2020年から、圧倒的に多くなっている神社仏閣巡り…
これもそれも、みんな新型コロナウイルスが悪いのよ!!
2021年3月の頃…この頃は緊急事態宣言まで出る始末…おかげで、夜、飲み歩けないし、楽しいイベントもことごとく中止…出かけるとなると、何となく神社巡りしか思いつかないのよ!!
…ってことで
今回紹介するのが、尾張旭市の瀬戸電、印場駅のすぐそばにある
「澁川神社」
「澁川神社」の「澁」が…渋い…
フツーに
「渋川神社」でもいいのかな…
社号標では「澁」でありました…
でも由緒が刻んだ碑は「渋川神社」です!!
まあ「澁」でも「渋」でも、どっちでもいいけど…ブログに書くなら、変換しやすい「渋」だな…
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一さんの「渋」だし…
かといって、渋沢栄一さんとはなんの関係もない「渋川神社」ですけど…
創始は景行天皇の御代と伝わる…927年に編纂された「延喜式」の神名帳の部分に、記載されている神社(式内社)で
御祭神は、高皇産霊神さま
天武天皇御即位の大典に際し大嘗祭の悠紀斎田を当地に定められるにあたり、大年神さま 御食津神さま 庭高日神さま 波比伎神さま 大宮売神さま 八重事代主神さまの、七柱を合祀されたとのこと…
大鳥居の右側に旧鳥居があって、そこから境内に入れることはできなくなってました…
さてさて、鳥居をくぐると
真正面が、拝殿
この写真は、境内から、旧鳥居を撮影…
ではでは、さっそく手を清めて…いや、ここまで瀬戸電で印場駅に辿り着くまでに、ひょっとしてへばりついているかもしれない新型コロナウイルスを洗い流すために
手水舎へと
手水舎は、御覧のように柄杓を使わなくてもよくなっていて、新型コロナウイルス感染症対策ばっちりでした!
でも、それまでは、きっとこの龍の口から、手水舎に水を吐いていたと思われる…その龍が、どこか寂し気で…
なんか、新型コロナウイルス感染症の影響で、職を失った人のようにも思えて…
はやく、この龍が活躍できるような世の中が戻ってくるのを願いつつ
新型コロナウイルスを洗い流した…もとい…手を清めた私…
早速、拝殿で、「二礼二拍手一礼」
高木が神格化された神様、高皇産霊神さま、お願い!!
高「木」の神様だけに
新型コロナウイルスに、きぃつけて!!
といった神様の声が「き」こえたような、「き」こえていなかったような…まあ「き」のせい…かも知れんけど
高皇産霊神さま、どうか願いを「き」いてくださいな…
狛犬、めちゃ胸を張っていますな…
雲の上にのってますなあ…
私も、こうやって胸を張って生きていきたいものだ …と思いながらも、ずーと背中を丸めて生きてきたような…
ではでは、拝殿を参拝後は境内をぶらぶらっと、散策をば…
これが、境内図…
まずは、黒石(開運の石)
神社南を流れる天神川の底から移された石…名古屋城築城のために運搬中、誤って川に落ちたものだと伝わるんだとか
暗い川底から、陽の当たる世界に現れたことから、「開運の石」とのこと…
「ひきこもり」の方は、ここで拝んでみるといいかも…あ、ここまで、拝みにこれないから、引きこもっているんですよね!!
えっ??陽の当たる世界にきても、ろくなことがないって??
なんだか「くろ(黒)石」が「くろう(苦労)石」にみえてきた??
なので、私、ごくろうさまです!と手を合わせておきました??
拝殿右側にある
「旧本殿跡」の遺跡と「潮干塚」の伝説
手前の石で囲まれているところが「旧本殿跡」
後方の草が生えているところが「潮干塚」でしょうか…そこに土器のような甕があったようで、海の潮の満ち引きで甕の中の水が増減したと伝えられているそうな…
神門所と刻まれた石碑と
鳥居の古塚の案内板…
この石は、取り壊した塚に建っていた石碑だそうな…
「天武天皇悠紀斎田跡」石碑
悠紀斎田とは、大嘗祭に用いられる新穀を育てる田のこと
大嘗祭は天皇が即位したあと、新米を神様にお供えして五穀豊穣などを願う、一世に一度の重要な儀式でありまして、その際の跡地を示す石碑…そこは神域で立ち入られないように柵で囲ってありました…
その右側に並ぶ境内社
津島社(天神社)…各町内ごとに祠が…
「清流苑 井水」の案内板
由緒に書かれていた涸れた湧水のあった場所でしょうか…
この石の建造物はなんでしょう??和同開珎にもみえるけど
連理木
ああ、大学生の時に…ああ、ここに拝みにきていれば…笑
この2本の離れた木が赤い糸で結ばれている!!
その奥には、リアルにくっついた
連理木
縁結びの木ですね…「縁」よりも「円」を??の気持ちでナデナデ…
その横にポツンと
「山神社」
東軍流宗祖の碑
東軍流は、愛知県指定文化財「尾張旭市の棒の手」の伝統を守る5流派の1つとのことで
「棒の手」とは農民が戦国乱世の自衛手段として武芸を習得し、これが村の鎮守神の祭礼の余興に取り入れられ、いつしか神社の祭事芸能に発展したもの…その記念碑のようで
そのそばにも石碑がいくつかあったけど、刻まれた文字は判読不能…
そのそばには、
渋川稲荷社
江戸時代に京都伏見稲荷大社から分霊されたとのこと
かわいいキツネ様が濃厚接触??していました…
さらには境内社の神明社・八剣社
もう神様がいっぱい!!
拝殿の左側には
日本庭園が…
どことなく、伊勢の夫婦岩を彷彿させちゃう…
拝殿の反対側、左側には
八幡社・熊野社
その手前には
忌明社(祓戸大神)
この解説板によると、手水舎で禊(みそぎ)をしたあと、拝殿にお参りする前にこの忌明社(祓戸大神)で祓いを受けるとのこと
本来は社前で神職さんから祓いを受けるところ受けるところ、「祓い給え、清め給え」と三度唱えれば、祓いの代わりになるそうで…
えっ??そうなの??…ってここで気づいて
「祓い給え、清め給え」「祓い給え、清め給え」「祓い給え、清め給え」って三度唱えて、もう一度拝殿へ!!
お賽銭ももう一度…苦笑
高皇産霊神さま、再度、願いを「き」いてくださいな…笑
またまた
新型コロナウイルス、きぃつけて!!
きぃつけて、帰りな…
といった神様の声が「き」こえたような、「き」こえていなかったような…まあ「き」のせい…かも知れんけど
まあ、げん「き」がもらえたような「き」がした
「澁川神社」参拝だったのでした!!
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