近鉄山田線で
鳥羽方面へ…
すると、飛び込むこの巨大看板…
「斎宮」
斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、飛鳥時代から南北朝時代にかけて約660年間、「斎王」(天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のこと)の宮殿と斎宮寮という役所があったところ
この看板がみえる
「斎宮駅」で降りたってみれば
もう、その周辺が、すべて斎宮の遺跡で囲まれているといってもいいほど…
駅前にありがちな近代的なビル群はなく
駅舎すらも、古(いにしえ)の雰囲気を醸し出している
駅に降り立つと
あたかも平安時代にタイムするップしたかのようなこの感覚
「さいくう平安の杜」
ここには、9世紀に斎宮の中心的な施設だった「寮庁」の主要な建物が、発掘調査で発見された場所に実物大で復元されているんだな…
「西脇殿」
斎宮寮庁の中で最も大きな建物…切妻造・檜皮葺
この建物を建造するにあたっては、
厳島神社の客人神社、法隆寺聖霊院の建物を参考にしたそう
屋内での儀式や、遣いの方々をもてなす宴会などに活用されたらしい…
この日は、ここが「斎王まつり」の本部になっていたよう…
近づくと、スタッフの方が「斎王祭りは午後から…午前中の今なら斎宮歴史博物館の方へ行かれた方がいいですよ」と暗に、只今準備中であることをアピールされた…
ので、これ以上、近づくことは遠慮しました…
その隣には
「正殿」
高床の入母屋造りの檜皮葺き
斎宮寮長官が儀式を行ったり、都や神宮からの遣いを出迎えた建物
ここで、ステージイベントが午後行われるようで
スタッフの方はめちゃ忙しそう
そして、もう一つ
「東脇殿」
斎宮寮庁の中で最も柱が太く、壁がない門のような建物
祭祀などの際に寮庁の役人が立ち並び、儀式に臨む場所だったよう
ステージイベントの準備で、わちゃわちゃしてたのが残念だったけど
「斎王まつり」だから、しょーがない!!
さてさて、駅前にあるハコモノは「いつきのみや歴史体験館」
このすぐ横に、
ドラえもんを連れてきたら「さいおう?」…もとい「さいこう(最高)」な…
いや、ドラえもんを連れてこなくても、スモールライトさえあれば、「さいおう?」…もとい「さいこう(最高)」な…
「斎宮の1/10模型」が、野外、広大な、斎宮跡の敷地の中に、どどんとあるのよ!
実際、スモールライトは、ないので、ゴジラになった気分で、いや、破壊しませんから、ゴジラではなく
巨人!巨人!阿部監督になった気分で??
巨人の意味が違うがな
「斎宮の1/10模型」のあるところ
そこは、
「斎宮跡歴史ロマン広場」と呼ばれていて
ここには1/10史跡全体模型が
まさに、ロマン!ロマン!
フマンなんぞ、ありません!
えっ?私のお腹は、ヒマンだって?ほかっといて!痩せるまで、甘いものは、ガマン!
とロマンに引っ掛けたオヤジギャグを連発して
「歴史ロマン広場1/10史跡全体模型」のあるところへと
気分は「進撃の巨人」
けっしてそこにいる斎王を食べたりはしないけど…
おお、平安時代の斎宮がここに…
このあたりは「内院」
斎宮の中心場所
ここに斎宮が暮らした寝殿もあったよう
内院には
斎王さまや、そのお付きの人もいました…
10分の1よりも小さく思えましたが…
まあ、ここは「1/10史跡全体模型」なので、この人形を10倍すると
人並みの大きさになるんでしょう…きっと…
斎王がいなくならないように
勝手に伊勢神宮へ連れていったりしないでね!
神殿…
寮庫
斎宮寮の倉庫…倉庫(そうこ)がそぅこにある…
おお、このスベッタオヤジギャグ、寒くなったかな…
この日は強烈な日差しで暑いほどだったので、ちょうどいいかも…
その横の原っぱ
ここには
「水部司」の表示
斎王に関する役所・斎宮寮に附属する機関「水部司」の建物がここら辺の位置にあったよう…
といっても10分の1のスケールなので、ここに建物があった訳ではないでしょうが
そのうち、「内院」「神殿」のように、復元されるのでしょうか…
こちらは、「水部司」と同じく斎宮十三司の一つ「膳部司」
「出居殿(でいどの)」
ここも内院の主要建物があった場所
感想…1/10史跡全体模型ってことは、実際はこの10倍…
もう広い!広い!!だだっ広い!!!
奈良の都、平城京を想起させるほどのダダっ広さ!!
東西2キロ、南北700メートルもあったんだって
大庭
ここには、大きな庭があったのでしょうか
あるいは、大庭という地名でしょうか
「大庭にニワ、ニワトリがいる…」
あ、ただ言いたかっただけです…汗
寮庁
ここは空き地のようになってますが
寮庁にあった建物は「さいくう平安の杜」にて復元されていましたね
八脚門
平成5年の冬、方格地割の南西墨の区画の南面で、堀に取りつく平安時代初期の八脚門が見つかったそうな…
斎宮跡で、八脚門が発見されているのは、この一例のみなんだって
こちらは、「水部司」「膳部司」と同じく斎宮十三司の一つ「馬部司」
内院から随分離れたところにある
「古里地区」
塚山古墳群
…ってことは、これが古墳の1/10模型でしょう
いやー、コフンだけにコーフンするねえ
田んぼの畦道のようなものが、1/10模型では「古道」となっていました
その「斎宮跡歴史ロマン広場」
1/10史跡全体模型の横では
古代米の栽培が
この案内板によると手前が赤米、そして奥が黒米…
収穫の時期に再訪したいものだ
とにかくだだっ広い
斎宮跡をウォーキング
「斎宮」の看板もデカい!私の大きさと比較すれば御覧のように…
トウモロコシ畑には鷹が飛ぶ???
写真の手前のカラスは近づけません!!
いやあ、のどかで、空気も美味しいし
さいおう(斎王)…もとい…さいこう(最高)
いやあ、このダダっ広さ
ここに住んで、毎日、斎宮跡を暑さを「ガマン」して、ウォーキングすれば
「ヒマン」が解消されるはず…
スリムになって
これぞ「歴史ロマン」だー!!??
さて、最後に紹介するのが
斎宮跡にある
「斎王の森」
かつては国史跡「斎宮跡」の中央部、斎王の御殿があったと伝わる場所
「斎王宮址」の石標が建立
「斎王の森」はかつては、ここが斎宮の中心部であると考証され、昭和4年に三重県により「史跡 斎王宮阯」の石碑が設置されたものの
発掘調査が進んで斎宮の全容が明らかになってくると、「斎宮の森」の地点が方格地割の外側にあることがわかってきたんだって
神社でもないのに「斎王の森」には鳥居が…それも、木製の鳥居
案内説明板
木々に囲まれて
「斎王宮阯」と刻まれた石碑が
今となっては斎宮の中心でないことが分かってしまった「斎王の森」
これ、私の勝手な推測だけど
昔むかし、明治時代か、江戸時代か、とにかく斎王(さいおう)の住んでいた場所をみつけよう!!みたいなイベントがあって
村人の誰かが、
「ここの木々に囲まれてるところ、神秘的な感じがするんだよね…このあたり臭えへん??」
「確かにこのあたりは、くさいのう…」
といった会話から…「この場所、くさいのう」…「くさいおう」…「く斎王」と
ここが、斎王が住んでいた場所と、伝承されてきたのでは…
「ここで斎王が暮らしていた」とみんなで、さ、言おう!!(さいおう)…なんてね!!
この、閃くオヤジギャグ
これ、私の「さいおう」???…もとい「さいのう(才能)」…!!
(苦笑)
…かも???