最近、アレルギーもちの生徒さんが増えています。そろそろ花粉が暴れだしたようで、つらそうにしている子供たちを見ていると本当にたいへんだと思います。振り返ってみると、私が小学生の時ってこんなに周りにアレルギーもちの子供がいたかな?と思います。多分「花粉症」なんて最近の半分もいなかったんではないでしょうか。私の通った小学校は、裏が雑木林になっていて、春先には蒲公英の綿毛が飛びまくり、秋にはすすきの先っぽが飛びまくっていましたが、周りにくしゃみ連発、目をゴシゴシなんて友達がいた記憶がないんです。
原因は「環境ホルモン」とか「ファストフード」とか「ホルムアルデヒド」とかいろいろ言われていますね。多分どれも正しいのではないでしょうか。でも、もっと思うことがあります。私は現在40歳(独身…)ですが、子供の頃はとにかく汚かった記憶があります。たとえば、商店街でお買い物をすると、包装紙は新聞紙だったような記憶があります(コロッケとか、野菜とか)。お豆腐を売りに来てくれれば、家から普通にボウルを持って買いに行きました。でもおなかをこわした記憶もなければ食中毒もなったことはありません。今にして思えば「不衛生」な環境が当たり前でしたよね。だから体が鍛えられたのかもしれません。今でも食べ物を床に落としたくらいなら「3秒ルール」です(キリッ!)。←別におすすめはしませんよ
で、何が言いたいのかと言うと「そういえば、私が子供の頃は手取り足取り教えてもらった記憶があまりないな」ということなんです。だってわからなければ「放っておかれる」んですよ。そりゃ必死でした。先生の言うことをしっかり聞いて、周りを見ながら行動しなければ、ちょっと油断して言うと自分だけおいていかれる。そんなことありませんでした?。
いつからこんなに指導することに手をかけるようになったんでしょうか?。わからなくてもできなければ手を差し伸べてくれる大人があちこちにいる。もちろんそれが素晴らしい側面も持っています。子供一人では引き出すことのできない内面を、指導者が気づき引き出してくれるという。でも、本当の力は自分自身で「引っ張り出す」んじゃないでしょうか?。そしてそのためには努力が絶対に必要です。
今の子供たちは、衛生的な環境で食事をし、清潔な服を着て、きれいなおうちに住んでいるように感じます(昔と比べてですよ)。それがアレルギーの遠因になってるのならば、子供たちの指導に手をかけすぎてしまうことが「努力アレルギー」の遠因になっているんではないだろうか?。教えることを初めてすぐにそんなことを考えるようになりました。そして10年来の考えが「しんどいことをたくさんしてほしい」
だから子供たちにはどんどん不便な生活を送ってほしいとおもいます。携帯禁止!、ゲーム結構禁止!(ちょっとくらいは私も子供の頃してたので強くは言えません…)。テレビもまあまあ禁止(ちょっとくらいは私も子供の…)。音楽プレーヤーもそれなりに禁止!(ちょっとくら…)
だんだん弱気になってきましたが、ここらへんで本題に戻って。要は努力しなきゃ仕方のない環境に置いた方が実は子供は伸びるんじゃ?と思っているわけです。でもね、目の前にわからなくて困った顔をした生徒がいると、教えてしまうわけですよ。「放っておく」ことがとても難しいわけです。だから私は「高い壁」を作ることで、「放っておく」ことの代わりにならないかと悪戦苦闘を続けています。
新4年生の日本地図チャレンジ、いよいよ佳境に入ってきました。半数以上が合格を勝ち取っています。めんどくさいことは頑張らないとできるようにならない!。「努力アレルギー」が一人でも減ることを願って、私の戦いはまだまだ続きます!
原因は「環境ホルモン」とか「ファストフード」とか「ホルムアルデヒド」とかいろいろ言われていますね。多分どれも正しいのではないでしょうか。でも、もっと思うことがあります。私は現在40歳(独身…)ですが、子供の頃はとにかく汚かった記憶があります。たとえば、商店街でお買い物をすると、包装紙は新聞紙だったような記憶があります(コロッケとか、野菜とか)。お豆腐を売りに来てくれれば、家から普通にボウルを持って買いに行きました。でもおなかをこわした記憶もなければ食中毒もなったことはありません。今にして思えば「不衛生」な環境が当たり前でしたよね。だから体が鍛えられたのかもしれません。今でも食べ物を床に落としたくらいなら「3秒ルール」です(キリッ!)。←別におすすめはしませんよ
で、何が言いたいのかと言うと「そういえば、私が子供の頃は手取り足取り教えてもらった記憶があまりないな」ということなんです。だってわからなければ「放っておかれる」んですよ。そりゃ必死でした。先生の言うことをしっかり聞いて、周りを見ながら行動しなければ、ちょっと油断して言うと自分だけおいていかれる。そんなことありませんでした?。
いつからこんなに指導することに手をかけるようになったんでしょうか?。わからなくてもできなければ手を差し伸べてくれる大人があちこちにいる。もちろんそれが素晴らしい側面も持っています。子供一人では引き出すことのできない内面を、指導者が気づき引き出してくれるという。でも、本当の力は自分自身で「引っ張り出す」んじゃないでしょうか?。そしてそのためには努力が絶対に必要です。
今の子供たちは、衛生的な環境で食事をし、清潔な服を着て、きれいなおうちに住んでいるように感じます(昔と比べてですよ)。それがアレルギーの遠因になってるのならば、子供たちの指導に手をかけすぎてしまうことが「努力アレルギー」の遠因になっているんではないだろうか?。教えることを初めてすぐにそんなことを考えるようになりました。そして10年来の考えが「しんどいことをたくさんしてほしい」
だから子供たちにはどんどん不便な生活を送ってほしいとおもいます。携帯禁止!、ゲーム結構禁止!(ちょっとくらいは私も子供の頃してたので強くは言えません…)。テレビもまあまあ禁止(ちょっとくらいは私も子供の…)。音楽プレーヤーもそれなりに禁止!(ちょっとくら…)
だんだん弱気になってきましたが、ここらへんで本題に戻って。要は努力しなきゃ仕方のない環境に置いた方が実は子供は伸びるんじゃ?と思っているわけです。でもね、目の前にわからなくて困った顔をした生徒がいると、教えてしまうわけですよ。「放っておく」ことがとても難しいわけです。だから私は「高い壁」を作ることで、「放っておく」ことの代わりにならないかと悪戦苦闘を続けています。
新4年生の日本地図チャレンジ、いよいよ佳境に入ってきました。半数以上が合格を勝ち取っています。めんどくさいことは頑張らないとできるようにならない!。「努力アレルギー」が一人でも減ることを願って、私の戦いはまだまだ続きます!