いつかこの奇書について書こうとは思っていたが・・・・
ついにその時が来たようだ。
すでに絶版状態であった高取英著の月蝕版『ドグラ・マグラ』。
先日、つい丸尾末広画のカヴァーにつられてまぁまぁの値段で落札入手。
本書は、夢野久作の長編作である驚異の著書『ドグラ・マグラ』を、高取英自らが指揮する月蝕歌劇団の舞台用に書き下ろされたもの。
夢野久作の原作は660ページにもおよぶ長編なんであるが、高取氏はそれを2時間の舞台仕様の、たった140ページの戯曲として再構築するという離れ業をやってのけている。
う~ん、キチGuyだね。
夢野久作が10年間構想した末に、またさらに10年かけて執筆したという『ドグラ・マグラ』は、日本三大奇書のひとつとされており、この恐るべき書を最後まで読み通した者は精神に異常をきたすといわれている。
かくいう私は、本ブログのプロフに記しているように、過去に本書を2度読了したんであるが、今日まで精神病院に収監されたり、狂人解放治療場の住民になることもなく無事に過ごせているのは、多分頭があまり良くなかったからだろう。
現代教養文庫の表紙が秀逸。あとちくま文庫竹中英太郎画もいい。いずれも絶版。
まぁなんせ戦前に書かれた物語だからなぁ、今じゃ使っちゃイケナイ表記がバンバン出てくる。
浪人時代、創元推理文庫の日本探偵小説全集の背表紙を完成させるべく購読したのが最初。
読んでて、「これって探偵小説?」と疑問に感じながらも、今までにない壮大なスケールで描かれた、空前絶後のこの夢久キチガイワールドにズルズルとひきずりこまれていったのでした。
本作は以下のような巻頭歌で幕を開ける。
そして、一番最初の第一行が・・・・ブウウーーーーンンン・・・・・ンンン・・・・・という片仮名の行列から始まって、九州帝国大学内の精神病棟のベッドの上で目覚めた記憶喪失の青年が、隣の病室から自分のことを「お兄様・・・」と呼びかける謎の少女の声に面喰い、自分が誰だかわからないまま己の素姓を探っていくという、人間椅子の曲「どっとはらい」の歌詞でいうところの「正気の沙汰はおしまい 狂気の沙汰のはじまり」といったような、怪異と狂気に満ち溢れた目眩く物語が展開していく。
青年の主治医と思われる若林教授に案内さるがまま、青年は病院内の精神病患者に関する資料室に通される。
自分の過去をその「キチガイ病院の標本室」から探し出すよう促された青年は、そこで五寸くらいの高さに積み重ねてあった原稿紙の山を発見する。
その標題が『ドグラ・マグラ』。
その原稿紙に記されている概要は以下のようなものである。
◆「精神病院はこの世の活地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経の文句。
◆「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記。
◆胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文。
◆「脳髄は一種の電話交換局にすぎない」と喝破した精神病患者の演説記録。
◆冗談半分に書いたような遺言書。
◆唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像。
◆その腐敗美人の生前に生き写しともいうべき現代の美少女に恋い慕われた一人の青年が無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るに堪えない傷害、殺人事件の調査書類。
その内容は、論文のようでもあり、小説のようでもある、一種の超常識的な科学物語とでも申しましょうか・・・・
科学趣味、猟奇趣味、色情表現、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが、全編の隅々まで百パーセントに重なり合っているというきわめて幻惑的な構想で、落ち着いて読むとさすがに、精神異常者でなければトテモ書けないと思われるような気味の悪い妖気が全篇に漂っているという。
面黒楼万児とかいう人物が書きあげた『キチガイ地獄外道祭文』
スカラカラ、チャカポコ、チャカポコ・・・と、阿呆陀羅経にのせて語られれる告発文。
原作では、この調子で気が触れたかのような奔放な主張が約30ページにも渡ってクドクド記されており、これはいささか久作の悪ノリが過ぎた文章と思われ、大概の人はここでダレてしまって読むのを途中でやめてしまう傾向にある。
(『ドグラ・マグラ』は学生の頃に3人の者にススメて読ませたんだが、読了した者はひとりもいなかった)
私も読んでて確かにダルかった。
高取氏はそれをなんとタッタの2ページにまとめてしまっている。
まさにキチGuyだね。
そして、呉一郎を発狂せしめたという謎の絵巻物の存在。
そこには8世紀の唐の時代、玄宗皇帝に仕えていた若き宮廷画家呉青秀が、楊貴妃に狂った我が君主を諌めるため描いたという死美人の、肉体の腐り果てていく経過が段階的に描かれているという。
日本でいうところの『九相図』というものである。
人間椅子が「九相図のスキャット」(アルバム『退廃芸術展』収録)という曲で、その腐敗していく様を歌っているので、是非参考にされたし。
    
まぁこの高取氏の『ドグラ・マグラ』月蝕版、もう20年くらい読んでなかったこの驚異の長編作の概要を手っとり早くおさらい、吸収する要約本としては、かなりよくまとめられていて、今更「ああ、そういう事だったのか!」なんて気づかされる点もいくつかあったり。
ただ、やっぱ戯曲形式ってのはゲーテの『ファウスト』読んだ時からなんか苦手で、やっぱ舞台を意識した構成がなんか読みづらく集中できなかったりする。
忍耐力が必要とはいえ、やはり久作の原作の方が文章全体に学術的でユーモア溢れる妖気に満ち満ちていて読んでて楽しかった(片仮名の使い方とか)。
あと、月蝕版には途中、青年と若林教授とのやりとりで、ついつい作者が(若林のセリフを通して)舞台を見ている観客に話しかけるようなセリフをいう、ちょっとジョークを挟んでみましたみたいな場面がある。(ここが原作に隠されているまさに混沌とする「ドグラ・マグラ」なシーンなんであるが)
このテイストがなんか手塚マンガの雰囲気に似ているなと。
そしたら、巻末の作者の解説で、「ドグラ・マグラ」は、鉄腕アトムを作った天馬博士というマッド・サイエンティストの所業とダブるところがあって、そっから「ドグラ・マグラ」の再構築の発想を得たという。
聞けば高取氏は、手塚マンガにかなり影響を受けているらしく、あの手塚治虫の絶筆となった『ネオ・ファウスト』の続編として、『ネオ・ファウスト地獄編』という戯曲を書いて舞台化している。
高取英の舞台『ドグラ・マグラ』は、1995年万萬スタジオで上演され、翌年1996年にはロシアの2ヵ所の劇場で上演されている。
現地では熱烈な歓迎を受け、終演後500人を超える人からサインぜめにあったとか。
ロシア・サンクト・ペテルブルグでの公演の様子。
その後も『ドグラ・マグラ』は、何回も上演され、今では月蝕歌劇団を代表する作品になったという。つい昨年も上演されたらしい。
ただこの劇団は東京を中心に活動を行っているため、関西にくることはほとんどないという。
で、高取英氏は昨年急逝されたとか・・・・
なので、今後『ドグラ・マグラ』が再演されるかどうかはわからないが、これは本で読むより、やっぱり実際舞台を見てみたい。
なんとかこっちでも上演してくれるとよいのだが・・・・
アーーっ、チャカポコチャカポコ。
ついにその時が来たようだ。
すでに絶版状態であった高取英著の月蝕版『ドグラ・マグラ』。
先日、つい丸尾末広画のカヴァーにつられてまぁまぁの値段で落札入手。
本書は、夢野久作の長編作である驚異の著書『ドグラ・マグラ』を、高取英自らが指揮する月蝕歌劇団の舞台用に書き下ろされたもの。
夢野久作の原作は660ページにもおよぶ長編なんであるが、高取氏はそれを2時間の舞台仕様の、たった140ページの戯曲として再構築するという離れ業をやってのけている。
う~ん、キチGuyだね。
夢野久作が10年間構想した末に、またさらに10年かけて執筆したという『ドグラ・マグラ』は、日本三大奇書のひとつとされており、この恐るべき書を最後まで読み通した者は精神に異常をきたすといわれている。
かくいう私は、本ブログのプロフに記しているように、過去に本書を2度読了したんであるが、今日まで精神病院に収監されたり、狂人解放治療場の住民になることもなく無事に過ごせているのは、多分頭があまり良くなかったからだろう。
現代教養文庫の表紙が秀逸。あとちくま文庫竹中英太郎画もいい。いずれも絶版。
まぁなんせ戦前に書かれた物語だからなぁ、今じゃ使っちゃイケナイ表記がバンバン出てくる。
浪人時代、創元推理文庫の日本探偵小説全集の背表紙を完成させるべく購読したのが最初。
読んでて、「これって探偵小説?」と疑問に感じながらも、今までにない壮大なスケールで描かれた、空前絶後のこの夢久キチガイワールドにズルズルとひきずりこまれていったのでした。
本作は以下のような巻頭歌で幕を開ける。
そして、一番最初の第一行が・・・・ブウウーーーーンンン・・・・・ンンン・・・・・という片仮名の行列から始まって、九州帝国大学内の精神病棟のベッドの上で目覚めた記憶喪失の青年が、隣の病室から自分のことを「お兄様・・・」と呼びかける謎の少女の声に面喰い、自分が誰だかわからないまま己の素姓を探っていくという、人間椅子の曲「どっとはらい」の歌詞でいうところの「正気の沙汰はおしまい 狂気の沙汰のはじまり」といったような、怪異と狂気に満ち溢れた目眩く物語が展開していく。
青年の主治医と思われる若林教授に案内さるがまま、青年は病院内の精神病患者に関する資料室に通される。
自分の過去をその「キチガイ病院の標本室」から探し出すよう促された青年は、そこで五寸くらいの高さに積み重ねてあった原稿紙の山を発見する。
その標題が『ドグラ・マグラ』。
その原稿紙に記されている概要は以下のようなものである。
◆「精神病院はこの世の活地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経の文句。
◆「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記。
◆胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文。
◆「脳髄は一種の電話交換局にすぎない」と喝破した精神病患者の演説記録。
◆冗談半分に書いたような遺言書。
◆唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像。
◆その腐敗美人の生前に生き写しともいうべき現代の美少女に恋い慕われた一人の青年が無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るに堪えない傷害、殺人事件の調査書類。
その内容は、論文のようでもあり、小説のようでもある、一種の超常識的な科学物語とでも申しましょうか・・・・
科学趣味、猟奇趣味、色情表現、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが、全編の隅々まで百パーセントに重なり合っているというきわめて幻惑的な構想で、落ち着いて読むとさすがに、精神異常者でなければトテモ書けないと思われるような気味の悪い妖気が全篇に漂っているという。
面黒楼万児とかいう人物が書きあげた『キチガイ地獄外道祭文』
スカラカラ、チャカポコ、チャカポコ・・・と、阿呆陀羅経にのせて語られれる告発文。
原作では、この調子で気が触れたかのような奔放な主張が約30ページにも渡ってクドクド記されており、これはいささか久作の悪ノリが過ぎた文章と思われ、大概の人はここでダレてしまって読むのを途中でやめてしまう傾向にある。
(『ドグラ・マグラ』は学生の頃に3人の者にススメて読ませたんだが、読了した者はひとりもいなかった)
私も読んでて確かにダルかった。
高取氏はそれをなんとタッタの2ページにまとめてしまっている。
まさにキチGuyだね。
そして、呉一郎を発狂せしめたという謎の絵巻物の存在。
そこには8世紀の唐の時代、玄宗皇帝に仕えていた若き宮廷画家呉青秀が、楊貴妃に狂った我が君主を諌めるため描いたという死美人の、肉体の腐り果てていく経過が段階的に描かれているという。
日本でいうところの『九相図』というものである。
人間椅子が「九相図のスキャット」(アルバム『退廃芸術展』収録)という曲で、その腐敗していく様を歌っているので、是非参考にされたし。
    
まぁこの高取氏の『ドグラ・マグラ』月蝕版、もう20年くらい読んでなかったこの驚異の長編作の概要を手っとり早くおさらい、吸収する要約本としては、かなりよくまとめられていて、今更「ああ、そういう事だったのか!」なんて気づかされる点もいくつかあったり。
ただ、やっぱ戯曲形式ってのはゲーテの『ファウスト』読んだ時からなんか苦手で、やっぱ舞台を意識した構成がなんか読みづらく集中できなかったりする。
忍耐力が必要とはいえ、やはり久作の原作の方が文章全体に学術的でユーモア溢れる妖気に満ち満ちていて読んでて楽しかった(片仮名の使い方とか)。
あと、月蝕版には途中、青年と若林教授とのやりとりで、ついつい作者が(若林のセリフを通して)舞台を見ている観客に話しかけるようなセリフをいう、ちょっとジョークを挟んでみましたみたいな場面がある。(ここが原作に隠されているまさに混沌とする「ドグラ・マグラ」なシーンなんであるが)
このテイストがなんか手塚マンガの雰囲気に似ているなと。
そしたら、巻末の作者の解説で、「ドグラ・マグラ」は、鉄腕アトムを作った天馬博士というマッド・サイエンティストの所業とダブるところがあって、そっから「ドグラ・マグラ」の再構築の発想を得たという。
聞けば高取氏は、手塚マンガにかなり影響を受けているらしく、あの手塚治虫の絶筆となった『ネオ・ファウスト』の続編として、『ネオ・ファウスト地獄編』という戯曲を書いて舞台化している。
高取英の舞台『ドグラ・マグラ』は、1995年万萬スタジオで上演され、翌年1996年にはロシアの2ヵ所の劇場で上演されている。
現地では熱烈な歓迎を受け、終演後500人を超える人からサインぜめにあったとか。
ロシア・サンクト・ペテルブルグでの公演の様子。
その後も『ドグラ・マグラ』は、何回も上演され、今では月蝕歌劇団を代表する作品になったという。つい昨年も上演されたらしい。
ただこの劇団は東京を中心に活動を行っているため、関西にくることはほとんどないという。
で、高取英氏は昨年急逝されたとか・・・・
なので、今後『ドグラ・マグラ』が再演されるかどうかはわからないが、これは本で読むより、やっぱり実際舞台を見てみたい。
なんとかこっちでも上演してくれるとよいのだが・・・・
アーーっ、チャカポコチャカポコ。
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