関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【 洋楽1983年ピーク説 】
最近、日本人の洋楽離れがあちこちで話題になっているような・・・。
ライフスタイルとかメディア論とか、いろいろ難しい分析かける人もいるけど、
単純に洋楽にいい曲がなくなったからでは?
かつて、仲間内で ”洋楽●鹿”(笑)と呼ばれていた筆者個人の例からすると、すでに1980年代後半には洋楽チャートを追うのをやめてしまっていた。(↓ の記事のとおり)
まぁ、ことばもわからず、まして音楽的に魅力も感じないのに、ムリしてRapやhip hop聴かにゃならん義務なんてどこにもないし・・・。
とくに最近、米国で主流のワンループお経的hip hopなんて苦痛でしかなんもんね、筆者的には・・・。
だから、Bruno Marsがいきなり出てきたとき、かすかな期待感はあった。
【和訳】Bruno Mars, Anderson .Paak, Silk Sonic「Leave the Door Open」【公式】
でも、続かなかったかな?
Bruno Marsの来日コンサートは大好評だったらしいが・・・。
■ ABBA - Dancing Queen(1976年)
1970年代中盤にはこういう洋楽のヒット曲があった。
洋楽どころか音楽になじみのうすい人にも、聴き流しさせない圧倒的なメロディ&アレンジ力。
こういう優れた曲たちが、洋楽の黄金時代1980年代に向けてのレールを敷いた。
■ 君の瞳に恋してる/Boys Town Gang (歌詞付)
1982年、ディスコだけでなく日本中の街角でヘビロテされていたハイ・エナジーの名曲。
→ ■ パープル・レイン ~ 1980年代洋楽の底力 ~
↓ の動画とコメント、なかなか本質ついてると思います。
【解説】日本人はもう洋楽を聴いていない
【解説】「日本人の洋楽離れ」みんなの反応+衝撃データ発表
ひょっとして、「(日本の若い層で)音楽じたいに興味がなくなっている」ってのも真理かもしれぬ。
でも、世界の音楽市場は今後ますます拡大していくって・・・?
いったいどゆこと?
日本の(一部の)女性アーティストの楽曲は、いまの洋楽が失ってしまったメロディやアレンジメントやヒーリング感を残す(というかブラッシュアップした)ものも少なくない。
なんといっても、アニソンやゲームやボカロ系に才能が集まっているのが強い。
殺伐とした世界では、音楽に「癒やし」を求めるニーズが高まると思う?
そのマーケットを担ったのは、かつてはアイルランド(ケルティック・ウーマン)だったが、いまは質・量ともに邦楽が凌駕している。
今後伸びていくであろう世界の音楽市場を牽引するのは、もしかして日本の歌うま女子たちかもしれぬ。
→ ■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
→ ■ 女神系歌姫-1 【 Angel Voice列伝 01-50 】
この系統の楽曲は、2015年~2022年くらいまで一時期勢いを失った感じもあったが、ここにきてまた盛り返している感じもする。↓
■ サクラキミワタシ - tuki.
■ 私にはできない - Eiーvy
歌声with SunoAIだけど、生声で圧巻の「歌ってみた」かます女子、ぜったい出てくると思う。
■ あなたの夜が明けるまで - Covered by 春吹そらの
それと、いまだに陰りを見せない日本の「シティ・ポップ」だって、もはや洋楽が失ってしまったメロディやアンサンブル、そして心地よいグルーヴを海外のリスナーが聴きに来てるわけでしょ。
つまるところ。
■ 山下達郎 - SPARKLE
→ 関連記事(■ 「シティ・ポップ」って?-2)
それにこんな曲調の曲 ↓ リアルタイムでCMにもってくる国も日本くらいでは?
■ 乃木坂46・五百城茉央出演!“I feel Coke”楽曲を使用したビッグマック新TVCM「あしたも、笑おう。」篇
■「酪農家たちのまっすぐな夢」篇 Webムービー(よつ葉乳業株式会社ブランドムービー)/池田綾子
そして、サポートし頃の、こんな実力派もいるし・・・。↓
■ 遥海 - Pride Live Ver. (HARUMI LIVE 2021”FOCUS”)
■ SARI(柴山サリー)
かすかに見える光明・・・?
↓ こちらもみてね。
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
-------------------------
2020/01/18UP
このところ、1970~80年代のPop-Musicの再評価が、洋楽・邦楽問わず進んでいるような気がします。
わたしは以前から「洋楽1983年ピーク説」を勝手に唱えていますが、改めて考えると、洋楽が1983年頃に大きく変容したため、結果として1983年が洋楽の(個人的な)ピークとなったような感じがしています。
なので、その「変容」について書いたこの記事を「洋楽1983年ピーク説」とサブタイトルし、以前にUPした楽曲集を「1983年洋楽ピーク説(名曲編)」 として整理しなおします。
-----------------------------
1983年から1984年にかけて起こった洋楽シーンの変容は、わたしにとって大きな転機となりました。
ここではその状況について書いてみます。
〔 失速 / AORの巻 〕
百花繚乱の様相をみせていた'82年の洋楽シーン。
だが、このころからAORシーンの変質がびみょ~に気になりだしていた。
ディールを得ていたAORに他ジャンルからの参入があいつぎ、MORやカントリーシーンからもAORライクなアルバムがつぎつぎと送り出された。
Jesse Colin Young『The Perfect Stranger』('82)、Lee Greenwood、『Somebody's Gonna Love You』('83)、Larry Lee(Ozark Mountain Daredevils)『ロンリー・フリーウェイ(Marooned)』('82)などがその好例だ。
■ Larry Lee 「Don't Talk」 (1982)
彼らは個性も実力もあるので、なかなかのアルバムに仕上がっているが、「そいつは違うんでないかい?」と感じたのが、ベタでMORチックな新人が”AORの新星”とかタイトルされ売り出されてきたことだ。
リズムやアレンジが複雑なAORでは歌の巧さが高度に要求されるが、そこまでの実力も経験もない新人がつぎつぎと参入してきた。
ところで、当時洋楽(AOR)好きのあいだで常識となっていたのが「クレジット買い」だ。
これはなじみのないアルバムを、裏ジャケに載っているバック(スタジオ)ミュージシャンの顔ぶれ(=credit)を確認して買うというもので、当時のAORシーンでバック(スタジオ)ミュージシャン達がいかに重要なポジションを占めていたかがわかる。
これら経験豊富な一連のバックミュージシャンのセッションは抜群に安定していて、MORだろうがカントリーだろうが持ち前のワザとセンスで洒落たAORに仕立ててしまう。
なので、上にあげたAORへのシフトは、「AOR系バック(スタジオ)ミュージシャンの起用」でほぼ9割方達成されるといっても過言ではない。
Boz Scaggs - Lowdown (Live-HQ)
■ 名うてのスタジオミュージシャンがサポートしたBoz Scaggsの名曲。
16ビート/アップビートが醸す、ばりばりのグルーヴ感。
↓ Vinnie Colaiuta(ds)&Neil Stubenhaus(b)&Russell Ferrante(key)という、AOR的にはほぼ最強のラインナップ。Vo.が名手Howard Smithなのでかなりの出来に仕上がっているが、ここまでお膳立てされたら誰が歌ってもAORになると思う(笑)
Robben Ford 「Save Your Night for Me」 (1983)
裏返していうと、生半可なボーカルだと完璧にバックに喰われてしまう。
じっさい、AOR後期('83年~)にはバック一流、ボーカル三流という、だれが主役だかわからないアルバムがいくつも出された(あえて例はあげぬが・・・(笑))。
後年、AORが批判の矢面に立たされたときの常套句に「ワンパターン」「没個性」「誰が歌ってもおなじ」というのがあるが、少なくとも後期AORについては、わたしは反論できない・・・。
(余談になるが、邦楽、とくにアイドル系でこれら米国スタジオミュージシャンをレコーディングに起用した例は意外に多い。)
初~中期のAORは違った。
もともとAORの醍醐味は、Rock、R&B、Jazz、Ethnoなどが渾然一体に混じり合うところにあり、当然、アーティストはおのおのアイデンティティをもっていた。
たとえば、Boz Scaggs、Bobby CaldwellやBill LaBountyはブラックミュージックの影響を受けていたし、Michael FranksやBen SidranはJazzやBossa Novaのエッセンスをもっていた。J.D.SoutherやPhotogloには古きよきR&Rの香りがあった。
■ Bill LaBounty 「Room205」 (1978)
■ Michael Franks 「One Bad Habit」 (1980)
■ J.D.Souther 「You're Only Lonely」 (1979)
■ Jim Photoglo 「Ruled By My Heart」 (1981)
なので、AORというのはもともと分類ジャンルではなく、「ポピュラーミュージックのさまざまな要素を盛り込んだソフトでメローなイメージをもつ、アダルト向けの音楽」を意味したと思う。
この手の音楽が初期に「ソフト&メロー」や「クロスオーバー」と呼ばれたのがそのことを如実に物語っているし、現在、米国でこの流れを汲むフォーマットは、分類ジャンルをつけず単にアダルト・コンテンポラリー(Adult Contemporary/AC)と呼ばれている。
■ Homi & Jarvis 「It Didn't Work Out That Way」 (1983)
↑いろいろな要素がほどよくバランスして、テクニカルだけどさらっと流せる曲も多かった。
AORがそのマーケット性を拡大したときに、”AOR”でイメージされる楽曲のパターンができあがり、それを得意とするミュージシャンがAORというジャンルフォーマットをつくりあげた。(たとえば、「After The Love Is Gone」/Airplay、Michael McDonaldの一連の楽曲など)これらは音楽的にはすこぶる質の高いものだが、あまりに氾濫するとどうしても没個性になっていく。
■ Michael McDonald 「That's Why」 (1982)
これと並行して、プロデューサーの地位上昇が進んだ。
もともとAOR界にはTommy LiPuma、Jay Graydon、Randy Goodrum、James Strondなど著名なプロデューサーがいたが、彼らはどちらかというと、ミュージシャン達のよきとりまとめ役であったような気がする。
これに対して、'83年頃からはプロデューサーが強力なイニシアティブをとり、アルバムコンセプトから果てはマメジメントに至るまで関与するようになっていく。このような体制のもと、楽曲はサビメロで固められ一分の隙もないアレンジが施された。
楽曲としての完成度はたしかに高いが、なんとなく音に隙間がなく、厚化粧で息が詰まるような曲が増えていった。
初~中期のAORでは、リズムセクションがグルーヴをキープし、そのうえでVoやリード楽器(Key,g,saxなど)が伸びやかに泳ぐというパターンの曲が多かったが、このころからきっちりとプロデュース、というかむしろオーバープロデュース気味の作品が増えてきた。
これはバックミュージシャンが多忙すぎて、セッションを楽しむ余裕をなくしたことも大きいと思っているが、いずれにしてもこの時点で「アーティスト&ミュージシャンの時代」から「プロデューサーの時代」への変化が起こった意味は大きく、これと歩調を合わせるようにしてAORシーンは急速に失速していく。
〔 パラダイム・チェンジ / ブラックミュージックの巻 〕
Rapの先駆とされる、The Sugarhill Gangの登場は1979年。
それでも1982年頃まではブラックミュージックのメインストリームは、なおセルフコンテインド・グループ(Self-Contained Group)にあった(と思う)。
これはいわゆる自給自足バンドで、一般にはボーカル・コーラス、リード楽器からリズムセクションまで、すべてグループ内で補う大型ファンクバンドをさす。EW&F、Atlantic Starr、Skyy、Dazz Band、Lakeside、One Wayなどがその代表例だ。
■ Skyy 「Show Me The Way」 (1983)
リズムセクションが叩き出すグルーヴのうえでダイナミックなコーラスやファルセットを展開、Up~Balladeまで多彩な名曲を提供する彼らはディスコの花形だった。
しかし、大人数ゆえ、その維持にはコストがかかる。おりしも景気の下降局面にあった米国で、その状況は次第にきびしいものとなっていく。
■ B B.&Q.Band 「(I Could Never Say) It's Over」 (1982)
異論はあると思うが、勢力を拡大しつつあったhip hop/Rap系が一般的な意味で大ブレークしたのは1983年Herbie Hancockの『Future Shock』に収録された"Rock It"だと思う。
大胆なスクラッチが導入されたこの曲は、たしかに異様なインパクトがあった。
低コストで斬新な音を産み出せるこれらの流れは、またたく間にブラックシーンに浸透していった。
■ Herbie Hancock 「Rock It」 (1983)
その勢いはパラダイム・チェンジといえるほどすさまじく、すでに1984年の時点でリズムをデジタルサンプリングしていない新譜を探すのがむずかしいほどだった。
■ Prince 「Purple Rain」 (1984)
パラダイム・チェンジのさなかに産み落とされた歴史的名曲。
経済的に苦境を迎えていたSelf-Contained Groupはつぎつぎと瓦解し、ボーカルはソロとして独立。残ったメンバーはRap系小ユニットやバラードグループとして余命を保つことになる。
このなかでは、バラードに活路を見いだした連中が気を吐いた。
彼らはニュー・クラシック・ソウル(New Classic Soul)などと呼ばれ、甘甘ながらなかなかに聴かせる作品を残している。
■ Atlantic Starr 「Secret Lovers」 (1985)/ New Classic Soulの例
Force MD's 「Tender Love」 (1985)
'80年代後半まではいわゆるレディ・ソウルも好調だった。Whitney Houstonのデビューは1983年だし、Anita BakerやNatalie Cole、そしてKlymaxxなどの女性グループも80年代中期以降にいいアルバムを残しているので、AORほどの強烈な失速感はない。
■ Natalie Cole 「Miss You Like Crazy」 (1989)/ '80年代後期のLady Soulの例
■ Klymaxx 「Finishing Touch」 (1990)/ 抜群のメロディライン
■ Genobia Jeter 「Take A Look」 (1986)
当時のBCM(ブラック・コンテンポラリー)が、ハイレベルなヴォーカルに支えられていたことを示す例。
当然、ゴスペルもクロスオーバーしてたわけです。
それでもわたしのなかでのブラックミュージックは、やはりSelf-Contained Group。
彼らは”レア・グルーヴ(Rare Groove)”(広義です(笑))とジャンルされ、のちに腐るほどカバー、サンプリングされることになる。
〔 ボーダーライン / ポップミュージックの巻 〕
1983~85年までのおもなヒット曲をみると、
Every Breath You Take(The Police)、Billy Jean・Beat It・Thriller(Michael Jackson)、Maneater・Out Of Touch(Hall & Oates)、Let's Dance(David Bowie)、When Doves Cry(Prince)、Against All Odds(Phil Collins)、Jump(Van Halen)、Hello(Lionel Richie)、Girls Just Want To Have Fun(Cyndi Lauper)、Careless Whisper(Wham!)、Like A Virgin(Madonna)、We Are The World(USA For Africa)など、ビッグネームたちの錚々たる代表曲が並んでいるようにみえる。
たしかに、Michael Jacksonの『Thriller』のビデオクリップは圧倒的なインパクトがあった。でも、曲的にはひとつ前のALBUMの「Don't Stop 'Til You Get Enough」、「Rock With You」などの方がしっくりときていた。
Hall & Oatesにしても「Maneater」よりも「Wait for Me」「Kiss on My List」などが、Princeにしても「When Doves Cry」より「Little Red Corvette」の方が曲としての魅力を感じた。
■ Hall & Oates 「Maneater」 (1983)
■ Hall & Oates 「Wait For Me」 (1979)
Madonnaについても、Studio1stALBUM「Madonna」(1983)と大ヒットした「Like a Virgin」(1984)を聴き比べたときに同じような印象を抱いた。
■ Madonna 「Holiday」
「Madonna」(1983)収録。
リズムに新しいテクノロジーは入ってきているものの、曲全体のイメージはこれまでの洋楽の流れを引き継いでいる。
4つ打ちっぽいけど、ベースはアップビートでダンスもヨコノリ。
先日、同世代の友人たちと飲んだときに、こんなハナシが出た。
それはいま振り返ると、H&Oにせよ、Journeyにせよ、世間で大ブレークしたときにはすでにピークを過ぎていたのではないか? ということだ。
そして、この大ブレークする直前にこの世代にとって面白い音楽とそうでなくなってしまった音楽のボーダーラインがあるというのだ。(「14番目の月」説)
例えば、H&Oの『Private Eyes』('81)と『H2O』('82、ブレークは'83)。前者は全米5位だが、後者は全米1位で彼ら最大のヒットとなった。
でも『H2O』を聴いたとき、「なにか違う」という違和感を感じたことはたしかで、大ヒットした"Maneater"もたいした曲には思えなかったわけだ。
Journeyにしても、データ的には『Escape』('81)のほうが売れているが、日本での反響は『Frontiers』('83)のほうが大きかったような気がする。
そして『Frontiers』をきいたときも『H2O』とおなじ違和感を覚えた。
Michael Jacksonもそうで、少なくとも仲間うちでは、歴史的メガヒットとなった『Thriller』('83)より前作『Off The Wall』('79)の評価が高い。
■ Journey 「Still They Ride」 (1981) / ALBUM『Escape』収録
このとき感じた違和感が何だったかは断言できないけれど、厚化粧で妙な圧迫感があり、心底から音に浸れない心地わるさがあったように思う。
そして、その原因はやはりオーバープロデュース、いいかえれば、楽曲が”作品”から”商品”へと変化しはじめたことが大きいような気がする。
■ Michael McDonald 「Our Love」 (1985)
個人的には「AORの時代」の終焉を告げたと思っている名曲。
■ Patti Austin 「if I belive」 (1985/Qwest)
Quincy Jonesの秘蔵娘、Patti Austinの名曲。女性Vo.だが、これも「AORの時代」の幕引きを感じる曲のひとつだと思う。
音楽をめぐる環境もこのころ大きな変貌を遂げていた。
MTVが一躍人気を集め、若者向けの飲食店などでもふつうに流されていた。
楽曲のよしあしより、ビデオクリップのできに話題が集中し、「ビデオクリップのでき(=MTVでの見映え)が悪いと、曲がよくてももはやヒットしない。」などと揶揄されたりした。
一方、1982年秋に発売が開始されたCDは、またたく間に市場シェアを上げ、1986年にははやくも販売枚数ベースでLPを追い抜いた。
CDはたしかに手軽で便利だが、はじめてその音を聞いたとき感じたいいようのない違和感はいまでも忘れられない。
妙な閉塞感があり、スネアやハイハットの音がすこ~んときれいに抜けないのだ。
「これはひょっとして音楽のつくり方や質じたいが変わっていくのでは?」という漠たる予感があった。
そして、事態はその予感をはるかに超えるスピードで進行した。
この頃Rapはますます勢力を拡大し、「hip hop(いまで言う”Old School”)」といわれる一大ムーブメントを形成しつつあった。
おりしもRock Steady Crewなどにより紹介されたブレイクダンス(breakin')が日本でも広まり、1983年_On SaleのHerbie Hancockは「Rock it」でGrandmixer DSTのスクラッチをとり入れ一世を風靡したのは↑に書いたとおり。
このような動きは当然のことながらRock/Pop Marketにも大きな影響を与え、次第にストリート感やアグレッシブな雰囲気が求められるようになっていった。
メロディ・ハーモニー・リズムがバランスよく構成されていたそれまでの楽曲にくらべ、リズム(というかピッチ)が極端に重視されるようになった。
これは端的にいうと、「メロディの時代」から「リズム(ピッチ)の時代」への転換だったのではないか・・・。
単発的にこういう↓名メロ曲はでたけどね。
■ Starship 「We Built This City」 (1985)
■ BRUCE HORNSBY and the Range 「The Way It Is」 (1986)
■ Boy Meets Girl 「Waiting for a Star to Fall」 (1988)
いま振り返ると、ポピュラーミュージックをめぐるこのような環境の変化が重なって、(すくなくともわたしにとっては)「新譜を聴くのがあまり面白くない時代」に入っていったのではないかと思う。
決定的だったのは、ストック・エイトキン・ウォーターマン (Stock Aitken Waterman/SAW)絡みのプロジェクトがメインストリームとなったこと。
数年前までは、こんな4つ打ちベタメロ曲が、まさか洋楽から出てくるとは思いもしなかった・・・。
■ Kylie Minogue 「Turn It Into Love」 (1988)
これだったら日本でも作れるし洋楽聴く必要ないじゃん、と思ったわけです私的には。
で、やっぱり日本でも大ヒットとなったわけです。↓
■ WINK 「愛が止まらない」 (1988)
このあたりについては→■ 4つ打ちとグルーヴ (音のスキマ論-0)に書いているので、ご興味のある方はどーぞ。
(さらにもう1回つづきます。)
→■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
ライフスタイルとかメディア論とか、いろいろ難しい分析かける人もいるけど、
単純に洋楽にいい曲がなくなったからでは?
かつて、仲間内で ”洋楽●鹿”(笑)と呼ばれていた筆者個人の例からすると、すでに1980年代後半には洋楽チャートを追うのをやめてしまっていた。(↓ の記事のとおり)
まぁ、ことばもわからず、まして音楽的に魅力も感じないのに、ムリしてRapやhip hop聴かにゃならん義務なんてどこにもないし・・・。
とくに最近、米国で主流のワンループお経的hip hopなんて苦痛でしかなんもんね、筆者的には・・・。
だから、Bruno Marsがいきなり出てきたとき、かすかな期待感はあった。
【和訳】Bruno Mars, Anderson .Paak, Silk Sonic「Leave the Door Open」【公式】
でも、続かなかったかな?
Bruno Marsの来日コンサートは大好評だったらしいが・・・。
■ ABBA - Dancing Queen(1976年)
1970年代中盤にはこういう洋楽のヒット曲があった。
洋楽どころか音楽になじみのうすい人にも、聴き流しさせない圧倒的なメロディ&アレンジ力。
こういう優れた曲たちが、洋楽の黄金時代1980年代に向けてのレールを敷いた。
■ 君の瞳に恋してる/Boys Town Gang (歌詞付)
1982年、ディスコだけでなく日本中の街角でヘビロテされていたハイ・エナジーの名曲。
→ ■ パープル・レイン ~ 1980年代洋楽の底力 ~
↓ の動画とコメント、なかなか本質ついてると思います。
【解説】日本人はもう洋楽を聴いていない
【解説】「日本人の洋楽離れ」みんなの反応+衝撃データ発表
ひょっとして、「(日本の若い層で)音楽じたいに興味がなくなっている」ってのも真理かもしれぬ。
でも、世界の音楽市場は今後ますます拡大していくって・・・?
いったいどゆこと?
日本の(一部の)女性アーティストの楽曲は、いまの洋楽が失ってしまったメロディやアレンジメントやヒーリング感を残す(というかブラッシュアップした)ものも少なくない。
なんといっても、アニソンやゲームやボカロ系に才能が集まっているのが強い。
殺伐とした世界では、音楽に「癒やし」を求めるニーズが高まると思う?
そのマーケットを担ったのは、かつてはアイルランド(ケルティック・ウーマン)だったが、いまは質・量ともに邦楽が凌駕している。
今後伸びていくであろう世界の音楽市場を牽引するのは、もしかして日本の歌うま女子たちかもしれぬ。
→ ■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
→ ■ 女神系歌姫-1 【 Angel Voice列伝 01-50 】
この系統の楽曲は、2015年~2022年くらいまで一時期勢いを失った感じもあったが、ここにきてまた盛り返している感じもする。↓
■ サクラキミワタシ - tuki.
■ 私にはできない - Eiーvy
歌声with SunoAIだけど、生声で圧巻の「歌ってみた」かます女子、ぜったい出てくると思う。
■ あなたの夜が明けるまで - Covered by 春吹そらの
それと、いまだに陰りを見せない日本の「シティ・ポップ」だって、もはや洋楽が失ってしまったメロディやアンサンブル、そして心地よいグルーヴを海外のリスナーが聴きに来てるわけでしょ。
つまるところ。
■ 山下達郎 - SPARKLE
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それにこんな曲調の曲 ↓ リアルタイムでCMにもってくる国も日本くらいでは?
■ 乃木坂46・五百城茉央出演!“I feel Coke”楽曲を使用したビッグマック新TVCM「あしたも、笑おう。」篇
■「酪農家たちのまっすぐな夢」篇 Webムービー(よつ葉乳業株式会社ブランドムービー)/池田綾子
そして、サポートし頃の、こんな実力派もいるし・・・。↓
■ 遥海 - Pride Live Ver. (HARUMI LIVE 2021”FOCUS”)
■ SARI(柴山サリー)
かすかに見える光明・・・?
↓ こちらもみてね。
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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2020/01/18UP
このところ、1970~80年代のPop-Musicの再評価が、洋楽・邦楽問わず進んでいるような気がします。
わたしは以前から「洋楽1983年ピーク説」を勝手に唱えていますが、改めて考えると、洋楽が1983年頃に大きく変容したため、結果として1983年が洋楽の(個人的な)ピークとなったような感じがしています。
なので、その「変容」について書いたこの記事を「洋楽1983年ピーク説」とサブタイトルし、以前にUPした楽曲集を「1983年洋楽ピーク説(名曲編)」 として整理しなおします。
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1983年から1984年にかけて起こった洋楽シーンの変容は、わたしにとって大きな転機となりました。
ここではその状況について書いてみます。
〔 失速 / AORの巻 〕
百花繚乱の様相をみせていた'82年の洋楽シーン。
だが、このころからAORシーンの変質がびみょ~に気になりだしていた。
ディールを得ていたAORに他ジャンルからの参入があいつぎ、MORやカントリーシーンからもAORライクなアルバムがつぎつぎと送り出された。
Jesse Colin Young『The Perfect Stranger』('82)、Lee Greenwood、『Somebody's Gonna Love You』('83)、Larry Lee(Ozark Mountain Daredevils)『ロンリー・フリーウェイ(Marooned)』('82)などがその好例だ。
■ Larry Lee 「Don't Talk」 (1982)
彼らは個性も実力もあるので、なかなかのアルバムに仕上がっているが、「そいつは違うんでないかい?」と感じたのが、ベタでMORチックな新人が”AORの新星”とかタイトルされ売り出されてきたことだ。
リズムやアレンジが複雑なAORでは歌の巧さが高度に要求されるが、そこまでの実力も経験もない新人がつぎつぎと参入してきた。
ところで、当時洋楽(AOR)好きのあいだで常識となっていたのが「クレジット買い」だ。
これはなじみのないアルバムを、裏ジャケに載っているバック(スタジオ)ミュージシャンの顔ぶれ(=credit)を確認して買うというもので、当時のAORシーンでバック(スタジオ)ミュージシャン達がいかに重要なポジションを占めていたかがわかる。
これら経験豊富な一連のバックミュージシャンのセッションは抜群に安定していて、MORだろうがカントリーだろうが持ち前のワザとセンスで洒落たAORに仕立ててしまう。
なので、上にあげたAORへのシフトは、「AOR系バック(スタジオ)ミュージシャンの起用」でほぼ9割方達成されるといっても過言ではない。
Boz Scaggs - Lowdown (Live-HQ)
■ 名うてのスタジオミュージシャンがサポートしたBoz Scaggsの名曲。
16ビート/アップビートが醸す、ばりばりのグルーヴ感。
↓ Vinnie Colaiuta(ds)&Neil Stubenhaus(b)&Russell Ferrante(key)という、AOR的にはほぼ最強のラインナップ。Vo.が名手Howard Smithなのでかなりの出来に仕上がっているが、ここまでお膳立てされたら誰が歌ってもAORになると思う(笑)
Robben Ford 「Save Your Night for Me」 (1983)
裏返していうと、生半可なボーカルだと完璧にバックに喰われてしまう。
じっさい、AOR後期('83年~)にはバック一流、ボーカル三流という、だれが主役だかわからないアルバムがいくつも出された(あえて例はあげぬが・・・(笑))。
後年、AORが批判の矢面に立たされたときの常套句に「ワンパターン」「没個性」「誰が歌ってもおなじ」というのがあるが、少なくとも後期AORについては、わたしは反論できない・・・。
(余談になるが、邦楽、とくにアイドル系でこれら米国スタジオミュージシャンをレコーディングに起用した例は意外に多い。)
初~中期のAORは違った。
もともとAORの醍醐味は、Rock、R&B、Jazz、Ethnoなどが渾然一体に混じり合うところにあり、当然、アーティストはおのおのアイデンティティをもっていた。
たとえば、Boz Scaggs、Bobby CaldwellやBill LaBountyはブラックミュージックの影響を受けていたし、Michael FranksやBen SidranはJazzやBossa Novaのエッセンスをもっていた。J.D.SoutherやPhotogloには古きよきR&Rの香りがあった。
■ Bill LaBounty 「Room205」 (1978)
■ Michael Franks 「One Bad Habit」 (1980)
■ J.D.Souther 「You're Only Lonely」 (1979)
■ Jim Photoglo 「Ruled By My Heart」 (1981)
なので、AORというのはもともと分類ジャンルではなく、「ポピュラーミュージックのさまざまな要素を盛り込んだソフトでメローなイメージをもつ、アダルト向けの音楽」を意味したと思う。
この手の音楽が初期に「ソフト&メロー」や「クロスオーバー」と呼ばれたのがそのことを如実に物語っているし、現在、米国でこの流れを汲むフォーマットは、分類ジャンルをつけず単にアダルト・コンテンポラリー(Adult Contemporary/AC)と呼ばれている。
■ Homi & Jarvis 「It Didn't Work Out That Way」 (1983)
↑いろいろな要素がほどよくバランスして、テクニカルだけどさらっと流せる曲も多かった。
AORがそのマーケット性を拡大したときに、”AOR”でイメージされる楽曲のパターンができあがり、それを得意とするミュージシャンがAORというジャンルフォーマットをつくりあげた。(たとえば、「After The Love Is Gone」/Airplay、Michael McDonaldの一連の楽曲など)これらは音楽的にはすこぶる質の高いものだが、あまりに氾濫するとどうしても没個性になっていく。
■ Michael McDonald 「That's Why」 (1982)
これと並行して、プロデューサーの地位上昇が進んだ。
もともとAOR界にはTommy LiPuma、Jay Graydon、Randy Goodrum、James Strondなど著名なプロデューサーがいたが、彼らはどちらかというと、ミュージシャン達のよきとりまとめ役であったような気がする。
これに対して、'83年頃からはプロデューサーが強力なイニシアティブをとり、アルバムコンセプトから果てはマメジメントに至るまで関与するようになっていく。このような体制のもと、楽曲はサビメロで固められ一分の隙もないアレンジが施された。
楽曲としての完成度はたしかに高いが、なんとなく音に隙間がなく、厚化粧で息が詰まるような曲が増えていった。
初~中期のAORでは、リズムセクションがグルーヴをキープし、そのうえでVoやリード楽器(Key,g,saxなど)が伸びやかに泳ぐというパターンの曲が多かったが、このころからきっちりとプロデュース、というかむしろオーバープロデュース気味の作品が増えてきた。
これはバックミュージシャンが多忙すぎて、セッションを楽しむ余裕をなくしたことも大きいと思っているが、いずれにしてもこの時点で「アーティスト&ミュージシャンの時代」から「プロデューサーの時代」への変化が起こった意味は大きく、これと歩調を合わせるようにしてAORシーンは急速に失速していく。
〔 パラダイム・チェンジ / ブラックミュージックの巻 〕
Rapの先駆とされる、The Sugarhill Gangの登場は1979年。
それでも1982年頃まではブラックミュージックのメインストリームは、なおセルフコンテインド・グループ(Self-Contained Group)にあった(と思う)。
これはいわゆる自給自足バンドで、一般にはボーカル・コーラス、リード楽器からリズムセクションまで、すべてグループ内で補う大型ファンクバンドをさす。EW&F、Atlantic Starr、Skyy、Dazz Band、Lakeside、One Wayなどがその代表例だ。
■ Skyy 「Show Me The Way」 (1983)
リズムセクションが叩き出すグルーヴのうえでダイナミックなコーラスやファルセットを展開、Up~Balladeまで多彩な名曲を提供する彼らはディスコの花形だった。
しかし、大人数ゆえ、その維持にはコストがかかる。おりしも景気の下降局面にあった米国で、その状況は次第にきびしいものとなっていく。
■ B B.&Q.Band 「(I Could Never Say) It's Over」 (1982)
異論はあると思うが、勢力を拡大しつつあったhip hop/Rap系が一般的な意味で大ブレークしたのは1983年Herbie Hancockの『Future Shock』に収録された"Rock It"だと思う。
大胆なスクラッチが導入されたこの曲は、たしかに異様なインパクトがあった。
低コストで斬新な音を産み出せるこれらの流れは、またたく間にブラックシーンに浸透していった。
■ Herbie Hancock 「Rock It」 (1983)
その勢いはパラダイム・チェンジといえるほどすさまじく、すでに1984年の時点でリズムをデジタルサンプリングしていない新譜を探すのがむずかしいほどだった。
■ Prince 「Purple Rain」 (1984)
パラダイム・チェンジのさなかに産み落とされた歴史的名曲。
経済的に苦境を迎えていたSelf-Contained Groupはつぎつぎと瓦解し、ボーカルはソロとして独立。残ったメンバーはRap系小ユニットやバラードグループとして余命を保つことになる。
このなかでは、バラードに活路を見いだした連中が気を吐いた。
彼らはニュー・クラシック・ソウル(New Classic Soul)などと呼ばれ、甘甘ながらなかなかに聴かせる作品を残している。
■ Atlantic Starr 「Secret Lovers」 (1985)/ New Classic Soulの例
Force MD's 「Tender Love」 (1985)
'80年代後半まではいわゆるレディ・ソウルも好調だった。Whitney Houstonのデビューは1983年だし、Anita BakerやNatalie Cole、そしてKlymaxxなどの女性グループも80年代中期以降にいいアルバムを残しているので、AORほどの強烈な失速感はない。
■ Natalie Cole 「Miss You Like Crazy」 (1989)/ '80年代後期のLady Soulの例
■ Klymaxx 「Finishing Touch」 (1990)/ 抜群のメロディライン
■ Genobia Jeter 「Take A Look」 (1986)
当時のBCM(ブラック・コンテンポラリー)が、ハイレベルなヴォーカルに支えられていたことを示す例。
当然、ゴスペルもクロスオーバーしてたわけです。
それでもわたしのなかでのブラックミュージックは、やはりSelf-Contained Group。
彼らは”レア・グルーヴ(Rare Groove)”(広義です(笑))とジャンルされ、のちに腐るほどカバー、サンプリングされることになる。
〔 ボーダーライン / ポップミュージックの巻 〕
1983~85年までのおもなヒット曲をみると、
Every Breath You Take(The Police)、Billy Jean・Beat It・Thriller(Michael Jackson)、Maneater・Out Of Touch(Hall & Oates)、Let's Dance(David Bowie)、When Doves Cry(Prince)、Against All Odds(Phil Collins)、Jump(Van Halen)、Hello(Lionel Richie)、Girls Just Want To Have Fun(Cyndi Lauper)、Careless Whisper(Wham!)、Like A Virgin(Madonna)、We Are The World(USA For Africa)など、ビッグネームたちの錚々たる代表曲が並んでいるようにみえる。
たしかに、Michael Jacksonの『Thriller』のビデオクリップは圧倒的なインパクトがあった。でも、曲的にはひとつ前のALBUMの「Don't Stop 'Til You Get Enough」、「Rock With You」などの方がしっくりときていた。
Hall & Oatesにしても「Maneater」よりも「Wait for Me」「Kiss on My List」などが、Princeにしても「When Doves Cry」より「Little Red Corvette」の方が曲としての魅力を感じた。
■ Hall & Oates 「Maneater」 (1983)
■ Hall & Oates 「Wait For Me」 (1979)
Madonnaについても、Studio1stALBUM「Madonna」(1983)と大ヒットした「Like a Virgin」(1984)を聴き比べたときに同じような印象を抱いた。
■ Madonna 「Holiday」
「Madonna」(1983)収録。
リズムに新しいテクノロジーは入ってきているものの、曲全体のイメージはこれまでの洋楽の流れを引き継いでいる。
4つ打ちっぽいけど、ベースはアップビートでダンスもヨコノリ。
先日、同世代の友人たちと飲んだときに、こんなハナシが出た。
それはいま振り返ると、H&Oにせよ、Journeyにせよ、世間で大ブレークしたときにはすでにピークを過ぎていたのではないか? ということだ。
そして、この大ブレークする直前にこの世代にとって面白い音楽とそうでなくなってしまった音楽のボーダーラインがあるというのだ。(「14番目の月」説)
例えば、H&Oの『Private Eyes』('81)と『H2O』('82、ブレークは'83)。前者は全米5位だが、後者は全米1位で彼ら最大のヒットとなった。
でも『H2O』を聴いたとき、「なにか違う」という違和感を感じたことはたしかで、大ヒットした"Maneater"もたいした曲には思えなかったわけだ。
Journeyにしても、データ的には『Escape』('81)のほうが売れているが、日本での反響は『Frontiers』('83)のほうが大きかったような気がする。
そして『Frontiers』をきいたときも『H2O』とおなじ違和感を覚えた。
Michael Jacksonもそうで、少なくとも仲間うちでは、歴史的メガヒットとなった『Thriller』('83)より前作『Off The Wall』('79)の評価が高い。
■ Journey 「Still They Ride」 (1981) / ALBUM『Escape』収録
このとき感じた違和感が何だったかは断言できないけれど、厚化粧で妙な圧迫感があり、心底から音に浸れない心地わるさがあったように思う。
そして、その原因はやはりオーバープロデュース、いいかえれば、楽曲が”作品”から”商品”へと変化しはじめたことが大きいような気がする。
■ Michael McDonald 「Our Love」 (1985)
個人的には「AORの時代」の終焉を告げたと思っている名曲。
■ Patti Austin 「if I belive」 (1985/Qwest)
Quincy Jonesの秘蔵娘、Patti Austinの名曲。女性Vo.だが、これも「AORの時代」の幕引きを感じる曲のひとつだと思う。
音楽をめぐる環境もこのころ大きな変貌を遂げていた。
MTVが一躍人気を集め、若者向けの飲食店などでもふつうに流されていた。
楽曲のよしあしより、ビデオクリップのできに話題が集中し、「ビデオクリップのでき(=MTVでの見映え)が悪いと、曲がよくてももはやヒットしない。」などと揶揄されたりした。
一方、1982年秋に発売が開始されたCDは、またたく間に市場シェアを上げ、1986年にははやくも販売枚数ベースでLPを追い抜いた。
CDはたしかに手軽で便利だが、はじめてその音を聞いたとき感じたいいようのない違和感はいまでも忘れられない。
妙な閉塞感があり、スネアやハイハットの音がすこ~んときれいに抜けないのだ。
「これはひょっとして音楽のつくり方や質じたいが変わっていくのでは?」という漠たる予感があった。
そして、事態はその予感をはるかに超えるスピードで進行した。
この頃Rapはますます勢力を拡大し、「hip hop(いまで言う”Old School”)」といわれる一大ムーブメントを形成しつつあった。
おりしもRock Steady Crewなどにより紹介されたブレイクダンス(breakin')が日本でも広まり、1983年_On SaleのHerbie Hancockは「Rock it」でGrandmixer DSTのスクラッチをとり入れ一世を風靡したのは↑に書いたとおり。
このような動きは当然のことながらRock/Pop Marketにも大きな影響を与え、次第にストリート感やアグレッシブな雰囲気が求められるようになっていった。
メロディ・ハーモニー・リズムがバランスよく構成されていたそれまでの楽曲にくらべ、リズム(というかピッチ)が極端に重視されるようになった。
これは端的にいうと、「メロディの時代」から「リズム(ピッチ)の時代」への転換だったのではないか・・・。
単発的にこういう↓名メロ曲はでたけどね。
■ Starship 「We Built This City」 (1985)
■ BRUCE HORNSBY and the Range 「The Way It Is」 (1986)
■ Boy Meets Girl 「Waiting for a Star to Fall」 (1988)
いま振り返ると、ポピュラーミュージックをめぐるこのような環境の変化が重なって、(すくなくともわたしにとっては)「新譜を聴くのがあまり面白くない時代」に入っていったのではないかと思う。
決定的だったのは、ストック・エイトキン・ウォーターマン (Stock Aitken Waterman/SAW)絡みのプロジェクトがメインストリームとなったこと。
数年前までは、こんな4つ打ちベタメロ曲が、まさか洋楽から出てくるとは思いもしなかった・・・。
■ Kylie Minogue 「Turn It Into Love」 (1988)
これだったら日本でも作れるし洋楽聴く必要ないじゃん、と思ったわけです私的には。
で、やっぱり日本でも大ヒットとなったわけです。↓
■ WINK 「愛が止まらない」 (1988)
このあたりについては→■ 4つ打ちとグルーヴ (音のスキマ論-0)に書いているので、ご興味のある方はどーぞ。
(さらにもう1回つづきます。)
→■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)【1983年洋楽ピーク説】
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
■ 1983年洋楽ピーク説(名曲編)
■ AOR系名曲を100曲! ※リンク切れあり
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム
■ AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
■ プログレハードの名曲
■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】
■ 女神系歌姫【Angel Voice列伝 】のリスト(110曲)(カラバトU-18系含まず、リンク切れ多数)
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