AIRWORK日記

愛知県渥美半島の パラグライダー&ハンググライダースクール 「エアワーク」の日記です。

なかなか上手く飛びますね

2005年09月20日 | 仕事
 起床…ちょっと疲れている。スクールでの活動中に、もっと水分補給をした方が良いかな? 甘くないスポーツドリンクってないのかな。水や麦茶みたいに飲みやすいとイイんだけどな。
北西の風なので衣笠へ。弱めの風に終始しましたが、それでもIさんMさんともに、テイクオフ上空だけの狭い空域でなんとかソアリング。これぐらい弱い風でソアリングできるなら、かなり上手だということですね。
 でも、斜面にかなり近い空域で、しかも2機以上飛んでいると、風下側の機体が後流をくらって山沈しないかとか、空中接触しないかとか心配になって、私は無線機で注意点を伝えながら、二人が飛んでいる間だずっと目で追い続けることになり、首がとっても疲れてしまいます(^_^)
 本日はパラ輸入元O社のK君が立ち寄ってくれました。本当は「Kさん」と呼ぶべきなのですが、彼が学生だった頃からの付き合いなので、どうしてもクンと言ってしまい、イカンことですね。第三者がそばにいる時は、注意してKさんと呼ぶのですが。
 私は、スクールに新しく入った練習生のかたなどから、始めのうちは「桑原」という苗字で呼んでもらえるのですが、古い付き合いの人たちの多くが私のことを「誠」という名前の方で呼ぶので、いつのまにか苗字が自然消滅。いえ、べつに、イヤではありませんが、なんか、中年男性が名前で呼ばれているのは、客観的にみるとキモイことではないのか?…。でも、たまに勘違いして、私のことを先生と呼ぶ人がいるので、それだけはやめてくれるようにお願いするんですけどね。

鳥人間コンテスト

2005年09月20日 | 家庭
 先ほどまでテレビで「鳥人間コンテスト」を観てました。
 1978年の第2回大会と、1987年の第11回大会に私も参加しました。
 第2回大会は、パイロットとして参加した、今では故人となってしまった私の師匠のサポートのため。第11回大会は、私と同期のハングフライヤー、Iくんのプロジェクト(「X」ではないけど)で参加しました。
 第2回大会の成績は、残念ながら10位。第11回大会の、女性部門(パイロットが女性)では2位という結果でした。
 87年の大会では、その当時のクラブメンバーで機体の製作からスタート。
半年ほどの時間をかけて、主に週末の時間を使って皆で機体を製作。夕方から始めて、ときに深夜まで製作現場の格納庫に集まって機体を手作りしました。設計者のIくんの指示に従い、それぞれが、自分の持つ後術でやれる作業をして、機体完成のため、ホントに全員で努力しました。
 大会の日程が迫ると、皆、ほとんど徹夜での作業です。開催会場の琵琶湖まで機体を積んだ車を運転して、またも徹夜で機体を組み立てて本番にのぞみ…
 楽しかったな。もう、あんなこと、今ではできないと思うけど。
 あの頃、いっしょに機体を作った皆に、また会いたいな。私といっしょにハンググライダーの練習をしていた同期の人はいなくなりました。
 格言。「後輩が増えることはあっても、先輩と同期は減っていくだけだぞ!」…納得です、ホントにそうです。
 私といっしょにスクールでハングを始めた同期の人は、皆さん飛ぶのをやめてしまって人数ゼロ。先輩は唯一、K師匠一人だけです。
 お~い、同期のみんな、もうそろそろ子育ても終わったでしょう? みんながオジサンになって体力も運動神経も失っているのは判る。でも、今では「パラグライダー」という、とてもやさしいスカイスポーツがあるぞ! 性能も昔のハングより良いぞ! 頼むから復帰して、また私といっしょに遊んでくれないか!?