ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H23.5.8(日) お座敷富士芝桜、はまかいじ、富士芝桜まつり号

2011-05-08 | 中央線・中央本線(その他)
 久しぶりに俯瞰場所に行ったものの、道を歩けば数mおきに大きなハチがブンブン。


 まずはお座敷富士芝桜を撮る。


 「はまかいじ」を待っていてもブンブン。
 じっとしていれば襲われることはないのだが、やはり怖いので去ることにした。



 アーチ橋で富士芝桜まつり号を撮って帰宅。

H23.5.6(金) 釜石線

2011-05-08 | 東北
 この日は釜石線に乗ることにした。


 盛岡から「はまゆり1号」に乗車。


 新花巻を出るとのどかな景色が広がる。
 土沢駅の上りホームでは満開のさくらが乗客を出迎えていた。


 並行する国道には自衛隊のトラックが何台も連なって釜石方面に向かっていた。
 猿ヶ石川にそった田園風景は平和でのどかであり、この先に被災地があるとは思えないが、国道283号線は被災地の生命線のひとつなのだ。


 陸中大橋のオメガカーブを見下ろす。

 終着釜石に近づくと、避難所や自衛隊の駐留している場所が見られた。


 久しぶりの釜石に到着。
 前に来たときは南リアス線で釜石に到着し、山田線で宮古に向かった。


 駅を出て、三陸鉄道南リアス線に沿って少々歩いてみた。
 橋脚に取り付けられている検査用足場の海側の鋼材がひん曲がっているのが見られた。
 


 昼食は駅前の市場でいくら丼。


 市場でおみやげを買って盛岡行き「はまゆり6号」で盛岡へ引き返した。

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 盛岡からは「はやぶさ」で帰宅。
 先頭車の前にはたくさんの人が写真を撮っていた。





 夕食は盛岡の「鮭はらこめし」。

 はやぶさは、本来の俊足は活かせないところだが、たくさんの人を運び、大宮まで満席だった。
 

H23.5.5(木) 津軽線に乗って龍飛崎へ

2011-05-08 | 東北
 この日は津軽線の未乗区間である中小国以北と、青函トンネル記念館に行くことにした。


 朝6時頃にホームに行くと「はまなす」が停車していた。
 青森駅は寝台列車がたくさん見られる貴重な駅である。


△N13編成
 まずは蟹田行きに乗車。


 蟹田からはキハ40-558+キハ40-539。


 中小国を出ると津軽海峡線が分岐していく。


 終点三厩まであと少し。


 三厩駅が見えてきた。


 奥に山が横たわり、終着駅らしい雰囲気だ。


 山には雪が残っている。


 青函トンネル記念館でケーブルカー乗車。


 30分程度、涼しい坑道を散策。



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 青函トンネル記念館を出て龍飛崎へと向かう。
 途中に慰霊碑があったので立ち寄ってみる。
 慰霊碑は龍飛岬の灯台、そして海の向こうの渡島半島を眺める丘の上に建立されている。


 津軽海峡らしくない晴天に恵まれた。


 朝食をとっていないので三色丼。
 味噌汁の香りがたまらなかった。


 灯台まで登った後、階段国道を下って海岸へ。
 花が植えられ、よく整備された国道であった。


 海が見えてきた。


 三厩駅に戻り、青森駅に戻った。

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 夕食は、青森に泊まった際は寄っている駅近くの「おさない」でほたて定食。

H23.5.4(水) 青い森鉄道 青森駅

2011-05-08 | 東北
 東北新幹線の新青森開業に伴い、八戸~青森間の並行在来線は青い森鉄道に移管された。


 移管後初めての青森駅の訪問だが、1番線で青い森鉄道の車両が見られた。


 駅名標はこんな感じに。

 青い森鉄道の青森駅乗入れに伴い、青い森鉄道のきっぷ売り場が新設されたが、改札・跨線橋はJRと共用である。


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 夕食は久々に味噌カレー牛乳ラーメン。

H23.5.4(水) 新幹線列島縦走

2011-05-08 | その他
 今春、九州新幹線の博多~新八代間が開業し、青森から鹿児島まで新幹線でつながった。

 いままで東京~博多間でさえ通して乗車したことはなったが、せっかくなので一気に乗りとおしてみることにした。

 乗車する列車は順に、鹿児島中央~新大阪間がみずほ600号、新大阪~東京間がのぞみ16号、そして東京~新青森間がはやて131号(こまち131号併結)である。
 鹿児島中央を6時58分に出発し、新青森に18時33分に到着する長距離旅行であり、これまでの一日の移動距離の最長記録となる。
 もちろん、北海道まで渡ればその距離はより長くなるが、今回は新幹線に限定し、青森までの旅行とした。



△S6編成
 みずほ600号は鹿児島中央12番線から発車する。
 普通車の窓側は満席だったため、奮発してグリーン車にした。



 隣の11番線からは8時02分に新下関行きが出発する。
 もともと山口県は九州と繫がりが深く、下関あたりから福岡市内まで通勤している人も少なくないが、このようなきめ細かい便が設定されている新ダイヤは興味深い。



 朝食は駅弁。
 薩摩鶏めし。

 新八代付近は下り列車と同様、減速して通過していた。
 熊本で多くの乗客がいたため普通車を見に行くと満席になっていた。

 山陽新幹線はトンネルが多く、岡山あたりで少々飽きてきたが、岡山まで来れば新大阪まではあと少し。

 宮原区にとまっている7連の205系を見て、新大阪定着。


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△S9編成
 新大阪到着後、たくさんの人がS6編成を撮影していた。
 みずほ・さくらは大人気。

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 新大阪からは通路側だったので、睡眠。
 いつもだと、2時間半が長く感じるが、今回は11時間の長旅のうちの一部だからか、さほど気にならず。



△Z9編成(左)
 東京駅到着後に記念撮影。

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△J11編成
 東北新幹線ははやて131号に乗車。
 この列車で新青森を目指す。



△K42編成
 隣のホームには200系。


 東北新幹線は臨時ダイヤとなっており、はやて131号は東京駅を13時56分に出発し、途中、上野、仙台、盛岡以北の各駅に停車し、新青森には18時33分に到着するダイヤとなっている。
 東京を定刻に出発すると、神田駅に進入する中央線T25が見えたが、久々に中央線を見たような気がした。

 上野を出ると停車駅、到着時刻の案内が流れるが、「一部の区間にて速度を落として運転しております」「速度を落とした到着時刻をご案内します」との説明があり、まだ本当の復旧ではないんだなと思う。

 那須塩原の手前で徐々に減速し、車窓の流れを見ていると、はやて本来の速度でないことは明らかであった。

 いつもよりゆったりとした走りであるが、車窓には満開のさくら、水を張った田んぼ、春の景色を眺められた。

 15時01分、新白河を通過したが、福島の車窓はいつもと変わらず。
 15時11分、東北道と交差したが、上り方面は渋滞していた。
 15時15分、房総色の209系を見て、郡山通過。
 15時30分、屋根にブルーシートを被った家が数軒見られた。
 15時32分、福島駅通過。

 15時58分、広瀬川を渡ると仙台駅の乗換え案内放送があり「常磐線、仙石線、一部運転見合わせがあります」との説明があった。
 案内放送は淡々としていたが、太平洋岸に甚大な被害を受けた区間があることを意味している。

 16時01分、仙台定着。

 16時36分、一ノ関を通過。
 このあたりでも田んぼに水が張られ、トラクターが動いているのが見えた。

 17時10分、E5系とすれ違う。


 17時13分、盛岡駅に到着。


 ここで少々停車し、はやて131号は17時26分発なのでホームを散策。

 18時18分、七戸十和田駅を出発。
 「つなげよう、日本。」のポスターの撮影地を通過。

 18時27分、八甲田トンネルを出る。



 18時33分、新青森12番線に到着。



 長旅であったが、さほど疲れなかった。
 現在、東北新幹線は臨時ダイヤだが、E5系が本領発揮した後、もう一度列島縦走をやってみようと思った。

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 整備新幹線の歴史を振り返ると、鉄道を取り巻く社会・経済の影響を受け、昭和57年には事実上の凍結となったものの、昭和62年には凍結解除、しかし、その後も「ミニ新幹線」や「スーパー特急」といった整備方式で進められることになった。

 凍結解除のあたりから記憶にあるが、スーパー特急方式はともかく、貨物列車が多く、東京からの距離を考えると時間短縮の小さい東北本線のミニ新幹線化は、本当にいいのかなぁと思っていたが、四半世紀を経て、いずれもフル規格で開業した。

 振り返ってみると、紆余曲折あったが、フル規格による全線開業を目指してきたんだなと思った。