近鉄の斎宮駅近く
竹神社を参拝する
その敷地内には
斎宮城跡との標示が…
なんでも、室町時代後半、1555年、斎宮の住人・野呂三郎が、ここに城砦を築き、豊田五郎左衛門尉とともに、徳政一揆を起こして斎宮城に籠ったそうな…
だけど、六代国司・北畠材親が野呂三郎を討伐した…
そんな記述が「勢州軍記」といった軍記ものの中に載っているそうな
さらに、「斎宮村郷土史」では、竹神社を斎宮城に充てて「境内の周囲にのこっていた土堤はこの城砦の土塁であった」と記されているらしいけど、それについては、全く根拠がないんだって…
それよりも、この竹神社の境内やその周辺から、平安時代の大規模な塀列や堀立柱建物の跡が発掘されたため、ここが斎王の御殿のあった場所だったんではないかと推測されている場所なんだとか
さてさて、この竹神社
もともとは竹川の古里地区にあったそうなんだけど、明治時代、1911年に野々宮が祀られていた現在の場所に移動、さらに、旧斎宮村にあった25社の神様を合祀してできた神社だそうで
石鳥居
こちらは参宮街道に面した鳥居
もう一つ裏手に
鳥居があって、そこは、すぐ横に線路が走ってます
参宮街道に面した鳥居の
右手には「延喜式内竹神社」と刻まれた社号標
正面には紫陽花
そしてカラフルな風車が…
廻ってる!!
鳥居をくぐると左手に社務所、右手に手水舎
その手水舎が、めちゃインスタ映え(といっても、これ、ブログですけど)するのよ
6月ってことで季節の花
紫陽花をフューチャー
もう「芸術」って言ってもいいほどの美しさ
さいおう(斎王)だけに、さ、いおう!!(言おう!!)
「こんな美しい手水舎、他にあったっけ(あっ竹)」
…竹神社だけにね
あじさい、だけに、あ、じっさいに生でみるとめちゃ綺麗ですよ!
6月ということで、花に囲まれてカエルも
旧斎宮村にあった25の神社を合祀し、誕生した「竹神社」なので
ご祭神の神様がいっぱい!!
ざっとご祭神は
左右には阿吽の狛犬
めちゃ怒ってますな
きっと「おたけび(お竹び)」をあげていますな…「竹神社」だけにね
こちらは声をあげずに我慢したけど…「竹神社」だけにね
さてさて、境内は
斎王の御殿があった場所ではないかともいわれているも
今となっては、その御殿は欠片もなく消え去っていて
実に神秘的
拝殿に向かう途中には
お祓い所
庭園
石垣???それとも蕃塀
石垣だったら、斎宮城の遺構??
よくわかんないけど
伊勢神宮の崇拝所
伊勢神宮まで、ここから14キロ
車のない時代なので
やっぱ、ここで参拝を済まそうと思うかな
さてさて拝殿、奥には本殿
いかにも伊勢神宮に縁のある神社らしい神明造りの本殿
二礼二拍手一礼
謡曲「絵馬」は節分の夜に翁と姥が二つの絵馬をかけ並べ国土安穏を祈るというもの…
毎年大晦日に伊勢の斎宮で絵馬をかける行事
「斎宮の世だめし」がその元となっていて
もともと、参宮街道のこの辻は「斎宮絵馬辻」といわれ、
絵馬川という小川に絵馬橋が架かり、
絵馬の行事が行われていた絵馬堂があったそうだけど
絵馬堂は明治の終わりごろ、腐朽のため、堂が焼却されてしまうことに
そこにあった観世流の謡曲「絵馬」にちなんだ絵馬殿にあった絵馬が、竹神社に寄贈され
現在、竹神社の神宝として本殿に保管されているとか
これ、非公開なのかな
最後に、特別御朱印をば
斎王さまが、ちょいと悲し気なのが気になる
月から使いの者がくるのかな…
それ「竹取物語」やないか…はい、「竹神社」だけにね…
いや、竹をとったら、