ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

中央線201系定期運用終了(H22.10.14)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)
 この日は15時まで会合があったが、午後は半休を取っていたので、終了後直ちに退社し、東京駅へ。

 朝は八王子駅を発着するH7編成を撮ったが、夕方は帰宅客の並ぶ東京駅で撮ることに。
 中央線201系が東京駅の2番線に入るのは、これが最後である。
 17時半だとまだ帰宅ラッシュのピーク前であるが、201系入線前に乗客の列ができた。





 東京駅では201系を最もよく撮った場所であるが、ここでの撮影はいよいよ最後となる。
 慎重にシャッターを押した。



 定期運用最終日とあって、H7編成が到着すると、学校帰りの学生たちが201系の顔のまわりをとり巻く。

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 H7編成は、立川まで往復した後、東京駅19時27分発の豊田行きとなり、これをもって中央線における通勤輸送の使命を終える。

 19時前に、会社から仕事の電話があったが、19時20分以降、1時間ほどは電話に出られないのでよろしく、と伝える。


 


 最後は東京駅重層化で登場したアーチ屋根の下で入線風景を撮ることにした。



 ドアが開き、東京駅最後の乗降が始まる。


 感慨深いものがあり、ゆっくり眺めたいところだが、乗り逃すわけには行かないので、数枚撮影して、モハ201-254に乗り込む。

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 帰宅ラッシュ時間帯だが、それにしても混雑している。
 まわりを見渡すと、そこらじゅうに見覚えのある顔が。
 沿線の201系ファンが集結しているのだ。

 神田、御茶ノ水と、一般客も何かを察したのか、乗る前に写真を撮っている。

 201系は、飯田橋の急カーブをいつもどおり通過し、お堀端を快走。

 新宿では、いつもより多くの乗客があり、出発がやや遅れた。

 中野駅でも乗降に手間取っているようでホームから「この電車、通常より混雑しております」という放送が聞こえてきた。
 通常ではないことを匂わす放送に、車内の201系ファンは苦笑。
 一般客も、「この電車、最後みたいだね」などと話している。

 途中駅で、普段から201系を追っかけている人が下車しているのが見えた。
 あれ、豊田まで行かず、ここで降りてしまうのか・・・と思ったら、写真を撮り、再び乗車していた。
 自分の駅の201系最後の停車を撮ったのだろうか。


 通常であれば、少しづつ乗客が減るのだが、なかなか減らない。
 三鷹、武蔵境、東小金井・・・と、201系は各駅に別れを告げ、終着豊田がだんだん近づいてくる。
 ムコ区を見下ろすと、あと少しだなと思う。



 国分寺では通勤快速大月行きを待つため、少々停車。
 最後尾1号車は撮影会状態になっていた。

 
 再び2号車に戻り、車内を見渡すと、201系ファンばかり。
 これまで中央線・青梅線などで見かけた201系ファンが集結し、最後の定期運行にふさわしい車内となっていた。


 最後の多摩川もいつもどおり爆音をとどろかせ通過。

 日野駅を出るといよいよ最後の一駅である。
 車内の乗客は最後の一駅を様々な思いで過ごしているようであった。


 豊田駅に入る手前で、車内放送が流れる。
 車掌は最後に「本日は201系にご乗車いただきましてありがとうございます」と添え、車内の乗客は満足げであった。

 H7編成は、途中混雑したものの、豊田駅にて無事使命を終えることができた。





 中央線201系が最後の定期運用を通勤電車本来の姿で終えられたこと、そしてたくさんの201系ファンとともに過ごせたことはなによりであった。


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