東日本大震災から4年経った。
あの日は、東京・江東区の仕事場にいた。
建物の一部に亀裂が入り、
会社に居残るのは危険ということで、
全員帰宅を命ぜられた。
私はとにかく東京駅に向かった。
東京駅なら列車の情報も入るだろう。
公衆電話も多いし、
おそらく一晩中開放されるはずだ。
広い構内の地下通路にいれば寒くない。
そう考えたのだ。
東京駅まで歩いて2時間。
しかし、その間色々な人間を見た。
とにかくタクシーをつかまえようとする人。
明らかに客が乗っているのに、窓を叩く。
空車に出会う確率はゼロに近かったが、
このような行為もいかがなものか。
門前仲町では、店先に止めてあった自転車を盗み、
そのまま走り去ろうとしていた若い男がいた。
誰もが、自転車があればと考える。
しかし、盗む人間がいるとは・・。
この男は、すぐに店の人と通行人に囲まれ、
自転車を置いて走って逃げた。
とりあえず夕飯をと思う。
が、電気やガス、仕入がストップし、
早々に閉店した店も多かった。
マックも、店員の女の子が『閉店させて頂きます』と叫んでいる。
そんな中、立ち食いそば店が開いていた。
こちらも店員が
『そばは出来ますが、釜が使えないのでご飯類は出来ません』
と、声を枯らしている。
私は、こういう時はあるものだけで我慢と考え、
かけそば一杯だけ注文する。
すぐに出てきた。
が、それでもいろんな注文をする人が後を絶たない。
「定食ぐらい出来ないの?」
「食券の販売機はご飯あるじゃない」
「出せるもの書いて貼れよ」
店員だって、未曾有の地震で混乱している。
それでもハッキリと、作れるものと作れないものを、
大声で案内しているのに。
店員は、こういう客の応対に追われ、
肝心な蕎麦を作れなくなっていた。
東京駅前で、私に思いきりぶつかった人。
何をそんなに慌てて急いでるんですか?
暗くなり、大勢の人でごった返している中、
やたら走り回っている人を大勢見た。
こういう時こそ、冷静でいないとと思う。
駅では、通路にしゃがむ女性を、
明らかに盗撮しているような男もいた。
でも、優しさにもたくさん触れた。
運転再開して、激混みの大江戸線では、
気分を悪くする人が続出した。
そんな中、乗客が声を掛け合って駅員を呼んだり、
手を貸す人もいた。
そして、階段や通路に座る人が大勢いたが、
必ず、人が一人分歩けるスペースを空けている。
これは、のちに外国人が絶賛したという。
東京駅のテレビで、東北の状況を初めて知る。
こちらも帰れるアテがない人ばかりだったが、
「気の毒に」「可哀想」という声があちこちから聞こえる。
大半の人は、自分達の状況をわきまえていたと思うし、
日本人の協調や助け合いの心が、滲み出ていたと思っている。
人の性格や本性は、大災害の時に出るのだろう。
でも、命があっただけでも幸せなのだ。
あれから4年。
思い出せるという事は、生きている事他ならない。
命や人との絆を粗末にしてはいけない。
あの日は、東京・江東区の仕事場にいた。
建物の一部に亀裂が入り、
会社に居残るのは危険ということで、
全員帰宅を命ぜられた。
私はとにかく東京駅に向かった。
東京駅なら列車の情報も入るだろう。
公衆電話も多いし、
おそらく一晩中開放されるはずだ。
広い構内の地下通路にいれば寒くない。
そう考えたのだ。
東京駅まで歩いて2時間。
しかし、その間色々な人間を見た。
とにかくタクシーをつかまえようとする人。
明らかに客が乗っているのに、窓を叩く。
空車に出会う確率はゼロに近かったが、
このような行為もいかがなものか。
門前仲町では、店先に止めてあった自転車を盗み、
そのまま走り去ろうとしていた若い男がいた。
誰もが、自転車があればと考える。
しかし、盗む人間がいるとは・・。
この男は、すぐに店の人と通行人に囲まれ、
自転車を置いて走って逃げた。
とりあえず夕飯をと思う。
が、電気やガス、仕入がストップし、
早々に閉店した店も多かった。
マックも、店員の女の子が『閉店させて頂きます』と叫んでいる。
そんな中、立ち食いそば店が開いていた。
こちらも店員が
『そばは出来ますが、釜が使えないのでご飯類は出来ません』
と、声を枯らしている。
私は、こういう時はあるものだけで我慢と考え、
かけそば一杯だけ注文する。
すぐに出てきた。
が、それでもいろんな注文をする人が後を絶たない。
「定食ぐらい出来ないの?」
「食券の販売機はご飯あるじゃない」
「出せるもの書いて貼れよ」
店員だって、未曾有の地震で混乱している。
それでもハッキリと、作れるものと作れないものを、
大声で案内しているのに。
店員は、こういう客の応対に追われ、
肝心な蕎麦を作れなくなっていた。
東京駅前で、私に思いきりぶつかった人。
何をそんなに慌てて急いでるんですか?
暗くなり、大勢の人でごった返している中、
やたら走り回っている人を大勢見た。
こういう時こそ、冷静でいないとと思う。
駅では、通路にしゃがむ女性を、
明らかに盗撮しているような男もいた。
でも、優しさにもたくさん触れた。
運転再開して、激混みの大江戸線では、
気分を悪くする人が続出した。
そんな中、乗客が声を掛け合って駅員を呼んだり、
手を貸す人もいた。
そして、階段や通路に座る人が大勢いたが、
必ず、人が一人分歩けるスペースを空けている。
これは、のちに外国人が絶賛したという。
東京駅のテレビで、東北の状況を初めて知る。
こちらも帰れるアテがない人ばかりだったが、
「気の毒に」「可哀想」という声があちこちから聞こえる。
大半の人は、自分達の状況をわきまえていたと思うし、
日本人の協調や助け合いの心が、滲み出ていたと思っている。
人の性格や本性は、大災害の時に出るのだろう。
でも、命があっただけでも幸せなのだ。
あれから4年。
思い出せるという事は、生きている事他ならない。
命や人との絆を粗末にしてはいけない。