土佐レッドアイ

アカメ釣りのパイオニアクラブ

「講演要旨とプロフィール(3) 田中正晴さん」

2010-09-13 19:54:00 | アカメ釣り大会

新堀川を壊すより、より良い環境に-06.4.18 新堀川を守る会、県に陳情=陳情書を読み上げる田中正晴さん(左手前)。

  第二回アカメフォーラムでの講演要旨と講師のプロフィールをご紹介します。

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   浦戸湾と浦戸湾を守る会

              浦戸湾を守る会事務局長 田中正晴

 前史
江戸時代、酒を市中で飲むことを禁じられた庶民は、浦戸湾に船を浮かべて酒を飲んだ。昭和期には「スボラ狩り」というボラ漁も行われていた。秋になると帆傘舟が湾内で行きかい、ニロギを釣る光景は風物詩であった。1948年にはブリの大群が湾に迷い込み、一人で5本も釣り上げたこともあった。1958年までの高知大学による浦戸湾の魚類調査では194種が記録された。

 浦戸湾の埋め立て
しかし、1951年、高知パルプが操業を開始して、工業排水を江ノ口川を通じて浦戸湾に流し始めた。1960年、高知県は湾の東側と西側を埋めて臨海工業地帯の造成を発表。1963年までに湾の東側124万平米を埋め立てた。この埋め立てに市民は「浦戸湾を守る会」を結成し、強力な反対運動を行い、西側の埋め立て計画は当初の12分の一にまで縮小させた。高知大学の沢村教授は1963年、埋め立てによる湾内の潮位の上昇を警告した。1970年8月の10号台風により高潮が起き、はりまや橋が1mもつかった。これは浦戸湾埋め立てのために起きたということとなり、西側の埋め立ては休止された。

 高知パルプ生コン事件
その後守る会は、高知パルプの排水による公害問題に運動をシフトさせた。このころには浦戸湾は、この工場からの硫化水素を含む日量1万3千トンの排水に汚染され、赤茶けた排水に染まっていた。県市立会いのもと高知パルプと3度交渉して、1972年12月をめどに移転することを約束させたが、1ヶ月半後、会社側は移転はしない、操業は続ける、守る会とは会談を拒否すると通告してきた。守る会は実力行使を決意。1971年6月9日未明、高知パルプの排水管に生コン6トンを投入、操業を止めた。会社は廃業した。しかし検察は山崎圭次会長と坂本九郎事務局長を威力業務妨害罪で起訴した。判決は罰金5万円の有罪判決であった。

 その後の浦戸湾と守る会
浦戸湾は、2008年までの高知大学の魚類調査で187種を記録、浦戸湾は汚染以前に回復した。守る会は1992年、城西公園に江ノ口川浄化祈念碑を建設した。2001年浦戸湾西灘で、県が湾を埋め立てて公園と駐車場を作る計画が露見したが、守る会は埋め立てを中止させた。現在は新堀川を暗渠にして道路を作る計画に、コアマモ・アカメ・シオマネキなどの希少種の生息地及び、周辺の幕末・明治の史跡といった自然と歴史・文化を生かした街づくりを対案にして、道路反対運動を展開中である。

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     プロフィール

田中正晴
1952年山口県生まれ
1970年大阪府立春日丘高等学校卒業
1976年高知大学農学部森林科学科卒業
有限会社役員

日本野鳥の会高知幹事
山地酪農を愛する会事務局長
高知酸性雨を測る会事務局長
浦戸湾を守る会事務局長

趣味 高知県の鳥類相の研究

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 私事の余談ですが、いま、私たちは浦戸湾でアカメなどの釣りがたのしめています。

 生コン事件が起こる以前の、コーヒー色の浦戸湾、鼻をつまむ浦戸湾を知っている私たちは、こうした市民運動のおかげで「奇跡の海」とよばれる海によみがえったことを忘れることは出来ません。
 
 知らない若い世代は、どうして「奇跡の海」なのか、ぜひこの機会に知ってほしいと思います。