤカにすることにした。
念ずれば火もまた涼し、そのコンディションで自分がどういう精神状態かが鍵なんだ。

ウエーブはテクニックどうのこうのじゃない。回ろうが飛ぼうが所詮素人レベル。
その海面で安全に楽しく乗ることが最優先。
だからオイラは仲間がイッパイイッパイにならないように、すれ違うときは奇声を上げるのさ!
特にハードな日はね!

そうやって少しずつ階段を登ってきました。
オイラ思うに、歩行ができればウエーブはできると思う。
ウインドの一つ一つの動作は歩行よりも遅いんだよ。
リッピングですらスプレーは派手だけど動作は大した事ないでしょ。
精神の状態だけですよ。それも慣れるんだよね。必ず。
やらなければ慣れないし、慣れないことには先へ進まない。
案外簡単かもよ。海に出るか出ないか。それだけだ。出ない理由はどこ探してもないよね。