あきじの気まぐれ日記Ⅱ

「あきじ」が日頃、撮影した鉄道・バス・船など
様々な写真などを紹介して行きたいと思います。

レストハウス見学

2017年12月15日 | この世界の片隅に
前回の続きですが、今回は平和公園内の被爆建物「レストハウス」で行われた
「オープンハウス」で撮影した室内の画像など紹介したいと思います。

レストハウス (旧大正屋呉服店) ※平成29年2月5日撮影

「レストハウス」を簡単に紹介
昭和4年2月に中島本町(当時の町名)に「大正屋呉服店」として建てられ、
戦時中の昭和18年には広島県燃料配給統制組合が取得し、
燃料会館と呼ばれていました。
昭和20年8月6日は爆心地からたったの170mの位置といことで被爆しましたが、
鉄筋コンクリート建てであったため、建物は残りました。
被爆当日は37名の職員が勤務しており、たまたま地下に下りていた職員1名を除いて
全員が亡くなりました。
その人とは、広島県燃料配給統制組合の野村英三さん(当時47才)で84歳で他界
現在は「レストハウス」として1階が観光案内所、土産物なども扱う売店と
休憩所があります。
地下室はそのままで保存されています。


2階へ上がる階段

2階から3階へ上がる途中にある窓

2階から3階へ
階段の手すりや壁は塗られていますが、当時のままの様です。

※広島観光コンベンションビューロ、広島フィルム・コミッションの事務所が有る為、
普段は2階と3階は見学できません。

事前に予約して申し込むと地下室のみ見学が出来ます。
「オープンハウス」の後、知り合いが1階の観光案内所で聞いてみると
飛び込みでも地下室を見学出来る様です。
折角の機会ですから、地下室を見学しました。
以前から地下室は見学できることは知っていましたが、見学するのは初めて。

観光案内所の方に案内されて入口へ

地下室に向かう階段を地下室側から撮影

1階から地下に降りるところにはボイラーかポンプが有りました。
そのままのようですね。

地下室入って真正面と左側はコンクリートで覆われている。

当時は窓は無かった様です。
地下室は修学旅行生も見学に訪れているので折鶴が供えられています。

小さな倉庫?もありました。

地下室入って右側は木板が張られていました。

木板が張られている奥には古井戸がありました。
危険なため立入禁止になっていたようです。

天井の電球の傘もそのまま

柱にはコンクリートで固められている部分はありますが、
地下室はレンガ積みの柱だったようです。

足元には溝が掘ってありました。排水路ですかね。

ブロックの壁の下は当時の石積みの基礎らしきものが残ってました。

地下室から出る時に気が付いたが、変わった形をしたドアでした。

初めてレストハウスの地下室を見学しましたが、色々な発見もあり
見学して良かったと思います。

レストハウスの地下室の見学できることは大きくアピールしていないので
平和公園に訪れる人は見過ごす方も多いと思います。
現地へ行かれる機会があれば、ぜひ地下室にも入って貰いたいです。