AIRWORK日記

愛知県渥美半島の パラグライダー&ハンググライダースクール 「エアワーク」の日記です。

ありがとうございました

2012年05月18日 | 仕事


 高塚は、地主であるAさんご家族の好意により、フライトエリアとして長年にわたり私達が飛ぶことを許していただいています。もともとは今から35年以上も前、私の先輩にあたる少数のハング愛好家の皆さんが、高塚の地形を見てハングが飛ぶのに適していると判り、先代の地主さんに現在のテイクオフ地点を使わせてもらえるようお願いし、地主さんのご理解を得ることがかなって飛べるようになったエリアです。エリアができて正確には35年なのか38年なのか判りませんが、日本でも一番長く続いている部類のフライトエリアであることには間違いないと思います。

 私が飛ぶようになった頃はまだ、地主さんの許しを得てエリアを開拓した中心になるメンバーの、いまの私から思えばずいぶんと歳若い先輩がたがいましたが、やがて数年後には皆さんやめていってしまうことになりました。先輩方にはとても長い間お世話になったように感じていましたが、いま思えば先輩方はほんの数年だけ、3年~5年ほどだけハングをやった後、それぞれの事情がありやめていってしまったわけです。
 あの頃のハングはスポーツというより危険なアドベンチャーと人から見られていた(と思います。いまもかな?)ので、きっとやめていった皆さんは、ご家族からの反対とか、仕事が忙しくて暇がとれないとか、結婚することになったからとか、子どもができたからとか、そういった様々な事情があってやめていったのだといまは想像しています。日本で最初のハングの死亡事故者は、その頃におきた名古屋の若者の出来事でしたし、そのすぐ後にはお隣の岐阜県のかたも亡くなりましたし、そういう出来事も影響していたのかもしれません。
 中心メンバーの一人であるHさんは最後にお会いしたとき私に、「俺もやめることになったから、これからはマコトちゃんたちが地主さんとの付き合いもちゃんとして、ここがずっと皆で飛べるように頑張ってくれ」といった事を言い残して去っていかれました。
 ん~、そんなこと言われても、他の人はともかく、私なんてまだ二十歳そこそこの小僧だし、ひどい人見知りだし、大人の人と上手く話したり、常識的な人付き合いもできないし、そんなボクにいったいどうしろと。まっ、いいか、最年少の私よりもしっかりした年上の皆さんが他にいることだし、私は後ろの方に隠れてコソコソと目立たぬようにしておけば…とか思っていました。だって、最初に地主さんに会ったときはまだ十代だったし、地主さんがすごくお爺さんに見えて、何を話せばいいのか判らないし、なんだか怖かったですし、正直、こちらから話しかけることなんてできませんでした。私はお会いするとペコッと頭を下げ、地主さんは「おうっ」と片手を挙げて応えるだけ。幸いにも先代の地主さんはとても寛容なかたで、黙礼だけで済ませていつもササッと逃げるように歩いて行ってしまう私のような失礼な者にも暖かい笑顔を向けてくださるのでした。
 あるとき、いつものように黙礼して通り過ぎようとする私に、珍しく地主さんのほうから話しかけてきてくださいました。んー、困った、何かマズイことしちゃったかな、怒られるのかなと緊張しながら私が声を出すと、地主さんは一瞬驚いた顔になり、直後に大笑いして「男だったのか!」と一言。当時の私は長髪のうえに美形だったので(すいません、長髪は本当ですがウソつきました)、てっきり地主さんは『女の子が空なんか飛んで危なくないのか?』と思っていたそうです。でも、そのインパクト(?)のおかげか、地主さんに「桑原くん」という名前を憶えていただけたし、私も緊張がとれてそれからは普通にお話しできるようになったのでした。 
 しかし、ある頃から地主さんは私を名前では呼ばなくなり、笑顔は変わらないけど話してくださることの意味がよく判らないということが多くなってきました。なんだろう、どうしちゃったんだ? のちに奥さんからうかがったのですが、残念なことに認知症が徐々に進みつつあるということなのでした。
 そして13年ほど前の冬のある日、徘徊もするようになっていた地主さんは行方不明になり、再びご自宅へ帰ることはなかったのでした。近隣の住民や警察・消防も出て捜索したそうですが見つからず、冬の間は高塚に行かない私たちがそれを知ったのは春になってからでした。
 現在の地主さんである息子さんからは、「あんた達が森に入った時に、もし(遺体を)見つけたら教えてくれ」と言われましたが、すでに大勢の住民・消防・警察が広範囲を捜索しても見つからなかったのに、たまに山沈の回収で森に分け入っていくだけの私達が地主さんを見つけるわけもありません。

 昨日スクールで高塚へ行くと、年月を経て死亡認定も降りたので、身体は見つからないままだけど先代の葬儀を明日行うとしらされました。ちょっと待って地主さん、なんでもっと早く言ってくれないの、明日は平日だし、もっと早く予定を伝えないと、私の仲間は参列できないじゃないですか・・・って、でも、よく考えたら先代を知っている人はもう仲間にはほとんどいないな、他には浜松のK師匠ぐらいなのかな。ならば、私だけでも皆の代わりとして参列すれば、きっと先代も許してくださるかな・・・ということで本日は葬儀へ行き、付き合いの良い豊川のAさんも来てくださったので二人で参列。
 この地域は神道の家が多いようで、今日の先代の葬儀も神式で営まれましたが、私は神式は初めてなので作法から何から珍しく感じることばかり。でも、とても立派な良い葬儀で、参列させていただきよかったと思っています。
 現在の地主さんご家族はもちろんですが、先代には本当にお世話になりました、いまも私達が楽しく高塚を飛び続けていられるのはあなたのおかげと感謝しています、本当にありがとうございました。