★そろばん指導
今年は実に3年ぶりに「飲食を伴うクリスマスパーティー」を実施しました。とはいえ、禍の前まで行っていたたこ焼きパーティーにはほど遠いものです。ウインナーに串を刺してフランクフルトっぽくしたもの・ハッシュドポテト。この二品はホットプレートに乗せるだけで提供できるものです。そしてもう一つはもう二十年来お世話になっている業務用食品のお店の方のおすすめの品。自然解凍のパンケーキにホイップクリームやチョコクリームをのせるデザートです。
たったこれだけ(まあ、小学生にはまあまあの量になりますけど)です。飲食スペースに限らず教室内の換気扇はフル稼働。そして飲食スペースの人数は七名程度に絞っていました。あとはちょっとかわいい巾着袋にお菓子の詰め放題。そして当教室恒例の「ほじょけんくじびき」。枚数に応じて賞品と交換できます。「特賞」を引き当てれば、ほぼ教室内のすべての賞品と交換ができます。
と、まあ文章にしてみればこれだけのことなんですよね。そしてこのイベントも長時間の滞在は避けた方がいいと判断して、1クラス90分をめどにして実施したのです。にも関わらず次の授業では子供たちは口を揃えて「楽しかった!」と言ってくれるのです。保護者の方からもたくさんのお礼のお言葉をちょうだいしました。中には「帰ってきてからずっといかに楽しかったかをお話ししてくれました。久しぶりに楽しかったようです」というお言葉までありました。
この子供たちの反応と、保護者の方からのお言葉が、子供たちを取り巻く環境がいよいよ待ったなしに危ないと言うことを物語っているのではないか?。そう感じずにはいられませんでした。
ずっと指導しながら、子供たちの感情の振れ幅というか気持ちの浮き沈みの幅が小さいなと感じていました。難しい中身を乗り越えたときに顔がぱあっと明るくなる感じが心許ないなあと感じていました。この原因は何なのか?ずっと考えていたのですが、このクリスマスパーティーで1つの答えにたどり着きました。
「楽しいでも。怖いでも。振り切った経験をしていない(奪われている)」というものです。禍が続いているとはいえ、学校行事は正常化したと思っていました。でもこれをきっかけに学校の様子を聞くとやはり黙食は続いているようですし、子供たち同士ではしゃぐことに神経質になっている様子がうかがえます。
子供たちが子供時代を子供として成長するためには、様々な余裕が必要だと思うのです。この余裕は大人には「無駄」と見えることが少なくありません。子供たちはその「無駄に見える余裕」をたくさん経験することでしか成長をすることができないともいえると思うのです。
というわけで、来年は厳しく指導することも必要なことである。それは分かっているけれどもあえて「たくさんの余裕を経験してもらう」こともさらに意識しながら子供たちと一緒に過ごしていきたいと考えています。
★学習塾指導
禍のスタートとともに学習指導要領が改定され、教科書も新しくなりました。特に英語の改定幅はものすごいものでした。その新しい教科書を中学入学とともに使い始めた生徒が、現在中3になりました。指導する上での感覚は「上位一割以外は、結局学習の中身の負担が増えた分、習熟割合が落ちている」というものです。
なんとなくなんですが、中学生の時に理解できる中身には「閾値」のようなものがあるとうっすら感じています。高校入試に向けて勉強する中で、この閾値だと思っていたものが「中学生が中学生なりに過ごしているときの限界値」のような感覚に変わっていく。この課程が私には「伸びていることを実感する」状態だと思えるのです。
この「中学生が中学生なりに過ごしているときの限界値」は、おそらく時代とともに変化する変量ではないんだろうなとも思うのです。
とどのつまり、今の中学生に求められる中身は明らかにキャパオーバーしていると感じています。その中で「求められることをすべてこなすための解法を考える」のではなくて「伸び始めたとき(閾値を突破したとき)に伸びるための素地を作るために、絶対に身につけておくべき中身」をいかに精選して子供たちに提供できるか?ここがこれから指導する側に求められる能力の1つだと思うようになりました。
そのために、そろばん教室で「その下地のための土台」をしっかりと作ってもらう。すなわち「読み書きそろばんという基礎的リテラシー」をしっかりとしたものにする。その上で学びを進めていく。というステップを確実に踏んでいける環境作りをさらに進めないといけない。そう強く感じた1年でした。
というわけで、50を迎える来年も、私が学ぶことを止めることはできないし、進化し続けなきゃならないという結論に至りました。まあガンバリマス
今年も1年間お付き合いいただきありがとうございました。皆様にとりまして来年がより良き1年となりますようお祈りいたします。良いお年をお迎えください!
今年は実に3年ぶりに「飲食を伴うクリスマスパーティー」を実施しました。とはいえ、禍の前まで行っていたたこ焼きパーティーにはほど遠いものです。ウインナーに串を刺してフランクフルトっぽくしたもの・ハッシュドポテト。この二品はホットプレートに乗せるだけで提供できるものです。そしてもう一つはもう二十年来お世話になっている業務用食品のお店の方のおすすめの品。自然解凍のパンケーキにホイップクリームやチョコクリームをのせるデザートです。
たったこれだけ(まあ、小学生にはまあまあの量になりますけど)です。飲食スペースに限らず教室内の換気扇はフル稼働。そして飲食スペースの人数は七名程度に絞っていました。あとはちょっとかわいい巾着袋にお菓子の詰め放題。そして当教室恒例の「ほじょけんくじびき」。枚数に応じて賞品と交換できます。「特賞」を引き当てれば、ほぼ教室内のすべての賞品と交換ができます。
と、まあ文章にしてみればこれだけのことなんですよね。そしてこのイベントも長時間の滞在は避けた方がいいと判断して、1クラス90分をめどにして実施したのです。にも関わらず次の授業では子供たちは口を揃えて「楽しかった!」と言ってくれるのです。保護者の方からもたくさんのお礼のお言葉をちょうだいしました。中には「帰ってきてからずっといかに楽しかったかをお話ししてくれました。久しぶりに楽しかったようです」というお言葉までありました。
この子供たちの反応と、保護者の方からのお言葉が、子供たちを取り巻く環境がいよいよ待ったなしに危ないと言うことを物語っているのではないか?。そう感じずにはいられませんでした。
ずっと指導しながら、子供たちの感情の振れ幅というか気持ちの浮き沈みの幅が小さいなと感じていました。難しい中身を乗り越えたときに顔がぱあっと明るくなる感じが心許ないなあと感じていました。この原因は何なのか?ずっと考えていたのですが、このクリスマスパーティーで1つの答えにたどり着きました。
「楽しいでも。怖いでも。振り切った経験をしていない(奪われている)」というものです。禍が続いているとはいえ、学校行事は正常化したと思っていました。でもこれをきっかけに学校の様子を聞くとやはり黙食は続いているようですし、子供たち同士ではしゃぐことに神経質になっている様子がうかがえます。
子供たちが子供時代を子供として成長するためには、様々な余裕が必要だと思うのです。この余裕は大人には「無駄」と見えることが少なくありません。子供たちはその「無駄に見える余裕」をたくさん経験することでしか成長をすることができないともいえると思うのです。
というわけで、来年は厳しく指導することも必要なことである。それは分かっているけれどもあえて「たくさんの余裕を経験してもらう」こともさらに意識しながら子供たちと一緒に過ごしていきたいと考えています。
★学習塾指導
禍のスタートとともに学習指導要領が改定され、教科書も新しくなりました。特に英語の改定幅はものすごいものでした。その新しい教科書を中学入学とともに使い始めた生徒が、現在中3になりました。指導する上での感覚は「上位一割以外は、結局学習の中身の負担が増えた分、習熟割合が落ちている」というものです。
なんとなくなんですが、中学生の時に理解できる中身には「閾値」のようなものがあるとうっすら感じています。高校入試に向けて勉強する中で、この閾値だと思っていたものが「中学生が中学生なりに過ごしているときの限界値」のような感覚に変わっていく。この課程が私には「伸びていることを実感する」状態だと思えるのです。
この「中学生が中学生なりに過ごしているときの限界値」は、おそらく時代とともに変化する変量ではないんだろうなとも思うのです。
とどのつまり、今の中学生に求められる中身は明らかにキャパオーバーしていると感じています。その中で「求められることをすべてこなすための解法を考える」のではなくて「伸び始めたとき(閾値を突破したとき)に伸びるための素地を作るために、絶対に身につけておくべき中身」をいかに精選して子供たちに提供できるか?ここがこれから指導する側に求められる能力の1つだと思うようになりました。
そのために、そろばん教室で「その下地のための土台」をしっかりと作ってもらう。すなわち「読み書きそろばんという基礎的リテラシー」をしっかりとしたものにする。その上で学びを進めていく。というステップを確実に踏んでいける環境作りをさらに進めないといけない。そう強く感じた1年でした。
というわけで、50を迎える来年も、私が学ぶことを止めることはできないし、進化し続けなきゃならないという結論に至りました。まあガンバリマス
今年も1年間お付き合いいただきありがとうございました。皆様にとりまして来年がより良き1年となりますようお祈りいたします。良いお年をお迎えください!