関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-12
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で出てくる寺院もけっこうあるので、こちらも「鎌倉殿の13人」と御朱印、 「鎌倉市の御朱印」と併行してUPしていきます。
新型コロナウイルス感染拡大警戒中です。
また、令和3年7月伊豆山土砂災害等の影響も懸念され、寺社様によっては御朱印授与を中止されている可能性があります。ご留意をお願いします。
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伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-1
第1番 観富山 嶺松院(伊豆市田沢)
第2番 天城山 弘道寺(伊豆市湯ケ島)
第3番 妙高山 最勝院(伊豆市宮上)
第4番 泉首山 城富院(伊豆市城)
第5番 吉原山 玉洞院(伊豆市牧之郷)
第6番 大澤山 金剛寺(伊豆市大沢)
第7番 東嶽山 泉龍寺(伊豆市堀切)
第8番 養加山 益山寺(伊豆市堀切)
第9番 引摂山 澄楽寺(伊豆の国市三福)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-2
第10番 長谷山 蔵春院(伊豆の国市田京)
第11番 天與山 長源寺(伊豆の国市中)
第12番 湯谷山 薬王林 長温寺(伊豆の国市古奈)
第13番 巨徳山 北條寺(伊豆の国市南江間)
第14番 龍泉山 慈光院(伊豆の国市韮山多田)
第15番 華頂峰 高岩院(伊豆の国市奈古谷)
第16番 金寶山 興聖寺(函南町塚本)
第17番 明王山 泉福寺(三島市長伏)
第18番 龍泰山 宗徳院(三島市松本)
第19番 君澤山 連馨寺(三島市広小路町)
第20番 福翁山 養徳寺(函南町平井)
第21番 圓通山 龍澤寺(三島市沢地)
第22番 龍泉山 宗福寺(三島市塚原新田)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-3
第23番 日金山 東光寺(熱海市伊豆山)
第24番 走湯山 般若院(熱海市伊豆山)
第25番 護国山 興禅寺(熱海市桜木町)
第26番 根越山 長谷寺(熱海市網代)
第27番 稲荷山 東林寺(伊東市馬場町)
第28番 伊雄山 大江院(伊東市八幡野)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-4
第29番 大川山 龍豊院(東伊豆町大川)
第30番 金澤山 自性院(東伊豆町奈良本)
第31番 来宮山 東泉院(東伊豆町白田)
第32番 稲取山 善應院(東伊豆町稲取)
第33番 見海山 来迎院 正定寺(東伊豆町稲取)
別格旧第31番 宝林山 称念寺(河津町浜)
第34番 千手山 三養院(河津町川津筏場)
(旧?)第35番 鳳儀山 栖足寺(河津町谷津)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-5
(新?)第35番 天城山 慈眼院(河津町梨本)
第36番 長運山 乗安寺(河津町谷津)
第37番 玉田山 地福院(河津町縄地)
第38番 興國山 禅福寺(下田市白浜)
第39番 西向山 観音寺(下田市須崎)
第40番 瑞龍山 玉泉寺(下田市柿崎)
第41番 富巖山 天気院 海善寺(下田市一丁目)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-6
第42番 大浦山 長楽寺(下田市三丁目)
第43番 乳峰山 大安寺(下田市四丁目)
第44番 湯谷山 廣台寺(下田市蓮台寺)
第45番 三壺山 向陽院(下田市河内)
第46番 砥石山 米山寺(下田市箕作)
第47番 保月山 龍門院(下田市相玉)
第48番 婆娑羅山 報本寺(下田市加増野)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-7
第49番 神護山 太梅寺(下田市横川)
第50番 古松山 玄通寺(南伊豆町一條)
第51番 青谷山 龍雲寺(南伊豆町青市)
第52番 少林山 曹洞院(下田市大賀茂)
第53番 佛谷山 寶徳院(下田市吉佐美)
第54番 浦岳山 長谷寺(下田市田牛)
第55番 飯盛山 修福寺(南伊豆町湊)
第56番 養珠山 正善寺(南伊豆町手石)
第57番 東海山 青龍寺(南伊豆町手石)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-8
第58番 稲荷山 正眼寺(南伊豆町石廊崎)
(石室神社)(南伊豆町石廊崎)
第59番 瑞雲山 海蔵寺(南伊豆町入間)
第60番 龍燈山 善福寺(南伊豆町妻良)
第61番 臥龍山 法泉寺(南伊豆町妻良)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-9
第62番 石屏山 法伝寺(南伊豆町二條)
第63番 五峰山 保春寺(南伊豆町加納)
第64番 金嶽山 慈雲寺(南伊豆町下賀茂)
第65番 田村山 最福寺(南伊豆町上賀茂)
第66番 波次磯山 岩殿寺(南伊豆町岩殿)
第67番 太梅山 安楽寺(南伊豆町上小野)
第68番 廬岳山 東林寺(南伊豆町下小野)
第69番 塔峰山 常石寺(南伊豆町蛇石)
第70番 医王山 金泉寺(南伊豆町子浦)
第71番 翁生山 普照寺(南伊豆町伊浜)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-10
第72番 黒崎山 禅宗院(松崎町石部)
第73番 霊鷲山 常在寺(松崎町岩科南側)
第74番 嵯峨山 永禅寺(松崎町岩科北側)
第75番 岩科山 天然寺(松崎町岩科北側)
第76番 清水山 浄泉寺(松崎町松崎)
第77番 文覚山 圓通寺(松崎町宮内)
第78番 祥雲山 禅海寺(松崎町江奈)
第79番 曹源山 建久寺(松崎町建久寺)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-11からつづく。
第80番 萬法山 帰一寺(松崎町船田)
第81番 富貴野山 宝蔵院(松崎町門野)
第82番 照嶺山 東福寺(西伊豆町中)
第83番 照嶺山 東福寺(西伊豆町中)
第84番 正島山 法眼寺(西伊豆町仁科)
第85番 満行山 航浦院(沼津市西浦江梨)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-12
旧第85番 授寶山 大聖寺(西伊豆町安良里)
第86番 吉祥山 安楽寺(伊豆市土肥)
第87番 専修山 大行寺(沼津市戸田)
第88番 奥の院 正覚院(伊豆市修善寺)
第88番 福地山 修禅寺(修禅萬安禅寺)(伊豆市修善寺)
〔 参考文献 〕
『こころの旅』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 こころの旅』(㈱ピーシードクター 刊)
『霊場めぐり』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 霊場めぐり』(伊豆観光霊跡振興会 刊)
を示します。
■ 旧第85番 授寶山 大聖寺(だいしょうじ)
西伊豆町観光協会Web
西伊豆町安良里315
臨済宗円覚寺派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:-
授与所:龍泉寺(西伊豆町安良里浜川東14、現行の対応不明)
伊豆八十八ヶ所霊場の第85番札所でしたが、平成31年4月24日より沼津市西浦江梨の満行山 航浦院(旧別格第8番)に交替している模様です。
新旧いずれも巡拝し、御朱印を拝受しているのでご紹介します。
禅刹ながら密寺系の教不動尊霊場のイメージが強い古刹です。
『豆州志稿』『こころの旅』掲載の旧記によると、当山御本尊の不動尊は聖徳太子が刻され、文覚上人が苦行中に授けられた尊像で、かつては大きな滝のそばに御座していたといいます。
後醍醐帝の御代(1288-1339年)泰庵阿闍梨が現在地に不動尊を遷し奉安されて、真言宗寺院を開創と伝わります。
天文年間(1532-1555年)に臨済宗の高岳妙本(光嶽和尚とも)が山号を授寶山、寺号を大聖寺と号され臨済宗に改めて、奈古谷の國清寺の配下になりました。
西伊豆町Web資料によると、御本尊の不動明王は「波切不動」とも呼ばれ、安政の大地震による大津波がここで止まったと伝わるそうです。
御本尊は秘仏で、甲子に本開帳、甲午に中開帳で30年に一度の御開帳です。
『豆州志稿』には「安良里村 臨済宗円覚寺派 田方郡奈古谷國清寺末 本尊不動 大瀑布ニ石不動ノ古佛アリキ 後醍醐帝ノ時(1288-1339年) 泰庵阿闍梨此寺ヲ●メ 不動ヲコヽニ移ス 伊豆峯記ニ此寺ヲ不動ノ別当トス 泰庵善書ノ名アリ 大般若経ノ内三百巻ヲ謄写シテ伊濱普照寺ニ収ム 泰庵ヨリ後二百余年 光嶽和尚ノ時 真言ヲ改メ國清寺ニ隷ス(時ニ天文中(1532-1555年)ナリ) 舊記及泰庵ノ傳皆焼亡シヌ 近頃戌子ノ山水ニ寺押流サレテ 今草堂ノ如シ」とあります。
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この霊場は西伊豆町に入ると急に札所間の距離が長くなります。
仁科の第84番法眼寺から伊豆西海岸沿いに国道136号を北上し、堂ヶ島、田子の集落を通過して到着した安良里の港町から数百m山側に入ったところにあります。
【写真 上(左)】 寺号標
【写真 下(右)】 駐車場から
山内は急斜面の山肌ですが、登り口に駐車場がありアプローチは比較的楽です。
【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 手水舎
参道入口の橋を渡って鐘楼の先から急な階段が始まります。
右手はうっそうとした森のなかに小滝が連続し、傍らには石像や石碑が並んでパワスボ的オーラを放っています。
もしかするとこちらが本来の不動尊霊場だったのかもしれません。
【写真 上(左)】 参道階段
【写真 下(右)】 不動尊の石像
参道階段両脇には「大聖不動明王」の赤いのぼりがたち並び、不動尊霊場の趣きゆたか。
昇り切った正面が本堂。
入母屋造桟瓦葺流れ向拝平入りで、堂前に狛犬二対を配しています。
【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 向拝-1
水引虹梁両端に獅子・貘の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に迫力のある龍の彫刻で見応えがあります。
正面桟唐戸でその上に山号扁額が掲げられています。
【写真 上(左)】 向拝-2
【写真 下(右)】 扁額
大聖寺は現在この霊場の札所ではないので、霊場巡拝者はほぼいないかと思います。
30年に一度の御開帳を待つ、静かな不動尊霊場に戻ったのでしょうか。
御朱印は円覚寺百観音霊場第35番の龍泉寺(西伊豆町安良里浜川東14)で拝受していますが、現在の御朱印対応は不明です。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 不動明王 /主印はいずれも御寶印(種子「バン?」)
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
■ 第86番 吉祥山 安楽寺(あんらくじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
伊豆市観光情報Web
伊豆市観光協会土肥支部Web
伊豆市土肥711
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:釈迦如来
他札所:-
授与所:庫裡
土肥は松崎とならぶ西伊豆の要衝ですが、松崎に多くの札所があったのに対し土肥にはわずか1札所と対照的です。
大聖寺が札所から外れた現在、第84番仁科の法眼寺から長駆しての到着です。
土肥は西伊豆を代表する温泉地で、土肥金山の観光施設もあるため西伊豆観光では外せません。
こちらは金山採掘中の坑道より温泉が湧出し、入浴したところ病気が平癒したといういわれが残る「まぶ湯」のあるお寺です。
「まぶ湯」は土肥温泉発祥の湯とされ、「医王泉」「鉱山の湯」「砂金風呂」とも呼ばれて、かつては多くの人が薬効を求めて入浴しましたが、現在は入浴できません。
創建は天智天皇二年(663年)ともされる古刹で、行基菩薩が当地巡錫の際、国家鎮護の本地であると祭祀され、自ら釈迦如来像を彫り上げて奉安したのが創始と伝わります。
当初は密宗で医王山大泉寺と号しました。
一時衰退したものの天文三年(1534年)、大用精賢禅師(最勝院8世)が再興され寺号を安楽寺に改め、曹洞宗となりました。
『豆州志稿』には「土肥村 曹洞宗 賀茂郡宮上最勝院末 本尊釋迦 密宗ノ古刹ニシテ大泉寺ト号ス 天文中(1532-1555年)僧大用再興シテ安楽寺ト改ム 吾寶(最勝院開山)ノ徒大用和尚(最勝院八世)ノ時ヨリ宮上最勝院下ト為ル 大用ハ永禄二年(1559年)化ス(略)寺域ニ鉱湯アリ 采金鉱ヨリ湧出ス(千手院寺域)」とあります。
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【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 大クス
【写真 上(左)】 六地蔵
【写真 下(右)】 寺号標
土肥港に注ぐ山川の山側にありますが、ほぼ土肥市街の中心エリアです。
山内入口に切妻屋根銅板葺の大ぶりの薬医門で山号扁額を掲げています。
門前に寺号標。
門前にあるクスは推定樹齢1000年、樹高25m、根回り14.2mの巨木で「安楽寺のクス」として静岡県指定天然記念物に指定されています。
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門扁額
南向きの明るい山内で、参道まわりは庭園をなして風趣があります。
石橋を渡り、右に鐘楼、正面が本堂です。
【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 札所標
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝
本堂は入母屋造桟瓦葺で隅棟の長い、やや変わった意匠です。
向拝正面格子扉の上に掲げられた扁額は、達筆すぎて読めません。
軒裏は二軒の疎垂木ながら、どこか存在感があります。
【写真 上(左)】 分析表
【写真 下(右)】 地蔵尊
本堂内には「まぶ湯」のお寺らしく、明治37年の分析表が掲げられていました。
泉温77度、固形物総量1.624g/kgの塩類泉で石膏泉系の泉質と思われます。
本堂手前向かって右に誕生佛。左に聖観世音菩薩の立像。
別に地蔵堂があって、端正な地蔵菩薩立像が御座されています。
【写真 上(左)】 まぶ湯入口
【写真 下(右)】 まぶゆ地蔵
「まぶ湯」は山内山手にあり、庫裡で拝観料を払ってから入坑します。
入口に掲示の由来書によると、慶長十五年(1610年)当地に金鉱があり間部彦平がここから金を採掘していたところ、当山住職家翁隣仙大和尚が病を患いました。
当山の薬師如来に二十一日間の病平癒の祈願をおこなったところ、満願の日に「汝にいで湯を授けん」とのお告げがありました。
すると金鉱の岩間から霊湯が湧出しました。
すぐに金の採掘を止め、大和尚が薬師如来を拝しつつ湯浴みしたところ、病はたちまち癒えました。
大和尚のみならず、湯浴みした病人はいずれも平癒したので病に霊験あらたかと伝わり、遠近から湯治客が集まりました。
人々は金鉱から湧出したことからこのお湯を「鉱(まぶ)の湯」と名づけ、あり難く湯浴みにいそしんだといいます。
【写真 上(左)】 坑口
【写真 下(右)】 湯溜め槽と湯かけ地蔵尊
【写真 上(左)】 坑内
【写真 下(右)】 夫婦神社
入口の数体の「まぶゆ地蔵尊」。
棟門の向こうに入口が見えます。
坑内に湯溜め槽はありますが現在は入浴できず、槽の脇に御座す湯かけ地蔵尊の患部と同じところに、病気平癒を祈念しつつお湯を掛けると霊験ありとされています。
坑内各所には石膏らしき析出が出て、温泉湧出坑であることを物語ります。
坑内の最奥には子宝祈願にご利益あらたかとされる夫婦神社が御鎮座で、御神体がお祀りされています。
御朱印は庫裡にて拝受しました。
観光客の参詣も多いためか、手慣れたご対応でした。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 釈迦如来 /主印はいずれも三寶印
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
→ 土肥温泉 「屋形共同浴場」の入湯レポ
■ 第87番 専修山 大行寺(だいぎょうじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
沼津市Web
沼津市戸田926
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:-
授与所:本堂
土肥からふたたび長駆し、戸田の第87番大行寺に向かいます。
戸田も古くからの西伊豆の要衝ですが、伊豆にしてはめずらしく温泉がありませんでした。
昭和61年、念願の温泉掘削に成功し晴れて西伊豆の温泉地に名を連ねました。
戸田湾周辺は「駿河トラフ」に位置し、最深部は水深2,500メートルにも達します。
ここに富士山の豊富な湧き水が注ぎ、他ではみられないめずらしい魚種が揚がります。
なかでもタカアシガニと手長エビ(アカザエビ)はグルメ垂涎のレアアイテムで、これを求めて多くの観光客が訪れます。
戸田から駿河湾越しに眺める富士山は絶景で、温泉、グルメ、眺望の三拍子揃った観光地として近年人気を集めています。
大行寺は戸田のほぼ街なか、大川の河畔にある浄土宗寺院です。
火災により寺伝等を焼失しているので、情報の少ないお寺さまです。
『豆州志稿』には「天正四年(1576年)僧三譽創立 観音堂在寺域」とあるのみです。
『こころの旅』には天正四年(1576年)心蓮社三譽上人を開山とし、宗祖法然上人直示の「専修称名念仏」の教示を得て山・院号として草創とあります。
こちらは幕末の歴史で知られています。
安政年間(1855-1860年)、来日中のロシア使節プチャーチン提督は、安政東海大地震により座乗鑑ディアナ号を失い、代鑑建造のため戸田に滞在していました。
幕府は先に締結した和親条約改訂のため、勘定奉行・川路聖謨を全権特使として戸田へ出向させ、川路は大行寺を応接所として交渉にあたりました。
当山はこの歴史を受け「日露交渉地跡大行寺」として、沼津市の史跡に指定されています。
現在の建物は入浜の旧水野領の名主・斎藤本家邸を移築したもので、民家の移築につき本堂は書院造りとなっています。
『豆州志稿』には「戸田村 浄土宗 東京芝増上寺末 本尊阿彌陀 天正四年(1576年)僧三譽創立 観音堂在寺域」とあります。
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【写真 上(左)】 大川と大行院
【写真 下(右)】 山内入口
【写真 上(左)】 札所案内
【写真 下(右)】 山内
大川の河畔に面した寺院。山門はなく、門柱が山内入口になります。
正面に背後に山を背負って本堂。
【写真 上(左)】 六字御名号
【写真 下(右)】 寺号標
上記のとおり民家の移築なので書院造りですが、外観は寄棟造桟瓦葺で向拝を附設しています。
向拝見上げに山号扁額。そのうえに笈形付大瓶束と棟上に鬼板を置いています。
【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額
山内の一画に宝形造銅板葺の堂宇があり、扁額に「施無畏」とあるので観音堂とみられます。
こちらの観音堂には海中出現と伝わる秘仏の聖観世音菩薩像が御座し、4年に一度の御開帳です。
【写真 上(左)】 観音堂?
【写真 下(右)】 観音堂?の向拝
また、山内のソテツは「大行寺の蘇鉄」として天然記念物に指定されています。
御朱印は庫裡にて拝受しました。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 阿弥陀如来 /主印はいずれも三寶印
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
→ 戸田温泉 「壱の湯」の入湯レポ
■ 第88番 奥の院 正覚院
伊豆市観光情報Web
伊豆市観光ガイドWeb
伊豆半島ジオパークWeb
伊豆市観光協会修善寺支部Web
伊豆市修善寺2940-1
宗派:
御本尊:
札所本尊:
他札所:-
授与所:庫裡ないし第88番修禅寺
戸田の第87番大行寺から江梨の第85番航浦院に向かう行程も考えられますが、こちらはすでにご紹介しているので、いよいよ第88番結願の修禅寺です。
じつは修禅寺には「奥の院」(正覚院)があって、専用納経帳にも用紙が綴じ込まれています。
納経結願所は修禅寺なので、先に「奥の院」(正覚院)のご紹介をします。
『豆州志稿』、伊豆市Web資料等を基にまとめてみます。
「奥の院」(正覚院)は、修禅寺温泉からいろは道を辿り約5㎞西の湯舟集落にあります。
延暦十年(791年)に18歳の弘法大師が修業をされた所といわれています。
この地にはかつて天魔地妖が多く棲み、住民を煩わせていました。
弘法大師修行の折にも妨げをなしたので、弘法大師は天空に向かって大般若経の魔事品を書かれ、天魔地妖を岩谷(馳籠(かりごめ)の窟(いわや))に封じ込めたと伝わります。
『豆州志稿』には「正覚院 奥之院ト云 修禅寺ニ属ス 修禅寺ヨリ三十町許山中ニ在リ 弘法行状記曰 伊豆國桂谷ト云山寺ニ下リテ佛法修行シ玉ヒケルニ 此寺固ヨリ魔縁多キ所ニテ イカニモ障難アリケレハ 大師虚空蔵ニ向ヒ魔事品ヲ書セ玉ヒケリ 其後天魔モ境ヲ去リ 佛法モ廣マリレリ 大師大日ノ像ヲ造リテ安置シ玉ヘリ 今修禅寺ト申ス是也ト(今修禅寺ト申ス是也ト云ハ誤也) 按スルニ元●釋書ニ所謂 桂谷山寺トハ即此院也ト云傳フ 大日ノ像及驅籠ノ窟皆此ニ在リ 中比衰廃セシヲ 弘治丁巳(1557年)ニ山キト云夫人 北條氏康ニ詑テ堀越六郎(此人及山キ何人ナルカ 今其文書ヲ見ルニ貴人ト思ハル 蓋堀越御所政知ノ遺族ナル可シ 山木ノ事新編相模風土記曰 高源院長流泉香大姉ハ 北條氏直ノ妹(或ハ姉)ニテ 山木御大方ト称ス(略)氏直ハ氏政ノ後●堀越六郎ノ事未考)追福ノ為ニ寺領ヲ寄附シ 修禅寺隠居明山ヲシテ興廃セシム ナホ享保五年(1720年)修禅寺十六世筏山再建ス 今又僅ノ茅堂トナレリ」とあります。
毎年4月20日~21日の春季弘法忌には、弘法大師像を修禅寺より御輿で運び、こちらに1日安置する「お上りお下り」という行事が催行されています。
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修禅寺には「修禅寺桂谷(けいこく)八十八ヶ所」という霊場があります。
この霊場は昭和5年に修禅寺38世丘珠学が、四国八十八ヶ所霊場の土を修禅寺の桂谷に移され、桂谷八十八ヶ所として弘法大師のお像と札所本尊の梵字、名号を刻んだ石碑を建立したものと伝わります。
【写真 上(左)】 第60番札所
【写真 下(右)】 第61番札所
初番は修禅寺で、第19番は葭原観音堂、第44番が指月殿そば、第54番で修善寺市街を出て桂川~湯船川沿いに進み、第68番~第71番は 奥の院(正覚院)周辺にあります。
一旦北又川を遡って中島橋に戻り、神谷橋を経て第80番で修善寺市街に入り、第88番結願所は修禅寺山内です。
この札所配置をみると奥の院(正覚院)はハイライトで、修禅寺から 奥の院(正覚院)を詣でる霊場(札所巡り)とみることができるかもしれません。
毎年11月上旬には、3日間かけて札所を巡るツアーが催行されています。
車で巡拝しても、そのアプローチは桂谷八十八ヶ所と重なります。
なので道中、いくつもの札所石碑をみることができます。
【写真 上(左)】 奥の院への道-1
【写真 下(右)】 奥の院への道-2
こちらは観光地でもなく、行く先は行き止まりなので通行量はすこぶる少なく、観光客や車でごったがえす修善寺市街とはまったく雰囲気がことなります。
いくつかの石碑をみながら明るい山村の道を辿っていきます。
ひとしきり走ると公園「奥の院阿字苑」に到着で、たしかこちらの駐車場に停めたかと思います。
【写真 上(左)】 奥の院駐車場
【写真 下(右)】 寺号標
ここは谷間にやや開けた一画で、さすがに伊豆有数のパワスポといわれるだけあって、山内入口からしてただならぬ雰囲気がただよっています。
【写真 上(左)】 奥の院参道-1
【写真 下(右)】 奥の院参道-2
複雑な山内構成なので詳細の説明は省きますが、メインは本堂と阿吽の滝・馳籠の窟かと思われます。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの本堂
本堂は寄棟造桟瓦葺流れ向拝で、向かって右手が庫裡のようです。
水引虹梁上の中備に板蟇股、正面格子扉の上に「修禅寺奥院」の扁額を掲げています。
【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額
【写真 上(左)】 本堂前の掲示
【写真 下(右)】 山内の札所掲示
本堂向かって右側にある真新しい建物は護摩堂かと思われます。
【写真 上(左)】 護摩堂?
【写真 下(右)】 冠木門
阿吽の滝・馳籠の窟は、本堂への参道を向かって右に折れて急な階段を昇った高みにあります。
本堂への参道と直交するかたちで、階段手前にある冠木門は阿吽の滝・馳籠の窟の門かと思われます。
【写真 上(左)】 内湯
【写真 下(右)】 露天
参道階段を昇った正面が阿吽の滝、周囲には多くの石像と石碑。
阿吽の滝の飛沫をかぶるところに弘法大師像が御座され、この場所が「降魔壇」といわれる修行石かもしれません。
滝壺まわりは板状節理と呼ばれる巨石が折り重なり、どちらが馳籠の窟かはわかりませんでした。
さすがに東国有数の弘法大師霊場。
あたりは身が引き締まるような荘厳な気にあふれています。
勤行式は本堂と阿吽の滝両方でお唱えました。
たしかにパワスポだとは思いますが、観光や物見遊山で訪れる場所ではないような気がしました。
御朱印は、ご住職がいらっしゃるときはこちらでいただけるようですが、ご不在時は修禅寺授与所での拝受となります。
参拝時はご不在でしたので、修善寺で拝受しました。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 奥之院 /主印はいずれも三寶印
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
■ 第88番 福地山 修禅寺(修禅萬安禅寺)(しゅぜんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
伊豆市観光情報Web
伊豆市観光協会修善寺支部Web
伊豆市観光ガイドWeb
静岡県観光協会Web
伊豆市修善寺964
曹洞宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:伊豆中道三十三観音霊場第33番
授与所:授与所
いよいよ第88番修禅寺。伊豆八十八ヶ所の結願です。
修禅寺は、修善寺温泉の中心にあって数々の逸話を伝える伊豆を代表する名刹で、正式名称を福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)といいます。
延暦十年(791年)弘法大師が18歳のとき当地を訪れて悪魔降伏の法を修され、大同二年(807年)に再訪されて開基と伝わります。
よって開創時は真言宗で、桂谷山寺と号していたようです。
なお、弘法大師の弟子の泉隣が大師を輔けて建立、大師を開基開山としたという説もあります。
鎌倉時代に北条氏が帰依して大寺としての伽藍を整えたといいます。
また、修禅寺と号したのも鎌倉時代とみられています。
源範頼公は兄の将軍頼朝公から猜疑を受けて当地に幽居、自刃したともいわれています。
鎌倉2代将軍頼家公は謀略により幽閉され、この地で生涯を終えたと伝わるなど、源家にとっては悲劇の地でもあります。
鹿山の麓にある指月殿は、北条政子が子・頼家公追善のために建立した経堂と伝わり、自ら「宋版放光般若経」を納経したと伝わります。
建長年間(1249-1256年)に蘭渓道隆(臨済宗鎌倉建長寺開山の宋禅僧・大覚禅師)が住し、周囲の風景が楊州の廬山に似ていることから肖廬山と号し、臨済宗に改めました。
康安元年(1361年)、畠山国清と足利基氏との戦のあおりを受け、應永九年(1402年)には火災で伽籃を全焼して寺は衰退したといいます。
延徳元年(1489-1492年)、北条早雲が再興外護し、寺運は再び隆盛しました。
北条早雲は一族で遠州石雲院の崇芝性岱の弟子となっていた隆渓繁紹を住職に招聘し、このとき曹洞宗に改め山号も福地山と改めました。
徳川家康公も後北条氏の外護を踏襲し、寺領三十石の朱章が承継されました。
幕末の文久三年(1863年)、火災により伽藍や宝物を焼失しますが、明治16年に本堂が再建されています。
平成26年9月には山門の修復に伴い仁王堂が新設され、指月殿に安置されていた金剛力士像が山門仁王堂に安置されました。
なお、修禅寺の由緒沿革は『修禪寺夜話』に詳しいとされますが、筆者は閲覧しておりません。
『豆州志稿』には「肖廬山 修禅寺肖廬山 修禅寺 修善寺村 曹洞宗 遠州榛原郡坂口石雲院末 本尊聖観世音 或ハ修善守ニ作ル 元福地山 修禅萬安禅寺ト号ス 弘法大師創建ス(略)寺記曰弘法大師十八歳ノ時来リテ 悪魔降伏ノ法ヲ修ス 後大同二年(807年)再来リテ 佛像数躯及自像ヲ刻ミ安置スト 其後建長中(1249-1256年)僧蘭溪(鎌倉建長寺開山大覺禅師也)来住シ臨済宗ニ改ム 建治年中(1275-1278年)鎌倉建長寺ノ派下トナル 蘭溪宗國ノ人也 此地楊州廬山ニ彷彿スルヲ以テ 更ニ肖廬山ト号ス 当寺宗理宗額ヲ贈テ曰ク 大宗敕賜大東福地肖廬山修禅寺ト 此古額文久三年(1863年)焼失ス 尋テ正安中(1299-1302年)僧寧一山来住ス 一山ハ元ノ人 平貞時当國ニ放流スル所也(略)小田原北條氏隆渓禅師(禅師当國北條ノ人遠州石雲院崇芝ノ法嗣也 其傳聯燈録ニ在リ(略))ト俗縁アルヲ以テ修禅寺ヲ重修シ 禅師ヲ住セシム 此時ヨリ曹洞宗トナリ 遠州可睡齋ニ隷ス 時ニ延徳年中(1489-1492年)也 爾来北條氏歴世寺領ヲ附ス 徳川家康先例に従ヒ三十石ノ朱章ヲ賜ヒ世襲セシム 昔ハ巨刹ニシテ八塔司アリキ 正覚院 東陽院(今廃ス) 信功院(今廃ス其址日枝神社ノ下ニ在リ傳云源範頼茲(ここ)ニ幽セラルト) 今尚存ス松竹院 日窓寺 梅林院 牟経寺 放光院 皆廃ス 古ハ修禅寺佛殿ハカリニテ 東陽院其事ヲ執行フ 総門ハ十町許 東横瀬ニ大門等アリ 文久三年(1863年)二月回禄ノ災ニ罹リ 以上ノ堂宇皆灰燼ニ帰ス 明治廿年再建ノ功ヲ竣ル 一切経蔵(源頼家追福ノ為ニ二位尼(北条政子)建立ス)ハ源頼家ノ墓ノ傍ニ在リ 牓シテ指月殿ト曰ク 経ハ乃二位尼所納(略)征夷大将軍左金吾督源頼家菩提ノ為ニ 尼之ヲ置クト 尼公ノ手書ト見ユ 又爪起(つまおこし)ノ名号 日蓮自筆ノ法華経(略)ヲ蔵ム」とあります。
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修禅寺は伊豆屈指の名刹で関連Webも多数あるので、山内のご案内は簡単にいきます。
桂川には風情ある5つの橋がかかり、いずれも観光スポットとなっています。
「渡月橋」が有名ですが、修禅寺参道正面の橋は「虎渓橋」(こけいばし)といいます。
【写真 上(左)】 虎渓橋
【写真 下(右)】 独鈷の湯-1
【写真 上(左)】 独鈷の湯-2
【写真 下(右)】 弘法大師碑と参道階段
「虎渓橋」を渡った右手の河畔には、弘法大師が病気の父親の身体を洗う少年の孝行心に打たれ、独鈷杵で岩を打ち砕かれて霊泉を湧出させ、この霊泉に浸かった父親の病はたちまち癒えたという「独鈷の湯」があります。
この「独鈷の湯」は修善寺温泉発祥の湯ともいわれ、以前は公衆浴場として入湯できましたが現在は見学のみとなっています。
橋のたもとから参道で、石の階段と手前に通種子「ア」と弘法大師の文字が彫られた石標があります。
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門扁額
切妻屋根桟瓦葺の四脚門で、見上げには扁額が掲げられています。
【写真 上(左)】 手水舎
【写真 下(右)】 手水舎の扁額
【写真 上(左)】 手水鉢と析出
【写真 下(右)】 山内
山門の先右手に手水舎があり、上部に「桂谷霊泉 大師の湯」の扁額。
こちらでは温泉が流され、温泉分析書も掲示されていました。(写真不鮮明で誤りあるかもしれません。)
源泉名は修善寺22号(瑞泉第2)、同26号(白井田泉)、同29号(五十(?)泉)、同41号(仁泉)、同58号(白井(?)の湯)、同63(?)号(●●小山泉)の混合泉。
泉温60.1℃、pH8.51、成分総計=0.547g/kgのアルカリ性単純温泉(Na-Cl・SO4型)です。
湯口には温泉特有の析出が出て、やわらかな湯の香もありました。
旁らには「この温泉は飲むことができます。」の掲示もあったので、こちらのお湯は源泉かけ流しかと。
しかし、手水舎で温泉の飲泉ができるとは、さすがに名湯・修善寺温泉の寺院です。
【写真 上(左)】 鐘楼
【写真 下(右)】 六地蔵尊
左手には鐘楼と六地蔵尊。
周囲は修善寺らしい楓樹と竹林で、絵になるところです。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝
正面が本堂。
山内のふところはさほどありませんが、さすがに名刹の風格を醸しています。
入母屋造桟瓦葺で、千鳥破風と唐破風の二重破風を拝した向拝を附設しています。
唐破風下に朱雀?の彫刻、上に鬼板、千鳥破風に蕪懸魚、経の巻獅子口を置く変化のある意匠。
【写真 上(左)】 横からの向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額
名刹だけに向拝柱は4本。
水引虹梁木鼻に獅子を置き、頭貫上に斗栱、身舎側に繋ぎ梁、中備には彫刻群。
向拝桟唐戸の上には寺号扁額を掲げています。
【写真 上(左)】 破風部の意匠
【写真 下(右)】 授与所
御本尊の木造大日如来坐像は、昭和59年の解体修理の際に発見された墨書から承元四年(1210年)、慶派仏師の実慶による造立と判明し国の重要文化財に指定されています。
【写真 上(左)】 弘法大師像
【写真 下(右)】 弘法大師塔
本堂向かって左手には弘法大師のお像。
こちらは禅刹ですが、やはりいまでも「お大師様のお寺」なのだと思います。
宝物館(瑞宝蔵)には、修禅寺物語ゆかりの古面などが展示されています。
御朱印は本堂向かって右の授与所にて拝受しました。
こちら様のご対応はとても親切で、専用納経帳の御朱印に「結願」の揮毫をいただけました。
有料ですが結願証も授与されているとのことでしたので、こちらも拝受しました。
曹洞宗寺院ですが、御本尊は大日如来、御朱印尊格も大日如来で、修禅寺の歴史や性格を物語るものです。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 大日如来 /主印はいずれも御寶印(金剛界大日如来の種子「バン」)
【写真 上(左)】 専用納経帳(結願の御朱印)
【写真 下(右)】 御朱印帳
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の結願証 〕
【写真 上(左)】 結願証
【写真 下(右)】 お祝いのことば
〔 東海バスのパンフ掲載地図 〕
これで伊豆八十八ヶ所は無事結願です。
発願から結願まで数年を要した長丁場でしたが、歴史の香りや趣きのある札所が多く、充実の巡拝となりました。
事務局さんでは、いろいろと企画も展開されている模様なので、伊豆の湯旅を兼ねて、じっくりゆったりまわってみるのも面白いかと思います。
【 BGM 】
■ Memorial Story~夏に背を向けて~Heaven Beach - 杏里
〔 From 『Heaven Beach』(1982)〕
■ Over and Over - Every Little Thing
■ 未来 - Kalafina
新型コロナウイルス感染拡大警戒中です。
また、令和3年7月伊豆山土砂災害等の影響も懸念され、寺社様によっては御朱印授与を中止されている可能性があります。ご留意をお願いします。
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伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-1
第1番 観富山 嶺松院(伊豆市田沢)
第2番 天城山 弘道寺(伊豆市湯ケ島)
第3番 妙高山 最勝院(伊豆市宮上)
第4番 泉首山 城富院(伊豆市城)
第5番 吉原山 玉洞院(伊豆市牧之郷)
第6番 大澤山 金剛寺(伊豆市大沢)
第7番 東嶽山 泉龍寺(伊豆市堀切)
第8番 養加山 益山寺(伊豆市堀切)
第9番 引摂山 澄楽寺(伊豆の国市三福)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-2
第10番 長谷山 蔵春院(伊豆の国市田京)
第11番 天與山 長源寺(伊豆の国市中)
第12番 湯谷山 薬王林 長温寺(伊豆の国市古奈)
第13番 巨徳山 北條寺(伊豆の国市南江間)
第14番 龍泉山 慈光院(伊豆の国市韮山多田)
第15番 華頂峰 高岩院(伊豆の国市奈古谷)
第16番 金寶山 興聖寺(函南町塚本)
第17番 明王山 泉福寺(三島市長伏)
第18番 龍泰山 宗徳院(三島市松本)
第19番 君澤山 連馨寺(三島市広小路町)
第20番 福翁山 養徳寺(函南町平井)
第21番 圓通山 龍澤寺(三島市沢地)
第22番 龍泉山 宗福寺(三島市塚原新田)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-3
第23番 日金山 東光寺(熱海市伊豆山)
第24番 走湯山 般若院(熱海市伊豆山)
第25番 護国山 興禅寺(熱海市桜木町)
第26番 根越山 長谷寺(熱海市網代)
第27番 稲荷山 東林寺(伊東市馬場町)
第28番 伊雄山 大江院(伊東市八幡野)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-4
第29番 大川山 龍豊院(東伊豆町大川)
第30番 金澤山 自性院(東伊豆町奈良本)
第31番 来宮山 東泉院(東伊豆町白田)
第32番 稲取山 善應院(東伊豆町稲取)
第33番 見海山 来迎院 正定寺(東伊豆町稲取)
別格旧第31番 宝林山 称念寺(河津町浜)
第34番 千手山 三養院(河津町川津筏場)
(旧?)第35番 鳳儀山 栖足寺(河津町谷津)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-5
(新?)第35番 天城山 慈眼院(河津町梨本)
第36番 長運山 乗安寺(河津町谷津)
第37番 玉田山 地福院(河津町縄地)
第38番 興國山 禅福寺(下田市白浜)
第39番 西向山 観音寺(下田市須崎)
第40番 瑞龍山 玉泉寺(下田市柿崎)
第41番 富巖山 天気院 海善寺(下田市一丁目)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-6
第42番 大浦山 長楽寺(下田市三丁目)
第43番 乳峰山 大安寺(下田市四丁目)
第44番 湯谷山 廣台寺(下田市蓮台寺)
第45番 三壺山 向陽院(下田市河内)
第46番 砥石山 米山寺(下田市箕作)
第47番 保月山 龍門院(下田市相玉)
第48番 婆娑羅山 報本寺(下田市加増野)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-7
第49番 神護山 太梅寺(下田市横川)
第50番 古松山 玄通寺(南伊豆町一條)
第51番 青谷山 龍雲寺(南伊豆町青市)
第52番 少林山 曹洞院(下田市大賀茂)
第53番 佛谷山 寶徳院(下田市吉佐美)
第54番 浦岳山 長谷寺(下田市田牛)
第55番 飯盛山 修福寺(南伊豆町湊)
第56番 養珠山 正善寺(南伊豆町手石)
第57番 東海山 青龍寺(南伊豆町手石)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-8
第58番 稲荷山 正眼寺(南伊豆町石廊崎)
(石室神社)(南伊豆町石廊崎)
第59番 瑞雲山 海蔵寺(南伊豆町入間)
第60番 龍燈山 善福寺(南伊豆町妻良)
第61番 臥龍山 法泉寺(南伊豆町妻良)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-9
第62番 石屏山 法伝寺(南伊豆町二條)
第63番 五峰山 保春寺(南伊豆町加納)
第64番 金嶽山 慈雲寺(南伊豆町下賀茂)
第65番 田村山 最福寺(南伊豆町上賀茂)
第66番 波次磯山 岩殿寺(南伊豆町岩殿)
第67番 太梅山 安楽寺(南伊豆町上小野)
第68番 廬岳山 東林寺(南伊豆町下小野)
第69番 塔峰山 常石寺(南伊豆町蛇石)
第70番 医王山 金泉寺(南伊豆町子浦)
第71番 翁生山 普照寺(南伊豆町伊浜)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-10
第72番 黒崎山 禅宗院(松崎町石部)
第73番 霊鷲山 常在寺(松崎町岩科南側)
第74番 嵯峨山 永禅寺(松崎町岩科北側)
第75番 岩科山 天然寺(松崎町岩科北側)
第76番 清水山 浄泉寺(松崎町松崎)
第77番 文覚山 圓通寺(松崎町宮内)
第78番 祥雲山 禅海寺(松崎町江奈)
第79番 曹源山 建久寺(松崎町建久寺)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-11からつづく。
第80番 萬法山 帰一寺(松崎町船田)
第81番 富貴野山 宝蔵院(松崎町門野)
第82番 照嶺山 東福寺(西伊豆町中)
第83番 照嶺山 東福寺(西伊豆町中)
第84番 正島山 法眼寺(西伊豆町仁科)
第85番 満行山 航浦院(沼津市西浦江梨)
伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-12
旧第85番 授寶山 大聖寺(西伊豆町安良里)
第86番 吉祥山 安楽寺(伊豆市土肥)
第87番 専修山 大行寺(沼津市戸田)
第88番 奥の院 正覚院(伊豆市修善寺)
第88番 福地山 修禅寺(修禅萬安禅寺)(伊豆市修善寺)
〔 参考文献 〕
『こころの旅』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 こころの旅』(㈱ピーシードクター 刊)
『霊場めぐり』は、『伊豆八十八ヶ所霊場 霊場めぐり』(伊豆観光霊跡振興会 刊)
を示します。
■ 旧第85番 授寶山 大聖寺(だいしょうじ)
西伊豆町観光協会Web
西伊豆町安良里315
臨済宗円覚寺派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:-
授与所:龍泉寺(西伊豆町安良里浜川東14、現行の対応不明)
伊豆八十八ヶ所霊場の第85番札所でしたが、平成31年4月24日より沼津市西浦江梨の満行山 航浦院(旧別格第8番)に交替している模様です。
新旧いずれも巡拝し、御朱印を拝受しているのでご紹介します。
禅刹ながら密寺系の教不動尊霊場のイメージが強い古刹です。
『豆州志稿』『こころの旅』掲載の旧記によると、当山御本尊の不動尊は聖徳太子が刻され、文覚上人が苦行中に授けられた尊像で、かつては大きな滝のそばに御座していたといいます。
後醍醐帝の御代(1288-1339年)泰庵阿闍梨が現在地に不動尊を遷し奉安されて、真言宗寺院を開創と伝わります。
天文年間(1532-1555年)に臨済宗の高岳妙本(光嶽和尚とも)が山号を授寶山、寺号を大聖寺と号され臨済宗に改めて、奈古谷の國清寺の配下になりました。
西伊豆町Web資料によると、御本尊の不動明王は「波切不動」とも呼ばれ、安政の大地震による大津波がここで止まったと伝わるそうです。
御本尊は秘仏で、甲子に本開帳、甲午に中開帳で30年に一度の御開帳です。
『豆州志稿』には「安良里村 臨済宗円覚寺派 田方郡奈古谷國清寺末 本尊不動 大瀑布ニ石不動ノ古佛アリキ 後醍醐帝ノ時(1288-1339年) 泰庵阿闍梨此寺ヲ●メ 不動ヲコヽニ移ス 伊豆峯記ニ此寺ヲ不動ノ別当トス 泰庵善書ノ名アリ 大般若経ノ内三百巻ヲ謄写シテ伊濱普照寺ニ収ム 泰庵ヨリ後二百余年 光嶽和尚ノ時 真言ヲ改メ國清寺ニ隷ス(時ニ天文中(1532-1555年)ナリ) 舊記及泰庵ノ傳皆焼亡シヌ 近頃戌子ノ山水ニ寺押流サレテ 今草堂ノ如シ」とあります。
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この霊場は西伊豆町に入ると急に札所間の距離が長くなります。
仁科の第84番法眼寺から伊豆西海岸沿いに国道136号を北上し、堂ヶ島、田子の集落を通過して到着した安良里の港町から数百m山側に入ったところにあります。
【写真 上(左)】 寺号標
【写真 下(右)】 駐車場から
山内は急斜面の山肌ですが、登り口に駐車場がありアプローチは比較的楽です。
【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 手水舎
参道入口の橋を渡って鐘楼の先から急な階段が始まります。
右手はうっそうとした森のなかに小滝が連続し、傍らには石像や石碑が並んでパワスボ的オーラを放っています。
もしかするとこちらが本来の不動尊霊場だったのかもしれません。
【写真 上(左)】 参道階段
【写真 下(右)】 不動尊の石像
参道階段両脇には「大聖不動明王」の赤いのぼりがたち並び、不動尊霊場の趣きゆたか。
昇り切った正面が本堂。
入母屋造桟瓦葺流れ向拝平入りで、堂前に狛犬二対を配しています。
【写真 上(左)】 斜めからの本堂
【写真 下(右)】 向拝-1
水引虹梁両端に獅子・貘の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に迫力のある龍の彫刻で見応えがあります。
正面桟唐戸でその上に山号扁額が掲げられています。
【写真 上(左)】 向拝-2
【写真 下(右)】 扁額
大聖寺は現在この霊場の札所ではないので、霊場巡拝者はほぼいないかと思います。
30年に一度の御開帳を待つ、静かな不動尊霊場に戻ったのでしょうか。
御朱印は円覚寺百観音霊場第35番の龍泉寺(西伊豆町安良里浜川東14)で拝受していますが、現在の御朱印対応は不明です。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 不動明王 /主印はいずれも御寶印(種子「バン?」)
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
■ 第86番 吉祥山 安楽寺(あんらくじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
伊豆市観光情報Web
伊豆市観光協会土肥支部Web
伊豆市土肥711
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:釈迦如来
他札所:-
授与所:庫裡
土肥は松崎とならぶ西伊豆の要衝ですが、松崎に多くの札所があったのに対し土肥にはわずか1札所と対照的です。
大聖寺が札所から外れた現在、第84番仁科の法眼寺から長駆しての到着です。
土肥は西伊豆を代表する温泉地で、土肥金山の観光施設もあるため西伊豆観光では外せません。
こちらは金山採掘中の坑道より温泉が湧出し、入浴したところ病気が平癒したといういわれが残る「まぶ湯」のあるお寺です。
「まぶ湯」は土肥温泉発祥の湯とされ、「医王泉」「鉱山の湯」「砂金風呂」とも呼ばれて、かつては多くの人が薬効を求めて入浴しましたが、現在は入浴できません。
創建は天智天皇二年(663年)ともされる古刹で、行基菩薩が当地巡錫の際、国家鎮護の本地であると祭祀され、自ら釈迦如来像を彫り上げて奉安したのが創始と伝わります。
当初は密宗で医王山大泉寺と号しました。
一時衰退したものの天文三年(1534年)、大用精賢禅師(最勝院8世)が再興され寺号を安楽寺に改め、曹洞宗となりました。
『豆州志稿』には「土肥村 曹洞宗 賀茂郡宮上最勝院末 本尊釋迦 密宗ノ古刹ニシテ大泉寺ト号ス 天文中(1532-1555年)僧大用再興シテ安楽寺ト改ム 吾寶(最勝院開山)ノ徒大用和尚(最勝院八世)ノ時ヨリ宮上最勝院下ト為ル 大用ハ永禄二年(1559年)化ス(略)寺域ニ鉱湯アリ 采金鉱ヨリ湧出ス(千手院寺域)」とあります。
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【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 大クス
【写真 上(左)】 六地蔵
【写真 下(右)】 寺号標
土肥港に注ぐ山川の山側にありますが、ほぼ土肥市街の中心エリアです。
山内入口に切妻屋根銅板葺の大ぶりの薬医門で山号扁額を掲げています。
門前に寺号標。
門前にあるクスは推定樹齢1000年、樹高25m、根回り14.2mの巨木で「安楽寺のクス」として静岡県指定天然記念物に指定されています。
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門扁額
南向きの明るい山内で、参道まわりは庭園をなして風趣があります。
石橋を渡り、右に鐘楼、正面が本堂です。
【写真 上(左)】 山内
【写真 下(右)】 札所標
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝
本堂は入母屋造桟瓦葺で隅棟の長い、やや変わった意匠です。
向拝正面格子扉の上に掲げられた扁額は、達筆すぎて読めません。
軒裏は二軒の疎垂木ながら、どこか存在感があります。
【写真 上(左)】 分析表
【写真 下(右)】 地蔵尊
本堂内には「まぶ湯」のお寺らしく、明治37年の分析表が掲げられていました。
泉温77度、固形物総量1.624g/kgの塩類泉で石膏泉系の泉質と思われます。
本堂手前向かって右に誕生佛。左に聖観世音菩薩の立像。
別に地蔵堂があって、端正な地蔵菩薩立像が御座されています。
【写真 上(左)】 まぶ湯入口
【写真 下(右)】 まぶゆ地蔵
「まぶ湯」は山内山手にあり、庫裡で拝観料を払ってから入坑します。
入口に掲示の由来書によると、慶長十五年(1610年)当地に金鉱があり間部彦平がここから金を採掘していたところ、当山住職家翁隣仙大和尚が病を患いました。
当山の薬師如来に二十一日間の病平癒の祈願をおこなったところ、満願の日に「汝にいで湯を授けん」とのお告げがありました。
すると金鉱の岩間から霊湯が湧出しました。
すぐに金の採掘を止め、大和尚が薬師如来を拝しつつ湯浴みしたところ、病はたちまち癒えました。
大和尚のみならず、湯浴みした病人はいずれも平癒したので病に霊験あらたかと伝わり、遠近から湯治客が集まりました。
人々は金鉱から湧出したことからこのお湯を「鉱(まぶ)の湯」と名づけ、あり難く湯浴みにいそしんだといいます。
【写真 上(左)】 坑口
【写真 下(右)】 湯溜め槽と湯かけ地蔵尊
【写真 上(左)】 坑内
【写真 下(右)】 夫婦神社
入口の数体の「まぶゆ地蔵尊」。
棟門の向こうに入口が見えます。
坑内に湯溜め槽はありますが現在は入浴できず、槽の脇に御座す湯かけ地蔵尊の患部と同じところに、病気平癒を祈念しつつお湯を掛けると霊験ありとされています。
坑内各所には石膏らしき析出が出て、温泉湧出坑であることを物語ります。
坑内の最奥には子宝祈願にご利益あらたかとされる夫婦神社が御鎮座で、御神体がお祀りされています。
御朱印は庫裡にて拝受しました。
観光客の参詣も多いためか、手慣れたご対応でした。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 釈迦如来 /主印はいずれも三寶印
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
→ 土肥温泉 「屋形共同浴場」の入湯レポ
■ 第87番 専修山 大行寺(だいぎょうじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
沼津市Web
沼津市戸田926
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
他札所:-
授与所:本堂
土肥からふたたび長駆し、戸田の第87番大行寺に向かいます。
戸田も古くからの西伊豆の要衝ですが、伊豆にしてはめずらしく温泉がありませんでした。
昭和61年、念願の温泉掘削に成功し晴れて西伊豆の温泉地に名を連ねました。
戸田湾周辺は「駿河トラフ」に位置し、最深部は水深2,500メートルにも達します。
ここに富士山の豊富な湧き水が注ぎ、他ではみられないめずらしい魚種が揚がります。
なかでもタカアシガニと手長エビ(アカザエビ)はグルメ垂涎のレアアイテムで、これを求めて多くの観光客が訪れます。
戸田から駿河湾越しに眺める富士山は絶景で、温泉、グルメ、眺望の三拍子揃った観光地として近年人気を集めています。
大行寺は戸田のほぼ街なか、大川の河畔にある浄土宗寺院です。
火災により寺伝等を焼失しているので、情報の少ないお寺さまです。
『豆州志稿』には「天正四年(1576年)僧三譽創立 観音堂在寺域」とあるのみです。
『こころの旅』には天正四年(1576年)心蓮社三譽上人を開山とし、宗祖法然上人直示の「専修称名念仏」の教示を得て山・院号として草創とあります。
こちらは幕末の歴史で知られています。
安政年間(1855-1860年)、来日中のロシア使節プチャーチン提督は、安政東海大地震により座乗鑑ディアナ号を失い、代鑑建造のため戸田に滞在していました。
幕府は先に締結した和親条約改訂のため、勘定奉行・川路聖謨を全権特使として戸田へ出向させ、川路は大行寺を応接所として交渉にあたりました。
当山はこの歴史を受け「日露交渉地跡大行寺」として、沼津市の史跡に指定されています。
現在の建物は入浜の旧水野領の名主・斎藤本家邸を移築したもので、民家の移築につき本堂は書院造りとなっています。
『豆州志稿』には「戸田村 浄土宗 東京芝増上寺末 本尊阿彌陀 天正四年(1576年)僧三譽創立 観音堂在寺域」とあります。
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【写真 上(左)】 大川と大行院
【写真 下(右)】 山内入口
【写真 上(左)】 札所案内
【写真 下(右)】 山内
大川の河畔に面した寺院。山門はなく、門柱が山内入口になります。
正面に背後に山を背負って本堂。
【写真 上(左)】 六字御名号
【写真 下(右)】 寺号標
上記のとおり民家の移築なので書院造りですが、外観は寄棟造桟瓦葺で向拝を附設しています。
向拝見上げに山号扁額。そのうえに笈形付大瓶束と棟上に鬼板を置いています。
【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額
山内の一画に宝形造銅板葺の堂宇があり、扁額に「施無畏」とあるので観音堂とみられます。
こちらの観音堂には海中出現と伝わる秘仏の聖観世音菩薩像が御座し、4年に一度の御開帳です。
【写真 上(左)】 観音堂?
【写真 下(右)】 観音堂?の向拝
また、山内のソテツは「大行寺の蘇鉄」として天然記念物に指定されています。
御朱印は庫裡にて拝受しました。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 阿弥陀如来 /主印はいずれも三寶印
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
→ 戸田温泉 「壱の湯」の入湯レポ
■ 第88番 奥の院 正覚院
伊豆市観光情報Web
伊豆市観光ガイドWeb
伊豆半島ジオパークWeb
伊豆市観光協会修善寺支部Web
伊豆市修善寺2940-1
宗派:
御本尊:
札所本尊:
他札所:-
授与所:庫裡ないし第88番修禅寺
戸田の第87番大行寺から江梨の第85番航浦院に向かう行程も考えられますが、こちらはすでにご紹介しているので、いよいよ第88番結願の修禅寺です。
じつは修禅寺には「奥の院」(正覚院)があって、専用納経帳にも用紙が綴じ込まれています。
納経結願所は修禅寺なので、先に「奥の院」(正覚院)のご紹介をします。
『豆州志稿』、伊豆市Web資料等を基にまとめてみます。
「奥の院」(正覚院)は、修禅寺温泉からいろは道を辿り約5㎞西の湯舟集落にあります。
延暦十年(791年)に18歳の弘法大師が修業をされた所といわれています。
この地にはかつて天魔地妖が多く棲み、住民を煩わせていました。
弘法大師修行の折にも妨げをなしたので、弘法大師は天空に向かって大般若経の魔事品を書かれ、天魔地妖を岩谷(馳籠(かりごめ)の窟(いわや))に封じ込めたと伝わります。
『豆州志稿』には「正覚院 奥之院ト云 修禅寺ニ属ス 修禅寺ヨリ三十町許山中ニ在リ 弘法行状記曰 伊豆國桂谷ト云山寺ニ下リテ佛法修行シ玉ヒケルニ 此寺固ヨリ魔縁多キ所ニテ イカニモ障難アリケレハ 大師虚空蔵ニ向ヒ魔事品ヲ書セ玉ヒケリ 其後天魔モ境ヲ去リ 佛法モ廣マリレリ 大師大日ノ像ヲ造リテ安置シ玉ヘリ 今修禅寺ト申ス是也ト(今修禅寺ト申ス是也ト云ハ誤也) 按スルニ元●釋書ニ所謂 桂谷山寺トハ即此院也ト云傳フ 大日ノ像及驅籠ノ窟皆此ニ在リ 中比衰廃セシヲ 弘治丁巳(1557年)ニ山キト云夫人 北條氏康ニ詑テ堀越六郎(此人及山キ何人ナルカ 今其文書ヲ見ルニ貴人ト思ハル 蓋堀越御所政知ノ遺族ナル可シ 山木ノ事新編相模風土記曰 高源院長流泉香大姉ハ 北條氏直ノ妹(或ハ姉)ニテ 山木御大方ト称ス(略)氏直ハ氏政ノ後●堀越六郎ノ事未考)追福ノ為ニ寺領ヲ寄附シ 修禅寺隠居明山ヲシテ興廃セシム ナホ享保五年(1720年)修禅寺十六世筏山再建ス 今又僅ノ茅堂トナレリ」とあります。
毎年4月20日~21日の春季弘法忌には、弘法大師像を修禅寺より御輿で運び、こちらに1日安置する「お上りお下り」という行事が催行されています。
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修禅寺には「修禅寺桂谷(けいこく)八十八ヶ所」という霊場があります。
この霊場は昭和5年に修禅寺38世丘珠学が、四国八十八ヶ所霊場の土を修禅寺の桂谷に移され、桂谷八十八ヶ所として弘法大師のお像と札所本尊の梵字、名号を刻んだ石碑を建立したものと伝わります。
【写真 上(左)】 第60番札所
【写真 下(右)】 第61番札所
初番は修禅寺で、第19番は葭原観音堂、第44番が指月殿そば、第54番で修善寺市街を出て桂川~湯船川沿いに進み、第68番~第71番は 奥の院(正覚院)周辺にあります。
一旦北又川を遡って中島橋に戻り、神谷橋を経て第80番で修善寺市街に入り、第88番結願所は修禅寺山内です。
この札所配置をみると奥の院(正覚院)はハイライトで、修禅寺から 奥の院(正覚院)を詣でる霊場(札所巡り)とみることができるかもしれません。
毎年11月上旬には、3日間かけて札所を巡るツアーが催行されています。
車で巡拝しても、そのアプローチは桂谷八十八ヶ所と重なります。
なので道中、いくつもの札所石碑をみることができます。
【写真 上(左)】 奥の院への道-1
【写真 下(右)】 奥の院への道-2
こちらは観光地でもなく、行く先は行き止まりなので通行量はすこぶる少なく、観光客や車でごったがえす修善寺市街とはまったく雰囲気がことなります。
いくつかの石碑をみながら明るい山村の道を辿っていきます。
ひとしきり走ると公園「奥の院阿字苑」に到着で、たしかこちらの駐車場に停めたかと思います。
【写真 上(左)】 奥の院駐車場
【写真 下(右)】 寺号標
ここは谷間にやや開けた一画で、さすがに伊豆有数のパワスポといわれるだけあって、山内入口からしてただならぬ雰囲気がただよっています。
【写真 上(左)】 奥の院参道-1
【写真 下(右)】 奥の院参道-2
複雑な山内構成なので詳細の説明は省きますが、メインは本堂と阿吽の滝・馳籠の窟かと思われます。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの本堂
本堂は寄棟造桟瓦葺流れ向拝で、向かって右手が庫裡のようです。
水引虹梁上の中備に板蟇股、正面格子扉の上に「修禅寺奥院」の扁額を掲げています。
【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額
【写真 上(左)】 本堂前の掲示
【写真 下(右)】 山内の札所掲示
本堂向かって右側にある真新しい建物は護摩堂かと思われます。
【写真 上(左)】 護摩堂?
【写真 下(右)】 冠木門
阿吽の滝・馳籠の窟は、本堂への参道を向かって右に折れて急な階段を昇った高みにあります。
本堂への参道と直交するかたちで、階段手前にある冠木門は阿吽の滝・馳籠の窟の門かと思われます。
【写真 上(左)】 内湯
【写真 下(右)】 露天
参道階段を昇った正面が阿吽の滝、周囲には多くの石像と石碑。
阿吽の滝の飛沫をかぶるところに弘法大師像が御座され、この場所が「降魔壇」といわれる修行石かもしれません。
滝壺まわりは板状節理と呼ばれる巨石が折り重なり、どちらが馳籠の窟かはわかりませんでした。
さすがに東国有数の弘法大師霊場。
あたりは身が引き締まるような荘厳な気にあふれています。
勤行式は本堂と阿吽の滝両方でお唱えました。
たしかにパワスポだとは思いますが、観光や物見遊山で訪れる場所ではないような気がしました。
御朱印は、ご住職がいらっしゃるときはこちらでいただけるようですが、ご不在時は修禅寺授与所での拝受となります。
参拝時はご不在でしたので、修善寺で拝受しました。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 奥之院 /主印はいずれも三寶印
【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 御朱印帳
■ 第88番 福地山 修禅寺(修禅萬安禅寺)(しゅぜんじ)
伊豆88遍路の紹介ページ
伊豆市観光情報Web
伊豆市観光協会修善寺支部Web
伊豆市観光ガイドWeb
静岡県観光協会Web
伊豆市修善寺964
曹洞宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
他札所:伊豆中道三十三観音霊場第33番
授与所:授与所
いよいよ第88番修禅寺。伊豆八十八ヶ所の結願です。
修禅寺は、修善寺温泉の中心にあって数々の逸話を伝える伊豆を代表する名刹で、正式名称を福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)といいます。
延暦十年(791年)弘法大師が18歳のとき当地を訪れて悪魔降伏の法を修され、大同二年(807年)に再訪されて開基と伝わります。
よって開創時は真言宗で、桂谷山寺と号していたようです。
なお、弘法大師の弟子の泉隣が大師を輔けて建立、大師を開基開山としたという説もあります。
鎌倉時代に北条氏が帰依して大寺としての伽藍を整えたといいます。
また、修禅寺と号したのも鎌倉時代とみられています。
源範頼公は兄の将軍頼朝公から猜疑を受けて当地に幽居、自刃したともいわれています。
鎌倉2代将軍頼家公は謀略により幽閉され、この地で生涯を終えたと伝わるなど、源家にとっては悲劇の地でもあります。
鹿山の麓にある指月殿は、北条政子が子・頼家公追善のために建立した経堂と伝わり、自ら「宋版放光般若経」を納経したと伝わります。
建長年間(1249-1256年)に蘭渓道隆(臨済宗鎌倉建長寺開山の宋禅僧・大覚禅師)が住し、周囲の風景が楊州の廬山に似ていることから肖廬山と号し、臨済宗に改めました。
康安元年(1361年)、畠山国清と足利基氏との戦のあおりを受け、應永九年(1402年)には火災で伽籃を全焼して寺は衰退したといいます。
延徳元年(1489-1492年)、北条早雲が再興外護し、寺運は再び隆盛しました。
北条早雲は一族で遠州石雲院の崇芝性岱の弟子となっていた隆渓繁紹を住職に招聘し、このとき曹洞宗に改め山号も福地山と改めました。
徳川家康公も後北条氏の外護を踏襲し、寺領三十石の朱章が承継されました。
幕末の文久三年(1863年)、火災により伽藍や宝物を焼失しますが、明治16年に本堂が再建されています。
平成26年9月には山門の修復に伴い仁王堂が新設され、指月殿に安置されていた金剛力士像が山門仁王堂に安置されました。
なお、修禅寺の由緒沿革は『修禪寺夜話』に詳しいとされますが、筆者は閲覧しておりません。
『豆州志稿』には「肖廬山 修禅寺肖廬山 修禅寺 修善寺村 曹洞宗 遠州榛原郡坂口石雲院末 本尊聖観世音 或ハ修善守ニ作ル 元福地山 修禅萬安禅寺ト号ス 弘法大師創建ス(略)寺記曰弘法大師十八歳ノ時来リテ 悪魔降伏ノ法ヲ修ス 後大同二年(807年)再来リテ 佛像数躯及自像ヲ刻ミ安置スト 其後建長中(1249-1256年)僧蘭溪(鎌倉建長寺開山大覺禅師也)来住シ臨済宗ニ改ム 建治年中(1275-1278年)鎌倉建長寺ノ派下トナル 蘭溪宗國ノ人也 此地楊州廬山ニ彷彿スルヲ以テ 更ニ肖廬山ト号ス 当寺宗理宗額ヲ贈テ曰ク 大宗敕賜大東福地肖廬山修禅寺ト 此古額文久三年(1863年)焼失ス 尋テ正安中(1299-1302年)僧寧一山来住ス 一山ハ元ノ人 平貞時当國ニ放流スル所也(略)小田原北條氏隆渓禅師(禅師当國北條ノ人遠州石雲院崇芝ノ法嗣也 其傳聯燈録ニ在リ(略))ト俗縁アルヲ以テ修禅寺ヲ重修シ 禅師ヲ住セシム 此時ヨリ曹洞宗トナリ 遠州可睡齋ニ隷ス 時ニ延徳年中(1489-1492年)也 爾来北條氏歴世寺領ヲ附ス 徳川家康先例に従ヒ三十石ノ朱章ヲ賜ヒ世襲セシム 昔ハ巨刹ニシテ八塔司アリキ 正覚院 東陽院(今廃ス) 信功院(今廃ス其址日枝神社ノ下ニ在リ傳云源範頼茲(ここ)ニ幽セラルト) 今尚存ス松竹院 日窓寺 梅林院 牟経寺 放光院 皆廃ス 古ハ修禅寺佛殿ハカリニテ 東陽院其事ヲ執行フ 総門ハ十町許 東横瀬ニ大門等アリ 文久三年(1863年)二月回禄ノ災ニ罹リ 以上ノ堂宇皆灰燼ニ帰ス 明治廿年再建ノ功ヲ竣ル 一切経蔵(源頼家追福ノ為ニ二位尼(北条政子)建立ス)ハ源頼家ノ墓ノ傍ニ在リ 牓シテ指月殿ト曰ク 経ハ乃二位尼所納(略)征夷大将軍左金吾督源頼家菩提ノ為ニ 尼之ヲ置クト 尼公ノ手書ト見ユ 又爪起(つまおこし)ノ名号 日蓮自筆ノ法華経(略)ヲ蔵ム」とあります。
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修禅寺は伊豆屈指の名刹で関連Webも多数あるので、山内のご案内は簡単にいきます。
桂川には風情ある5つの橋がかかり、いずれも観光スポットとなっています。
「渡月橋」が有名ですが、修禅寺参道正面の橋は「虎渓橋」(こけいばし)といいます。
【写真 上(左)】 虎渓橋
【写真 下(右)】 独鈷の湯-1
【写真 上(左)】 独鈷の湯-2
【写真 下(右)】 弘法大師碑と参道階段
「虎渓橋」を渡った右手の河畔には、弘法大師が病気の父親の身体を洗う少年の孝行心に打たれ、独鈷杵で岩を打ち砕かれて霊泉を湧出させ、この霊泉に浸かった父親の病はたちまち癒えたという「独鈷の湯」があります。
この「独鈷の湯」は修善寺温泉発祥の湯ともいわれ、以前は公衆浴場として入湯できましたが現在は見学のみとなっています。
橋のたもとから参道で、石の階段と手前に通種子「ア」と弘法大師の文字が彫られた石標があります。
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山門扁額
切妻屋根桟瓦葺の四脚門で、見上げには扁額が掲げられています。
【写真 上(左)】 手水舎
【写真 下(右)】 手水舎の扁額
【写真 上(左)】 手水鉢と析出
【写真 下(右)】 山内
山門の先右手に手水舎があり、上部に「桂谷霊泉 大師の湯」の扁額。
こちらでは温泉が流され、温泉分析書も掲示されていました。(写真不鮮明で誤りあるかもしれません。)
源泉名は修善寺22号(瑞泉第2)、同26号(白井田泉)、同29号(五十(?)泉)、同41号(仁泉)、同58号(白井(?)の湯)、同63(?)号(●●小山泉)の混合泉。
泉温60.1℃、pH8.51、成分総計=0.547g/kgのアルカリ性単純温泉(Na-Cl・SO4型)です。
湯口には温泉特有の析出が出て、やわらかな湯の香もありました。
旁らには「この温泉は飲むことができます。」の掲示もあったので、こちらのお湯は源泉かけ流しかと。
しかし、手水舎で温泉の飲泉ができるとは、さすがに名湯・修善寺温泉の寺院です。
【写真 上(左)】 鐘楼
【写真 下(右)】 六地蔵尊
左手には鐘楼と六地蔵尊。
周囲は修善寺らしい楓樹と竹林で、絵になるところです。
【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝
正面が本堂。
山内のふところはさほどありませんが、さすがに名刹の風格を醸しています。
入母屋造桟瓦葺で、千鳥破風と唐破風の二重破風を拝した向拝を附設しています。
唐破風下に朱雀?の彫刻、上に鬼板、千鳥破風に蕪懸魚、経の巻獅子口を置く変化のある意匠。
【写真 上(左)】 横からの向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額
名刹だけに向拝柱は4本。
水引虹梁木鼻に獅子を置き、頭貫上に斗栱、身舎側に繋ぎ梁、中備には彫刻群。
向拝桟唐戸の上には寺号扁額を掲げています。
【写真 上(左)】 破風部の意匠
【写真 下(右)】 授与所
御本尊の木造大日如来坐像は、昭和59年の解体修理の際に発見された墨書から承元四年(1210年)、慶派仏師の実慶による造立と判明し国の重要文化財に指定されています。
【写真 上(左)】 弘法大師像
【写真 下(右)】 弘法大師塔
本堂向かって左手には弘法大師のお像。
こちらは禅刹ですが、やはりいまでも「お大師様のお寺」なのだと思います。
宝物館(瑞宝蔵)には、修禅寺物語ゆかりの古面などが展示されています。
御朱印は本堂向かって右の授与所にて拝受しました。
こちら様のご対応はとても親切で、専用納経帳の御朱印に「結願」の揮毫をいただけました。
有料ですが結願証も授与されているとのことでしたので、こちらも拝受しました。
曹洞宗寺院ですが、御本尊は大日如来、御朱印尊格も大日如来で、修禅寺の歴史や性格を物語るものです。
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
● 大日如来 /主印はいずれも御寶印(金剛界大日如来の種子「バン」)
【写真 上(左)】 専用納経帳(結願の御朱印)
【写真 下(右)】 御朱印帳
〔 伊豆八十八ヶ所霊場の結願証 〕
【写真 上(左)】 結願証
【写真 下(右)】 お祝いのことば
〔 東海バスのパンフ掲載地図 〕
これで伊豆八十八ヶ所は無事結願です。
発願から結願まで数年を要した長丁場でしたが、歴史の香りや趣きのある札所が多く、充実の巡拝となりました。
事務局さんでは、いろいろと企画も展開されている模様なので、伊豆の湯旅を兼ねて、じっくりゆったりまわってみるのも面白いかと思います。
【 BGM 】
■ Memorial Story~夏に背を向けて~Heaven Beach - 杏里
〔 From 『Heaven Beach』(1982)〕
■ Over and Over - Every Little Thing
■ 未来 - Kalafina
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