なにやら、高校社会が暗記偏重科目になっているから、扱う語数(項目数)を減らすことを検討しているんだそうですね。
例えば坂本龍馬とか武田信玄とか、いわゆる、日本のありかたを変えたのではない人物は扱わない方向にしたいんだそうです。
え~と、日本のありかたを変えたかどうかは誰が判断するんですかね?学んだ側が自分で判断すればいいんじゃないですかね?
暗記偏重だと言う側の方が、本当に必要な中身をしっかりと理解しているかどうかは怪しいものです。
社会という教科を考えたとき、知識として持っている語数は多い方がいいに決まっています。そりゃそうですよ、既知の知識が未知の知識と組み合わさって初めて新しい思考が可能になるのです。
暗記偏重になるから減らしましょうってのは、「これから未知の知識に出会う高校生の可能性を摘み取る」かもしれないということに気付かないんでしょうか?
もっと言えば今までの社会が、暗記偏重でどのような弊害が出ているのかをきちんとしたデータをもとにして論じているのかすら甚だ疑問です。
これまでの高校生が学び積み上げた知識を、これからの高校生から奪う権利が私達大人にあるのか?
そんなことまで考えました。
私は少なくとも、私程度が持っている知識や、指導するべきと考える中身はきちんと子どもたちに伝えていきますよ。これからも。
それこそが、子どもたちの前に立つ大人としての責務であると考えています。
小難しいことを書きましたが、別に優秀な先生アピールじゃないですよ。
ではお休みなさい。
例えば坂本龍馬とか武田信玄とか、いわゆる、日本のありかたを変えたのではない人物は扱わない方向にしたいんだそうです。
え~と、日本のありかたを変えたかどうかは誰が判断するんですかね?学んだ側が自分で判断すればいいんじゃないですかね?
暗記偏重だと言う側の方が、本当に必要な中身をしっかりと理解しているかどうかは怪しいものです。
社会という教科を考えたとき、知識として持っている語数は多い方がいいに決まっています。そりゃそうですよ、既知の知識が未知の知識と組み合わさって初めて新しい思考が可能になるのです。
暗記偏重になるから減らしましょうってのは、「これから未知の知識に出会う高校生の可能性を摘み取る」かもしれないということに気付かないんでしょうか?
もっと言えば今までの社会が、暗記偏重でどのような弊害が出ているのかをきちんとしたデータをもとにして論じているのかすら甚だ疑問です。
これまでの高校生が学び積み上げた知識を、これからの高校生から奪う権利が私達大人にあるのか?
そんなことまで考えました。
私は少なくとも、私程度が持っている知識や、指導するべきと考える中身はきちんと子どもたちに伝えていきますよ。これからも。
それこそが、子どもたちの前に立つ大人としての責務であると考えています。
小難しいことを書きましたが、別に優秀な先生アピールじゃないですよ。
ではお休みなさい。