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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-13

Vol.-12からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。


■ 第38番 神霊山 慈眼寺 金乗院
(こんじょういん)
豊島区高田2-12-39
真言宗豊山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩
他札所:
〔金乗院〕
江戸八十八ヶ所霊場第38番、江戸三十三観音札所第14番、山の手三十三観音霊場第9番、近世江戸三十三観音霊場[1] 第14番
〔新長谷寺〕
江戸八十八ヶ所霊場第54番、江戸五色不動(目白不動尊)、関東三十六不動霊場第14番、東京三十三観音霊場第23番、近世江戸三十三観音霊場[1] 第16番
司元別当:此花咲耶姫社など
授与所:庫裡

第38番札所の金乗院は、第54番札所の目白不動堂(東豊山 浄滝院 新長谷寺)を合寺したので、現在、金乗院が第38番、第54番のふたつの札所の御朱印を授与されています。
この記事では第54番札所の目白不動堂(東豊山 浄滝院 新長谷寺)もとりあげ、第54番ではこの記事を再掲します。
(なお、本記事は「江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 3.目白不動尊」から転載・追記したものです。)

第38番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに金乗院なので、御府内霊場開創時から一貫して下高田砂り場の金乗院であったとみられます。

下記史料、寺伝・縁起書、山内掲示、『ルートガイド』および『関東三十六不動霊場ガイドブック』などから縁起・沿革を追ってみます。

金乗院は天正年間(1573-1592年)、開山永順が御本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を建立したのが草創といいます。
当初は蓮花山 金乗院と号し中野寶仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山 金乗院 慈眼寺と号を改め、音羽護国寺の末寺となりました。

御本尊は正観世音菩薩(伝・眦首羯摩作、運慶の作とも)。
山内に荒神を合殿する観音堂、御嶽社、辨天社、三峯社などを置き、江戸時代には旧砂利場村の此花咲耶姫社をはじめ社地三、四ヶ所の別当でしたが、昭和20年4月の戦災で本堂などの伽藍、水戸光圀公揮毫とされる此花咲耶姫の額などの宝物を焼失しました。

戦災で全焼した関口駒井町の新長谷寺(目白不動尊)を合併し、新長谷寺の札所も金乗院に移動しています。

明治初期の神仏分離を乗り切ったふたつの札所のうち一方が戦災で全焼して、一方に合寺されたという比較的めずらしい例です。

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第54番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに新長谷寺(目白不動尊)なので、御府内霊場開創時から一貫して関口駒井町の新長谷寺(目白不動尊)であったとみられます。

下記史料、寺伝・縁起書、山内掲示、『ルートガイド』および『関東三十六不動霊場ガイドブック』などから縁起・沿革を追ってみます。

目白不動堂(東豊山 浄滝院 新長谷寺)は、元和四年(1618年)大和長谷寺代世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(現・文京区関口、金乗院から東に約1㎞)にありました。

『江戸切絵図(小日向絵図)』をみると、江戸川橋から目白台にのぼる目白坂沿い北側に永泉寺、養国寺、八幡宮(正八幡神社)と並び、その南側神田川寄りに目白不動尊があったことがわかります。

目白不動堂奉安の不動尊は高さ八寸、「断臂不動明王」といい、弘法大師の御作と伝わります。

縁起によると、弘法大師が唐より御帰朝の後、出羽羽黒山に参籠されたとき大日如来が現れてたちまち不動明王のお姿に変じました。
大師に告げるには「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為の穢火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」と。
不動尊は利剣をもってみずから左の御臂を切られると、霊火が盛んに燃え出でて仏身に満ちあふれました。
大師はこの御影を二体謹刻され、一体は出羽国の荒沢に安置され、もう一体は大師みずから護持されたと伝わります。

後年、野州足利の沙門某が大師護持の不動尊を奉持していましたが、武蔵国関口の松村氏が霊夢を得て足利よりお遷しし、領主の渡辺岩見守より関口台の一画に土地の寄進を受けて一宇を建立したのが本寺の濫觴(らんしょう/はじまりのこと)とされます。

元和四年(1618年)、大和長谷寺小池坊秀算僧正が中興、徳川2代将軍秀忠公の命により堂塔伽藍を建立。
大和長谷寺から御本尊と同木同作の十一面観世音菩薩像を御遷ししてその直末となり、東叡山 浄滝院 新長谷寺と号しました。

寛永年間(1624-1644年)、3代将軍家光公は当山の断臂不動明王に「目白」の号を贈り、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)のひとつとして、また、江戸三不動の代一位として名を高め、人々の篤い信仰を受けました。
ことに護身、厄除け眼病治癒の不動尊として霊験あらたかとされます。

元禄年間(1688-1704年)には、5代将軍綱吉公とその母桂昌院が深く帰依してさらに伽藍を整え、寺容は壮麗を極めたと伝わります。

境内は堰口の流れを見下ろす高台の景勝地で、付近には茶肆、割烹などの店が出て、ことに月雪景の名所であったようです。
その佳景は、『東京名所四十八景 関口目しろ不動』 (慶應義塾大学メディアセンターDC)からも偲ぶことができます。

昭和20年5月の戦災で焼失したため金乗院に合併、御本尊の目白不動明王像は関口から金乗院に遷られました。

ふたつの名刹が合併した金乗院は今日も複数のメジャー霊場の札所であり、多くの参拝客を集めています。
また、当寺住職の小野塚幾澄大僧正は、平成20年から平成24年まで真言宗豊山派管長・長谷寺化主に就任されています。

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【史料】
【金乗院関連】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
三十八番
砂り場
神霊山 金乗院
中野村宝仙寺末 新義
本尊:千手観音 興教大師 弘法大師

『新編武蔵風土記稿 巻之12 豊島郡之4』(国立国会図書館)
(下高田村)金乗院
新義真言宗多磨郡中野村寶仙寺末、神靈山観音院ト號ス 本尊正観音長一寸八分眦首羯摩作 開山永順文禄三年(1594念)六月四日寂 御嶽社 辨天社 三峯社 観音堂/荒神ヲ合殿トス 観音ハ木ノ立像長三尺運慶ノ作ト云


「金乗院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


「宿坂関旧址 金乗院 観音堂」/原典:斎藤長秋 編 ほか『江戸名所図会』十二,博文館,1893.12.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』音羽絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

【新長谷寺関連】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十四番
関口駒井町
東豊山 海瀧院 新長谷寺
紀州初瀬小池坊末 新義
本尊:十一面観世音菩薩 本社目白不動明王 弘法大師

『江戸名所図会. 十二』(国立国会図書館)
目白不動堂 同所東の方にありて堰口の涯に臨む真言宗にして東豊山新長谷寺と号す
長谷小池坊の宿寺とす
本尊不動明王の霊像は長八寸弘法大師の作 総門の額東豊山の三大字ハ南岳悦山の筆
縁起云弘法大師唐より帰朝の後 羽州湯殿山に参籠ありし時 大日如来忽然と不動明王の姿に変現し滝の下に現ハれ●● 大師に告て云く此地ハ諸佛内證秘密の浄土なれハ有為の穢土をきらえり 故に凡夫登山することかたし 今汝に無漏の上火をあたふべしと宣ひ持ちし●●●の利劍をもって左の御臂を切●●ハ、霊火盛に燃出でて佛身に充てり 依て大使面前に出現の像二躯を模刻し一躰ハ同國荒澤に安置し 一躰ハ大師自ら護持なしたまふ
その後野州足利に住せる沙門某之を感得し●奉持せしに一年 霊感あるを以て此地の住人松村氏某に●かりつひに一宇を開きて此本尊を移し安置なし奉ると
当寺元和四年和州長谷小池坊秀算僧正中興ありし頃 大将軍台徳公の厳命により堂塔坊舎御建立あり
また和州長谷寺の本尊と同木同作の十一面観世音の像をうつし新長谷寺と改む
大将軍大猷公目白の号を賜ひ 元禄の始にハ桂昌一位尼公御帰依浅からす諸堂修理を加へたまひ丈余●地蔵尊等を安置なさしめられたり
此地麓●●堰口の流を帯ひ 水流そうそうとして日夜不絶 早稲田の村落高田の森林を望む風光の地なり 境内貸食亭多く何れも涯に臨めり

また、『寺社書上(御府内備考). [61] 関口寺社書上』(国立国会図書館)および『御府内寺社書上P.134』
新義真言宗
和州長谷小池坊末
目白不動尊別当
東豊山 新長谷寺 海瀧院
本堂
 本尊不動尊 弘法大師御作 秘佛
 開帳佛不動 木立像
 前立不動 木座像 四大明王ニ童附各立像
不動堂本殿 桂昌院御建立別堂
 地蔵尊木立像
 不動木立像 良弁僧都作
 聖徳大師木立像
 七曜佛木立像 運慶作
 庚申佛木立像
 疱瘡神木立像
 愛染明王木像
 大日如来木像 聖徳太子作
 毘沙門木像
 弁財天木像 竹生嶋写し
観音堂
 本尊十一面木立像 行基菩薩作 開山秀算僧正勧請
 前立観音木立像
 与森天神木座像
 興教大師木像
 弘法大師木像 伊豫國延命寺写しニテ五十四番札所
 開山秀算僧正木像
 子安地蔵尊金立像
 如意輪観音木像
 弥陀木座像
 聖天金像
末社
 稲荷社、秋葉社、人丸社
唐金地蔵尊 濡佛

『東京名所図会』(国立国会図書館)
目白不動堂は同所東の方にあり堰口の涯に臨む真言宗にして東豊山新長谷寺と號す 本尊不動明王は弘法大師の作なり 当寺は元和年間(1615-1624年)和州長谷の小池坊秀算僧正中興ありしより将軍家の厳命にて堂塔伽藍建立あり 後ち桂昌院尼公諸堂に修理を加えられ頗る荘厳を極めたり 境内眺望佳絶にして茶肆割烹店等多し 冬月雪景最も宜しと云ふ


「新長谷寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)


「目白不動堂」/原典:斎藤長秋 編 ほか『江戸名所図会』十二,博文館,1893.12.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』小日向絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはメトロ・都電荒川線「雑司ヶ谷」駅か都電荒川線「学習院下」駅ですが、道行きの風情は「雑司ヶ谷」駅ルートの方があると思うので、こちらをご紹介。

メトロ・都電荒川線「雑司ヶ谷」駅3番出口から、目白通りを渡って宿坂通りに入ります。
目白通りは目白台の台地上を走り、ここから南側、神田川にかけては下り勾配となります。
宿坂(しゅくざか)もかなりの急坂ですが、この一本西側の「のぞき坂」は別名を「胸突(むなつき)坂」といい、「東京一急な坂」として知られています。

『江戸名所図会. 十二』(国会図書館DC)には以下のとおり「宿坂」と「金乗院」が記されています。
「宿坂関之旧跡 同北の方金乗院といへる密寺の寺前を四谷町の方へ上る坂口をいふ 同じ寺の裏門の辺にさらちの平地あり(中略)昔の奥州街道●●其頃関門のありて跡ありといへり」

現地掲示によると、この辺りは中世に「宿坂の宿」と呼ばれた関所があり、「立丁場」と呼ばれた金乗院裏門辺の平地が関所跡との伝承があります。
宿坂は「江戸時代には竹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみ坂と呼ばれ、狐や狸が出て通行人を化かしたという話」が伝わっているそうです。


【写真 上(左)】 宿坂
【写真 下(右)】 山門

宿坂をほぼ下りきった右手が金乗院の山門です。
二軒の垂木を備えた銅板葺のどっしりとした二脚門で、「神霊山」の山号扁額を掲げています。
右の門柱には、関東三十六不動霊場、左には江戸三十三観音札所の札所板。


【写真 上(左)】 関東三十六不動霊場の札所板
【写真 下(右)】 江戸三十三観音札所の札所板

約200年前の建立ですが昭和20年4月の戦災で屋根を焼失、昭和63年に檀徒の寄進により復元されています。


【写真 上(左)】 山門扁額
【写真 下(右)】 山門前の不動尊

山門周辺に御府内霊場第38番および第54番の札所標、「目白」と刻まれた台座の上に石造坐像のお不動さま、江戸八十八ヶ所霊場第38番の札所標、「東豊山 新長谷寺」の寺号標などが建ち並び、当寺の歴史を物語っています。


【写真 上(左)】 御府内霊場第38番の札所標
【写真 下(右)】 御府内霊場第54番の札所標


【写真 上(左)】 江戸八十八ヶ所の札所標
【写真 下(右)】 山の手三十三観音霊場の札所標

「江戸第拾六番 山之手第九番 本尊十一面観世音」の札所柱もありました。
「山之手第九番」は山の手三十三観音霊場第9番(新長谷寺)と思われますが、「江戸第拾六番」については霊場不明です。


【写真 上(左)】 金乗院の寺号標
【写真 下(右)】 新長谷寺の寺号標

石敷のすっきりとした境内。
山門正面が庫裡(納経所)、その左手に本堂、山門右手の高みが目白不動尊の不動堂です。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂と不動堂

御府内霊場第38番、江戸三十三観音札所第14番は本堂、御府内霊場第54番、関東三十六不動霊場第14番は不動堂のお参りとなります。(御府内霊場は修行大師像も参拝)
(「本堂に『断臂不動明王』を安置」とする資料もありますが、『関東三十六不動霊場ガイドブック』には不動堂が参拝堂とあり、不動堂への参道に「目白不動尊参道」の案内掲示、不動堂の扁額も「目白不動堂」です。)

ちなみに御府内霊場のうち、一寺二札所、ふたつの御朱印をいただけるのはこちらのみです。


【写真 上(左)】 本堂(斜めから)
【写真 下(右)】 本堂向拝露天

本堂は昭和46年再建、平成15年の改修。
木造ではありませんが、入母屋造本瓦葺流れ向拝。
大棟、降り棟ともにやや細身ですが、隅棟、稚児棟まわりの鳥衾・熨斗瓦、掛瓦などのつくりが精緻で、屋根の照りもほどよく風格ある堂宇です。
水引虹梁に禅宗様の木鼻、中備えに蟇股、向拝正面は格子戸、その上に「神霊山」の扁額を掲げています。
御本尊は眦首羯摩作と伝わる高さ7㎝の聖観世音菩薩。金剛仏で秘仏です。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 修行大師像

本堂向かって左に端正な修行大師像が御座。
金乗院は江戸五色不動唯一の真言宗寺院で、江戸五色不動巡拝中に修行大師像のお参りができるのはこちらだけです。

本堂向かって右には「倶梨伽羅不動庚申」。
不動明王の法形である倶梨(利)伽羅剣と「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られた石像で、寛文六年(1660年)の建立です。
「人間を罪過から守る青面金剛の化身、三猿は天の神に人間の犯す罪を伝えない様子をあらわしている。」という現地掲示があります。


【写真 上(左)】 倶利伽羅不動庚申
【写真 下(右)】 不動堂参道

その横に宝塔。その後ろには立像の金仏(地蔵尊)。
その右横が墓地への参道で、その奥には慶安の変(由井正雪の乱、慶安四年7月(1651年))の首謀者の一人、丸橋忠弥の墓所があります。

さらに右手の山門寄りの高みのお堂が、目白不動尊の不動堂です。
確信はないですが、おそらく入母屋造銅板葺妻入り、妻側に付向拝の構成かと思われます。
棟部に経の巻獅子口、猪の目懸魚が見えます。


【写真 上(左)】 不動堂
【写真 下(右)】 不動堂向拝

水引虹梁部は向拝幕が張られているのでよくわかりませんが、身舎正面上部に「目白不動尊」の扁額。
格子戸越しに目白不動尊のおすがたが拝せます。
こちらの不動尊は御前立かと思われます。
整った面差しで、右手に剣、左臂に火焔を抱かれ、大盤石の上に御座される立像です。


【写真 上(左)】 不動堂扁額
【写真 下(右)】 鐔塚

境内にはこの他、寛政十二年(1800年)に建立の刀剣の供養塔、鐔塚(つばづか)などの見どころがあります。

なお、江戸名所図会で宿坂のかなり上方に描かれている観音堂(運慶作の観音像が奉られていたと伝わる)の現況については不明です。

御朱印は境内寺務所にて快く授与いただけます。
こちらは江戸五色不動のほか、御府内霊場(2札所)、江戸三十三観音札所、関東三十六不動霊場の札所も兼ねられ、いずれも御朱印を授与されています。

札所無申告の場合、目白不動尊、聖観世音菩薩いずれの御朱印になるかは不明ですが、おそらく先方からお尋ねになるのかと思います。


〔 御府内霊場第38番(金乗院)の御朱印 〕


【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「聖観世音菩薩」「弘法大師」の揮毫と聖観世音菩薩のお種子「サ」の御寶印(蓮華座+宝珠)。
右上に「弘法大師御府内霊場第三十八 五十四番」の札所印。左下に山号院号の揮毫と寺院印が捺されています。

〔御府内霊場第54番(新長谷寺)の御朱印〕

【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「目白不動明王」「弘法大師」の揮毫と聖観世音菩薩のお種子「サ」の御寶印(蓮華座+宝珠)。
右上に「弘法大師御府内霊場第三十八 五十四番」の札所印。左下に寺号院号の揮毫と寺院印が捺されています。

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目白不動明王 関東三十六不動尊霊場第14番印判 師子光童子の印判 直書(筆書)
※ 関東三十六不動霊場の御朱印が授与されている模様です。

〔関東三十六不動尊霊場第14番の御朱印/専用納経帳〕

・御朱印尊格:目白不動明王 関東三十六不動尊霊場第14番印判 師子光童子の印判 筆書

〔江戸三十三観音札所第14番の御朱印〕

・御朱印尊格:聖観世音菩薩 江戸三十三観音札所第14番印判 目白不動尊の印判 直書(筆書)


■ 第39番 金鶏山 海繁寺 真成院
(しんじょういん)
公式Web

新宿区若葉2-7-8
高野山真言宗
御本尊:大日如来・薬師如来 他?
札所本尊:潮干十一面観世音菩薩
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第39番、江戸三十三観音札所第18番、関東九十一薬師霊場第13番、大東京百観音霊場第14番、山の手三十三観音霊場第27番、江都三十三観音霊場第18番、東京市史稿撰四十四観音霊場(第15番)
司元別当:
授与所:寺務所

御府内霊場には札所の密集エリアが4つあります。
三田、元浅草・寿、谷中、四ッ谷で、第39番札所の真成院は四ッ谷エリアにあります。

第39番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに真成院なので、御府内霊場開創時から一貫して真成院であったとみられます。

公式Web、下記史料、山内掲示、『ルートガイド』および『関東九十一薬師霊場ガイドブック』などから縁起・沿革を追ってみます。

真成院は慶長三年(1598年)、祈祷僧・清心法印によって開山され、江戸城外濠工事にともない幕府より替地として与えられた四ッ谷(現在地)に移転しました。

当山には「潮干観世音」と呼ばれる観音菩薩像が奉安され、江戸三十三観音札所第18番の札所本尊となっています。

潮干観世音菩薩像は天徳四年(960年)唐土より朝廷に奉納され、村上天皇はこの尊像を敬礼し給われたといいます。
また、信濃の戦国武将・村上義清の守り本尊とも伝わります。
Wikipediaには(村上氏の出自について)「村上天皇の第四皇子為平親王が村上姓を賜り、その子源憲定(村上憲定)の娘婿に源頼清がなったことが由来とされる。ただし、この説は十分な確証を得られていない。」とあり、村上天皇、村上氏双方とのゆかりはこの説から来ているのかもしれません。

村上氏は清和源氏頼清流とされる信濃源氏を代表する名族です。
源氏系図には清和天皇-貞純親王-源六孫王経基-源満仲-源頼信-源頼清-源仲宗-源盛清とあり、源仲宗とその子息が政変に巻き込まれて諸国に配流され、信濃国更級郡村上郷に配流された盛清が信濃(村上)源氏の実質的な祖となったという説がみられます。
(盛清の兄弟の顕清も村上郷に配流説あり)

『尊卑分脈』には村上姓初代は源仲宗とありますが、これは仲宗が子息の信濃配流以前に信濃国村上郷を領していたためとする説があります。

清和源氏の名族、村上氏は更級郡を本拠として信濃国内に勢力を張り、戦国期の当主・村上義清は室町幕府三管領家の斯波義寛の娘を母とし、正室を信濃守護・小笠原長棟の娘として北信濃の戦国大名として重きをなしました。

血筋だけでなく武勇にも優れ、上田原の戦い(天文十七年(1548年))、砥石崩れ(天文十九年(1550年))の二度に渡って武田信玄軍を撃退した猛将として名を馳せました。
しかし武田軍の猛攻は止まらず、天文二十二年(1553年)4月、村上義清はついに本拠の葛尾城を放棄して越後国の長尾景虎(上杉謙信)のもとへと身を寄せ客将となりました。
越後に追われたとはいえ、武田信玄を二度までも破った戦国武将は村上義清のみとも目され、その名将ぶりはいまも語り継がれています。

村上氏とその流れの山浦氏は上杉家臣となり、一時は旧領の海津城代となりましたが後にその地位を失い、子孫は上野国、下総国などに飛散したとみられています。

寺伝によると、村上義清の守護佛であった潮干観世音は孫の村上兵部道楽斎(覚玄齊)に伝わりました。
道楽斎は上杉家に従い大阪夏の陣に出陣のため奥州米沢から江戸に入った際、身を隠す必要にかられ、当山の祈祷僧・清心法印が迎え入れて匿ったといいます。
戦後そのお礼として家宝の潮干観世音像を当山に奉安と伝わります。

かつて真成院の近辺は海が迫り、潮干観世音の台石が潮の干満により常に濡れていたためその名を称されたといいます。(汐干(シホヒ)観世音、鹽踏(シホフミ)観世音とも)

潮干観世音は十一面観世音菩薩ですが、史料には「潮干観世音は聖観世音菩薩」という記載もあり、この尊格の錯綜についてはよくわかりません。

一時期本堂と観音堂が失われたものの天保八年(1837年)に再建。
御府内八十八ヶ所第39番札所、江戸三十三観音第18番札所で江戸時代から多くの参拝者を集めたといい、『江戸名所図会』では「四谷の四名所の一つ」に数えられています。

戦前までは境内も広く、四万六千日などの縁日には多くの信者で賑わったといいます。
兼務される観音霊場の多さをみても、江戸期から著名な観音霊場であったことがわかります。

昭和20年5月の東京大空襲によって焼失したものの戦後に再建。
昭和46年に当時としてはめずらしい室内墓地(四谷霊廟)を建立されています。

当山第19世の織田隆弘住職は青森県青森市の高野山青森別院・青龍寺を開山され、昭和59年青銅製の大日如来としては日本最大の「昭和大仏」を造立されたことで知られ、「正純密教」を唱えられ、在家のままであっても救われると説かれました。(Wikipediaより)

また、織田隆弘住職は楠造二尺三寸の薬師如来坐像を勧請され、加持によるお薬師様の御利益は難病平癒にことにあらたかといわれ、全国から信者が集まるといいます。
薬師如来は関東九十一薬師霊場第13番の札所本尊となっており、御朱印も授与されています。

観音堂に十一面観世音菩薩と大聖歓喜天尊を奉安し、什宝として太元明王画像、五大明王画像を蔵されていた(『寺社書上』)ことからも、往古から祈願寺、加持寺としての寺歴をもたれていたことが伺われます。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
三十九番
四ッ谷南寺町
金鶏山 海繁寺 真成院
中野村宝仙寺末 新義
本尊:薬師如来 潮干観世音 弘法大師

『寺社書上 [44] 四谷寺社書上 参』(国立国会図書館)および『御府内寺社書上P.126』
新義真言宗
中野寶仙寺末
錦敬山 海繁寺 真成院
起立年代相分り不申候
開山 清心(正保四年(1647年)寂)
本堂
 本尊薬師如来木坐像 運慶作
 両脇 日光 月光 各運慶作
什宝
 太元明王画像
 五大明王画像
 乾閻婆王画像
観音堂
 十一面観音金銅立像*
 歓喜天 木喰以空上人作
*)天徳四年(960年)唐土より朝廷に奉しと云 (村上)天皇此尊像を敬礼し給ふ(略)  村上義清殊に尊伝し給ひ堂宇を奉安(略)
太子堂
稲荷社

『四谷区史 [本編]』(国立国会図書館) 
錦敬山海繁寺眞成院は四谷南寺町今の寺町にある新義眞言宗で、中野村寶仙寺の末寺である。(略)起立及び替地等の年代は詳でないが、開山清心は正保四年(1647年)に入寂(略)府内八十八箇所卅九番の札所で、鹽踏観音は一に汐干観音とも称して、村上天皇の守護佛と傳へている。又歓喜天があつて十六日を縁日とし、参詣者が多い。外に吉祥水がある。『武江披砂』に武州四谷潮干観音之説を載せて、「(略)眞成院の本尊観音也、潮干の観音といふ、其近邊の地を潮干といふ、亦潮ふみの観音共いふ(略)古代は足の下より潮出たりともいふ。(略)越後村上氏代々の守佛なり、村上義清の守本尊なり、一尺計の石の上に坐像の聖観音なり、此石潮のさし引に湿り乾くの変あり、村上信濃守成清(イに賴清)は上総國久留利の城主なり、北條氏康の為めに落城に及ぶ、成清自殺の期に其子二人あり、五歳と三歳の男子なり、是をも刺殺さむとす、折ふし城に信濃國の僧清心法印来りて曰、大将の跡絶へからすといひて、其二子を衣にかゝへ、城を出て寺に帰り育けり、後に兄をば村上左衛門信清といひ、弟をば勝長門守といふ、長門守は里見義弘の家臣となり、老職となる、兄村上左衛門は未だ浪人たりしに、三州より里見へ被仰談度事有しに、未だ其便を求させ給はず、村上左衛門は勝長門守が兄なるよしに付き、鈞命を蒙りて義弘へ使す、此時村上左衛門召出されしとぞ、先年落城の頃にや有らん、彼守本尊を彼僧携へて其寺にをく、一説に村上義清末流村上兵部入道楽斎は奥州米澤に在りしが、大坂御陣に立、其後江戸に帰る、当寺開山清心法印は祈の師たるにより、浪人の内当地に寓す、後水戸の御家に出勤す、其頃此本尊は当寺に納むともいふ、此観音の石座潮汐干満にしたがひ、乾湿の変有、此僧後に武州に来り、四ツ谷今の地に居す、此の佛をも安置す、此石に潮時のしるしを以て、諸人奇として尊み称して潮踏の観音と名づく、後になへて汐干の観音といふは、潮の満干の観音といふの略語なるべし(略)

『江戸名所図会 第2 (有朋堂文庫)』(国立国会図書館)
汐干(しほひ)観世音菩薩
(四ッ谷)南寺町戒行寺の裏の坂口、眞言宗錦敬山眞成院にあり。此本尊は越後國村上義清が守佛にして、其末流村上兵部入道道楽齊大阪御陣の時、上杉景勝に従ひ、奥州米澤より彼地に赴く。後江戸に帰り、当寺に収むるといへり。(略)鹽踏(シホフミ)観世音とも号く、村上天皇護身の尊像なり。依て村上肥後守頼清常に崇信し、其後堂宇を造り安置す、大阪御陣のみぎり、村上覚玄齊当寺第三世●心に授興し当寺に安ずといふ。本尊聖観音 作者詳ならず、一尺斗の石の上に立せ給ふ。此台石潮のミチヒには必ず湿るヽとなり。


「真成院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


「日宗寺 戒行寺 汐干観音」/出典:斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第2,有朋堂書店,昭2. 国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』四ツ谷絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR・メトロ丸ノ内線・南北線「四ッ谷」駅で徒歩約7分。
このあたりは山谷が複雑に入り組んだ地形で、真成院も「観音坂」の途中に位置します。


【写真 上(左)】 観音坂
【写真 下(右)】 山内入口

ビルタイプの寺院ながら、周囲には御宝号や尊格を記す幟がはためき、霊場札所の趣きがあります。


【写真 上(左)】 潮干観世音菩薩の幟
【写真 下(右)】 薬師如来の幟

門扉から左手方向が本堂・事務所、右手の階段上が観音堂です。
御朱印尊格からすると、御府内霊場の札所本尊には観音堂奉安の潮干十一面観世音菩薩も定められているとみられますが、観音堂は事務所で受付してからのお参りとなります。


【写真 上(左)】 延命地蔵尊
【写真 下(右)】 雨宝稲荷大明神

左手正面に延命地蔵尊坐像と雨宝稲荷大明神のお社。
延命地蔵尊は、先代織田隆弘和尚の傘寿を記念して平成5年に建立された尊像。
稲荷大明神は、「当山鎮守で潮干十一面観世音菩薩と関係の深い雨宝童子に因む神様(公式Web)とのことで、『寺社書上』に記載のある「稲荷社」の系譜かもしれません。


【写真 上(左)】 エントランスの手水鉢
【写真 下(右)】 札所板

ビルに入ると正面が事務所でこちらで参拝受付。
たしか御府内霊場では本堂(回向堂)と観音堂どちらも参拝したかと思います。
(公式Webには本堂(回向堂)の説明に「御府内八十八箇所の札所巡りの方は、ここでお参りいただきます。」とあります。)

本堂(回向堂)は事務所向かって左奥にあり、奉安されている御像は左から阿弥陀如来、金剛界大日如来、釈迦如来です。
弘法大師も本堂に御座されます。

寺務所の上階には加持殿があり、中央には薬師如来と胎蔵大日如来、右脇には不動明王、左脇には愛染明王が奉安されています。
関東九十一薬師霊場の札所本尊はこちらの薬師如来となります。
関東九十一薬師霊場の巡拝時にはちょうど加持がおこなわれており、手前からの黙拝としましたが、すこぶる厳粛な空気感で身が引き締まる思いでした。


【写真 上(左)】 観音堂入口
【写真 下(右)】 観音堂

一旦寺務所に戻りお断りをしてから観音堂に向かいます。
階段をのぼった風とおしのよい上階に観音堂があります。
入口は鉄扉で堅く閉ざされていますが、扉をあけると正面に潮干十一面観世音菩薩像、毘沙門天、弁財天もこちらに奉安されています。
江戸三十三観音札所の拝所はこちらになります。


【写真 上(左)】 観音堂向拝
【写真 下(右)】 真成院の外観

御内陣に護摩壇と天井には金色の天蓋。外陣の天井には格子の天井絵と絢爛たる設えですが、観音様の前に座ってみると不思議にきもちが落ち着きます。
先客がいた場合は、参拝を待った方がベターかと思います。

加持を本旨とされる寺院だけあって、いずれの堂宇も厳粛な空気が流れています。
御府内霊場はこのような雰囲気の札所も少なくないので、巡拝に当たっては少なくとも数珠と可能であれば勤行式の持参をおすすめします。

 
【写真 上(左)】 真言宗智山派の勤行式
【写真 下(右)】 真言宗豊山派の勤行式

このように書くと、敷居の高いお寺さまのように思われがちですが、建物壁面には御府内霊場、江戸三十三観音、関東九十一薬師の3つの札所板が掲げられ、巡拝者の受入体制は整い、ご対応も親切です。

御朱印は巡拝受付時に御朱印帳(集印帳)をお預けすると、参拝後に授与いただけます。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「潮干十一面観世音」「弘法大師」の揮毫と十一面観世音菩薩のお種子「キャ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右上に「御府内八十八 第三十九番」の札所印。左下に山号院号の揮毫と寺院印が捺されています。

 
【写真 上(左)】 江戸三十三観音札所の御朱印
【写真 下(右)】 関東九十一薬師霊場の御朱印


以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-14

■ 札所リスト・目次など
■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1



【 BGM 】
■ Trust You + Endless Story - Yuna Ito (20 Mar 2010 LIVE @ SOTSUGYOU NO UTA '10)


■ far on the water - Kalafina


■ 千年の恋 - ANRI
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■ 冬向きの洋楽30曲!

ようやく涼しくなってきたので、リンクつなぎなおしてアゲてみます。

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2020/11/27 UP(2022/11/30 UP)

30曲で完成版を仕上げてみました。

関連記事 ↓ もどーぞ。
■ 冬の夜のソウル・バラード12曲!

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2020/11/13 UP

あまりに寒いので、つくってみます。
冬の曲はむずかしいな・・・(笑)

今回はUPしながらつくっていきます。
夏バージョン秋バージョンと同様、1980年代の曲がメインです。

とりあえず、思いつくまま10曲ほど。
ただし、何曲かは消えると思います。

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止まらなくなった(笑)
あとで整理します。


01.Vanessa Williams - Save The Best For Last
〔 From 『The Comfort Zone』(1991)

■ 1983年、アフリカ系アメリカ人初のミスアメリカ(第59代)だが、歌の実力も相当なもの。
これは希代のメロディメイカー、Keith Thomasのカラーが前面に出たメロディアスなバラード。
Lady Soulが1990年代に入ってもなお勢いがあったことを物語る1曲。
1994年の「The Sweetest Days」も好メロの名曲。

02.Alexander O'Neal - My Gift To You
〔 From 『My Gift To You』(1988)

■ 米国のBCMシンガーだが、なぜか英国で人気があった。
Jam & Lewisとの共作が多く、リズムサンプリングを多用したとんがった曲調がアピールしたのかも。
巨漢で野太い声質だが、バラードでもいい味を出していた。これはそんな1曲で1988年にリリースされたクリスマス・アルバム『My Gift To You』のタイトル曲。

03.Switch - Love Over And Over Again 
〔 From 『This Is My Dream』(1980)

■ オハイオ州で結成されたファンク&コーラスグループ。Motown系のGordyレーベルから1978年~1981年まで5枚、1984にTotal Experience Recordsに移籍して1枚のアルバム・リリースで、いずれも好盤として知られている。
これは4thALBUMからのミディアム曲で、Bobby DeBargeとPhillip Ingramのファルセットの掛け合いが堪能できる名曲。

04.Commodores - Nightshift
〔 From 『Nightshift』(1985)

■ 1985年、看板VocalのLionel Richieが抜けたあと、心機一転放ったヒット曲。
亡きMarvin GayeとJackie Wilsonに捧げたトリビュート・ソング。
Lead VocalsはJ.D. Nicholas&Walter Orange。
個人的にはLionel Richieはあまり好みではないので(笑)、こういう渋いCommodoresに魅力を感じてしまう。

05.Christopher Cross - Swept Away
〔 From 『Back Of My Mind』(1988)

■ テキサス州サンアントニオ生まれのAOR系シンガー。
1979年、ALBUM『Christopher Cross』(南から来た男)で彗星のごとくデビューし、名曲「Sailing」は1981年のグラミー賞で5部門を独占した。
「Sailing」や「Arthur's Theme (Best That You Can Do)(ニューヨーク・シティ・セレナーデ)」(フラミンゴ(笑))のイメージがあまりに強いので他の作品がかすみがちだが、透明感あふれるハイトーンを活かした佳曲を以降も多数残している。
夏のイメージが強いが、凜とした冬の朝を思わせるリリカルな曲も。これはそんな1曲。

06.Louise Tucker - Midnight Blue
〔 From 『Midnight Blue』(1982)

■ 英国のオペラシンガーが1982年に突如として放ったポップス曲でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」のカバー。デュエットはCharlie Skarbek。
シンセの使い方がこの時代ならではだが、原曲のメロディを活かしたヒーリング感ある曲調は、1990年代に人気を高める”クラシカル・クロスオーバー”のはしりかも。

07.Jesse Colin Young - The Hawk
〔 From 『The Perfect Stranger』(1982)

■ 本来はフォークロック/カントリー系のシンガーソングライターだが、1982年という時代の風を受けてAORなALBUM『The Perfect Stranger』をリリース。
Bill Payne(key)、Bill Cuomo(key)、Fred Tackett(g)、Robben Ford(g)、Dean Parks(g)、Mike Porcaro(b)、Carlos Vega(ds)とくれば、AOR路線確定かと・・・(笑)
この後はフォークロック/カントリー系のフィールドに戻るので、このALBUMはJesse Colin Young のエモーショナルな歌声がAORと融合した貴重な作品となった。

08.Tom Snow - Our Song
〔 From 『Hungry Nights』(1982)

Lee Sklar(b)、Abraham LaBoriel(b), Jeff Porcaro(ds)、Ed Greene(ds)、Mike Baird(ds)、Lenny Castro(per)のリズム陣に、Richard Page&Tom Kellyのバックヴォーカルときたら、買うしかないかと・・・。
本職はMOR系のコンポーザーで、ヴォーカルのレベルは高いとはいえないが、Richard Page&Tom Kellyの名手2人のバックヴォーカルが手堅くサポートしてなかなかの仕上がりとなっている。

09.Cyndi Lauper - Time After Time
〔 From 『She's So Unusual』(1983)

■ なんか、衝動的にリストしたくなった。
デビューアルバムにして「Girls Just Want To Have Fun」とこの曲を盛り込んでくるとは、やはりその才能はただごとじゃない。
この名盤も1983年か・・・。

10.Michael W. Smith - Straight To The Heart
〔 From 『I'll Lead You Home』(1995)

■ Contemporary Christian Music(CCM)の代表的アーティスト。
1995年リリースの『I'll Lead You Home』はとくにメロディアスな佳曲がつまった名盤。
「Trilogy: The Other Side Of Me」からの3曲の出来も圧巻。
1990年代中盤、CCMのフィールドには未だAORのエッセンスが残っていた。

11.Boys Town Gang - I Just Can't Help Believing (Dance Mix)
〔 From 『A Cast Of Thousands』(1984)

■ Boys Town Ganというと「Can't Take My Eyes Off Of You」(君の瞳に恋してる)一択と思われがちだが、他にもさりげにいい曲がある。
この1点のかげりもないbright感は1980年代前半ならではのもの。

12.Atlantic Starr - Secret Lovers
〔 From 『As The Band Turns』(1985)

■ 1980年代のSelf-Contained Groupの代表格。アップチューンもいいけど、とくにバラードに名作が多い。
これは1987年のヒット曲でBarbara Weathersのヴォーカルが冴え渡っている。Paulinho Da CostaのPercussionもさりげに効いて、バラードながらキレのある仕上がり。

13.Marc Jordan - She Used To Be My World
〔 From 『A Hole In The Wall』(1983)

■ またしてもMarc Jordanだけど・・・(笑)
これは1983年リリースの日本制作盤(米国盤はないと思う)『A Hole In The Wall』収録のミディアム曲。
前2作に比べるとアップ・チューンはややハードな仕上がりに振れているが、スロー~ミディアム曲はあいかわらずのアダルトな仕上がり。
クレジット(LP)がいま手元にないので確証はないが、おそらくRobbie Buchananと思われるキーボードのフレーズが曲の輪郭を際立たせている。

14.Elton John - I Guess That's Why They Call It The Blues
〔 From 『Too Low For Zero』(1983)

■ やっぱりどうしてもElton Johnは外せない(笑)
この曲はたしかシングルで切られてヒットしたと思う。Elton Johnらしい隙のない楽曲構成。
それにしてもこの曲が入ったALBUM『Too Low For Zero』(1983年)、すごみを感じるほどのすばらしい出来じゃわ。

15.The Manhattan Transfer - Birdland
〔 From 『Extensions』(1979)

■ AORやBCMのカテゴリーから外れていて、意外と忘れられがちなユニットだけど、1980年代前半には日本でも絶大な人気があった。
これは1979年のヒットALBUM『Extensions』の冒頭を飾る曲で、いま聴きなおしても洗練感がすごい。

16.Alex Bugnon - Missing You
〔 From 『Head Over Heels』(1990)

■ 1990年代にジャンルを確立した”Smooth jazz”の担い手のひとりで、音数の多いキーボードに個性。
レーベルはSmooth jazz系の”Orpheus Records”、音の質感も典型的なSmooth jazzで、1970~1980年代のFusionとはあきらかに質感がことなる。

17.Roger Voudouris - On The Ladder
〔 From 『A Guy Like Me』(1980)

■ Michael Omartianがプロデュースに入り、関連のスタジオミュージシャンがサポートしてAORなALBUMを1978~1981年に4枚リリースしている米国のシンガー。
これは1980年リリースの3rdALBUM『A Guy Like Me』収録曲。変則的な曲構成の小曲ながら、持ち味のハスキーでエモーショナルな声質がよくあらわされている。
そういえば、1980年頃のAORのALBUMって、こういう味のある小曲がよく挟み込まれていた。
当初、米国ではAORが「Album-Oriented Rock」(Adult-Oriented Rockではなく)の略称として使われていた意味がわかる気がする。

18.Donald Fagen - Maxine
〔 From 『The Nightfly』(1982)

■ いままでさんざUPしてるけど、やっぱり外せなかった神曲。どのフレーズを切り取っても洒落っ気にあふれている。Steely Danも好きだけど、個人的にはこっちの方が上かな?
それにしてもこれが35年以上も前の曲とは・・・。

19.Amy Keys - Has It Come To This
〔 From 『Lover's Intuition』(1989)

■ これも何度目かのご紹介。1989年にわずか1枚のALBUMしか残していないLady Soulのシンガー。とくに声質が優れているわけじゃないけど、歌いまわしが抜群に巧い。

20.James Ingram & Patti Austin - How Do You Keep The Music Playing
〔 From 『It's Your Night』(1983)

■ 御大Quincy Jonesの秘蔵っ子ふたりが華麗なデュエット。
フック抜群なメロディラインながらベタつくことなくサラリと仕上がった、この時代ならではの質感。

21.Giorgio Moroder & Philip Oakey - Together In Electric Dreams
〔 From 『Giorgio Moroder & Philip Oakey』(1985)

■ '70年代~'80年代初頭にかけての欧州のディスコ・シーンの中核をなした「ミュンヘン・サウンド」。代表格にSilver Convention、Donna Summer、Boney M.、Baccaraなどがいた。(→こういうの
4つ打ちベースでベタなメロディが特徴で、日本でもけっこう人気があった。(ある意味ABBAもそうですね。)
個人的には「ミュンヘン・サウンド」がメジャーコード方向に洗練されて、グルーヴと流麗なストリングス(ないしはシンセ)が入ってきたのがハイエナジー(Hi-NRG)だと思っている。
これは、「ミュンヘン・サウンド」の代表的なプロデューサーGiorgio Moroderが1985年にリリースしたヒット曲。1985年といえばハイエナジー(Hi-NRG)の代表曲は概ね出揃っているが、やはりHi-NRGとは微妙に質感が異なる。
「Let's Get Started」/Voyage なんかも同じようなポジションだと思う。

22.Sarah Brightman - Scarborough Fair
〔 From 『La Luna』(2000)

■ Sarah Brightmanがイギリスの伝統的バラッドをカバー。透明感あふれるSarahのハイトーンとの相性抜群。
この曲収録の2000年リリース『La Luna』はクラシカル・クロスオーバー屈指の名盤だと思う。

23.Peabo Bryson - Learning The Ways Of Love
〔 From 『Straight From The Heart』(1984)

■ 地味だけど佳曲が揃った『Straight From The Heart』からのバラード。
Producer, Written By Michael Masserならではのメロディが際立った曲でRandy Kerberのキーボードも絶妙。
バックがいまいちだと情感過多になりがちな人だけど、Neil Stubenhaus(b)、Carlos Vega(ds)のリズム陣が小気味よく抑えて、AC的な上質な仕上がり。

24.UK Players - So Good To Be Alive
〔 From 『No Way Out』(1982)

■ 英国funka latina(ファンカラティーナ)からミディアム曲を1曲。
ALBUMは1982年の『No Way Out』わずか1枚だが、これが名盤で、好き者のあいだではけっこう人気が高い(と思う)。
ベースとサックスの音運びがこの時代ならでは。

25.Whitney Houston - Greatest Love Of All
〔 From 『Whitney Houston(そよ風の贈りもの)』(1985)

■ デビュー・アルバム『そよ風の贈りもの』収録の壮大なバラードで、Michael Masserの華麗なメロディが際立っている。
一般的には1992年の『ボディガード』/「I Will Always Love You」が有名だと思うけど、個人的にはこのALBUMと次作の『Whitney』(1987)の方がはるかにレベルは高いと思う。
筆者は「洋楽1983年ピーク説」を勝手に唱えていますが、これらのALBUMを聴くと、BCM(ブラコン)のピークはもっと後かもしれぬと思えてくる。
米国のポピュラー音楽界は、この素晴らしい才能をあまりに早くに失った。

26.Lisa - Rocket To Your Heart (Hot Tracks Remix_1983)
〔 From 『Lisa』(1983)

最初、ハイエナジー(Hi-NRG)の代表曲としてHazell Dean - Evergreenをリストしていたが、やっぱりこっちかな?
San FranciscoのHi-NRGレーベル、Moby Dickからのリリース。
21.「Together In Electric Dreams」と聴きくらべると、質感の違いがよくわかる。

27.Olivia Newton John & David Foster - The Best Of Me
〔 From 『David Foster』(1986)

■ 1983年の『The Best Of Me』、1986年の『David Foster』と初期2枚のソロアルバムで続けて収録された名曲。
『The Best Of Me』はソロ・ヴォーカルだったが、こちらはOlivia Newton Johnとのデュエット。
個人的にはDavid Fosterの才能のピークは1983年だと思っていて、『The Best Of Me』を聴くと、その類い希なメロディ・メイカーぶりがよくわかる。

28.Michael McDonald - Our Love (Remix)
〔 From 『No Lookin' Back』(1985)

■ 1985年リリース『No Lookin' Back』収録のエモーショナルなバラード。
こちらも個人的にだが、Michael McDonaldの最高作だと勝手に思っている。
こういうメロディライン、曲構成は天性の才能がないとつくり出せないと思う。

29.Kathy Troccoli - If I'm not in love
〔 From 『Kathy Troccoli』(1994)

■ 米国CCM(Contemporary Christian Music)系の女性ヴォーカリスト。
これは1994年リリースの『Kathy Troccoli』収録曲で、伊藤由奈の「Endless Story」の原曲。

(番外)伊藤由奈 - Endless Story

■ ↑の2曲、聴き比べると洋楽と邦楽の女性ヴォーカルの持ち味のちがいがよくわかる。
個人的には、伊藤由奈Vers.方が好きだけど・・・。
日本のハイトーン系の女性ヴォーカルは、世界的にも貴重な存在では?

30.Journey - When You Love A Woman
〔 From 『Trial By Fire』(1996)

■ 前作『Raised On Radio〜時を駆けて』(1986)から実に10年を経た1996年、Steve Perry、Neal Schon、Jonathan Cainが顔を揃えてつくりあげたALBUM『Trial By Fire』。
なかでもこの曲のできは出色で、数あるJourneyのバラードのなかでもベストかも・・・。
しかしこの曲を聴くと、Neal Schonのギター、Jonathan Cainのキーボードがいかに重要な役割を果たしているかがわかる。
そしてSteve Perry。やっぱり「Steve PerryなくしてJourneyなし」だと思う。
1996年、この奇跡のような名曲を残しながら、以降、いまに至るまでJourneyでSteve Perryの歌声は聴けていない。

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春向きの洋楽
夏向きの洋楽
秋向きの洋楽
冬向きの洋楽

↓こっちも聴いてね
1983年洋楽ピーク説

〔関連記事〕
■ 洋楽1983年ピーク説
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ グルーヴ&ハイトーン (グルーヴってなに・・・?)
■ 1980年代中盤の夏ソング
■ 1980年代のサントラ(&CM)
■ 初夏のグルーヴ曲20曲
■ AOR系名曲を100曲!
■ 1983年の洋楽ヒット曲 (Billboardデータから)
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