東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

通う意味合い~習い事の場合~

2018-04-30 19:36:52 | そろばんに関する中身
 私はそろばんの先生ですから、そろばんを念頭に置いたお話になりますことをご了承くださいね。

 さて、「そろばん」という習い事は一般的には「計算が早くなる」とか「数字に強くなる」といったイメージではないでしょうか?

 私の勝手なイメージで言えば、「お習字なら字が上手になる」とか「水泳だと泳げるようになる」とか「柔道だと精神的に強くなる」とかいうものが一般的なものではないでしょうかね。

 でもお習字の先生も、水泳の先生も、柔道の先生も知り合いがいますので、先のイメージだけではないということもまた知っています。

 しかしながら、どうしてそろばんを含めて先のイメージが一般的になっているのかといえば、私はこう考えています。

「こどもの成長の先にあるものを考えていない指導者が多いから」

 どういう意味かと言いますと、本来子供たちに接する指導者は、その指導する事柄を通して子供たちの成長に寄与することを念頭に置かねばならないと思うのですが、残念ながら「その事柄が上手になればそれでいい」とお考えの指導者が多い(多かった:今ご高齢の指導者の皆様はそんなことを考えずとも生徒は集まったという時代の流れでしょうかね)ということなんです。

 そして、そういう指導者の下で何かを身につけた者が成長して指導者となると、前述の事柄が繰り返されるわけです。

 教師を目指して教員養成課程に進めば、児童心理学や発達心理学などを学びます。教育実習で現場も少しですが経験します。そうした経験を積み上げていけば、子供たちの成長に何が必要なのかを考え、それぞれの立場で子供たちに伝えることを考える指導者になるはずなんですよね。

 また、一般的な企業に勤務した後に習い事のお教室を開けば、社会から要請されることをその人物なりに理解していますから、やはり教育の専門家とはアプローチは違うでしょうが、成長の過程で必要なことを、その習い事の指導を通して伝える指導者になるでしょう。

 ところが、私の知る限り「いったい何を伝えたいの?」とか、「子供たちの成長にとって害悪にしかならない」指導者のことがたくさん耳に入ってきます。

 ・スポーツの指導者で、グランドに挨拶をさせない方がいます
 ・スポーツの指導者で「試合に勝てば自分の指導のおかげ、負ければ子供たちの努力不足」と言う指導者がいます
 ・スポーツの指導者で、昨日と今日と明日で言っていることがころころ変わる(指導方針が日和見)な指導者がいます
 ・文科系の指導者で「とにかくこどもたちを叱らない」指導者がいます
 ・文科系の指導者で、授業のたびにお菓子やパンを渡す指導者がいます
 ・文科系の指導者で、遅れようが忘れ物をしようが何も言わない指導者がいます

 こうした指導者は「子供たちの成長に自分の指導が寄与するものは何か」という観点が指導から抜け落ちています。

 さて、皆様はお子様に「何」を身につけて欲しくてその習い事をさせておられますか? 心ある指導者であれば「どう指導すれば子供たちの成長に寄与できるか?」を常に考えながら指導しているはずです。そしてそれはお勉強に結びつくとは限りません。

 たとえば「挨拶」かもしれませんし、「くじけない心」かもしれません。「自分で常に考えること」かもしれませんし「努力する習慣を身につけさせること」かもしれません。

 私自身はそろばんの指導を通して「結果は努力に正直であること」「一生涯の計算(数的)能力を獲得すること」「前向きな学習習慣を身につけること」「読み・書き・そろばんの基礎学力(リテラシー)を獲得すること」が子供たちに身に付いて欲しいと考えています。

 習い事に通う意味とは、ご家庭の方針そのものだと思うのです。そして習い事は基本的に指導者と指導方針を選ぶことと同じだと思います。どういう成長をして欲しいのかをきちんとお考えいただければ、習い事の選び方に通ずると思います。
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通う意味合い~学習塾の場合~

2018-04-28 01:18:53 | 学習・塾に関する中身
 「学習塾」に限定して考えることにしますね。

 普通に考えて学習塾に通う意味合いは大きく分けて2つしかないと思っています。

 ①学力が不振なので、できる限り底上げをしたい(昔の言い方だと「補習塾」の範疇ですかね)
 ②現状の学力をさらに上げたい(上位校へ進学したい:昔の言い方だと「進学塾」の範疇ですかね)

 私の教室は3年前まで①の考え方でした。でも底上げをして、②へ通うようになってもついていけるように鍛えるところまでを担う覚悟で取り組んでいました。現在は②の考え方の生徒でも少しでも伸ばせる方法を日々模索し、腐心しています

 さて、①の塾であったと考えていたときに1番考えていたこと。そして1番教え子にできるようになってほしかったこと。それは「分からない(覚えていない)状態を気持ち悪いと感じ、解決しないと気がすまない。そういう姿勢をお勉強に対して持てるようにすること」でした。
 だから、授業中に出た質問には、知識の限り(それが本筋からは大きく逸脱する内容であったとしても)できる限り答えるようにしています。そして分からないことは正直に「分からないから調べとくね」と伝え、次回までに調べておくようにしています。
 高校まで文系、大学で理転したことで、文系・理系両方の考え方を比較的にできるほうだと思いますから、きちんと根拠を示しながら、論理破綻のないように説明をしていると思っています。

 結局お勉強は「分からないを分かるに、覚えていないを覚えているにする」大会ですから、分からない・覚えていないを気持ち悪く放置できないようになれば、自ずと成績(学力:私は「地力」と表現しています)は必ず上昇を始めます。
 そして、塾での指導はそのための方法論ではなく、そこに気づかせる指導を重視しています。例えば国語の授業では本文に出てくる言葉の意味だけでなく、問題文や問題の選択肢に出てくる言葉まで意味を確認します。消去法で答えを選んだとしても、解答後に意味が曖昧であったものは調べておくことができるように、初見の言葉は自分の語彙として獲得できることを目指しています。
 たとえば社会では「欧米列強」が出てくれば、欧米・列強の意味を確認し、主要な国の漢字での略記(豪とか印とか露とかですね)を確認したりします。出てきた言葉を知らないまま通り過ぎることを良しとはしないことを心がけています。

 そして、塾に通うということは「こうした指導を受けに来ること。指導者の指示に従って自分のできない部分に向き合ってできるに変えていく方法論を、お勉強を通して学ぶこと」を意味していると考えるのです。
 その塾の指導者の指示に従わないなら、塾に通う意味はありません。もし指導者の指示に本当に従った上(1年くらいたっても)成績が伸びなければ、残念ながらその指導者のやり方は合っていないと思います(きちんと力のある指導者の下であれば、絶対に学力は1年あれば上がります)。

 ※だから私は「個別指導」で②の学力アップはできないと思っています(ただし、本当に学力上位の生徒が地力(自力)では理解できない難問について、その解説をしてもらうために個別指導を力のある指導者にしてもらうときには、逆に最大限に効果を発揮するとも思います)

 そして心ある指導者は、努力がすぐには結果に結びつかないことを知っていますから、頑張り始めた生徒が短期間で思うように結果が出ない苦しいときに、ともに寄り添うことに。そしてその頑張りを結果が伴うまで認めて後押しするために。「全力を注ぎ」ます。
 間違っても「私たちの指導通りにしないから学力が上がらない」などと生徒のせいにはしません。これは「生徒を指導通りに導けない指導者の資質の問題」です。(ただし、ご家庭が全く協力的でない。本人が本当にやる気0でお話にならないなどの場合は話が別ですよ)

 塾に通うということは、その塾の指導者の指示を買いに行くことと同義だと私は考えています。

 ※私の教室では②のために指導方法を変えてはいません。あくまで②でも対応できるように「上積み」をしているだけです。(だから今春の入試に向けては地獄でした…。特に国語の問題はどれだけ作成したことか…)
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それって誰が言ってるの?

2018-04-24 22:58:46 | 学習・塾に関する中身
 圧倒的な指導力ってどんなものなんでしょう? トップ講師って何を根拠に言っておられるんでしょうか? 府下ナンバー1の指導力ってなんですか?

 「相対的」という言葉と「絶対的」という言葉があります。「主観的」と「客観的」という言葉があります。こうした表現を使われている方は、これらの言葉の意味をきちんと理解しておられるのでしょうか?

 たとえば10年間で10の塾を渡り歩き、大阪府下にある企業的な学習塾の大半で指導した経験をもとに言うのであればまだある程度は分かりますよ。たかだか1つや2つの学習塾での指導経験をもとに、「圧倒的」「トップ講師」「府下ナンバー1」とか、ほんとに何を言っているのかと思いますよね。こういう指導者を昔の人は「井の中の蛙大海を知らず」と表現したものです。そしてこういう指導者に限って自分の指導者としての力量と知識はものすごいものであると自負しているものです。

 私のブログには過去3回「そろばんの先生ごときにうんぬんかんぬん」というコメントが届きました。そして瓢箪山地区で学習塾をされている方が、生徒の前で「そろばんのとこのやつに負けるな!」とか「あんなしょうもない、塾かどうかも分からんようなとこのやつに負けるな」とか言っていた事実もあります。

 私は、私が信じる道を保護者の皆様にお話し、生徒たちにも伝えた上で共に頑張ることを決めた生徒と一緒に走っているだけです。少なくとも私の指導は最低限度であって、「私の指導が圧倒的」だとか、「学習塾業界でもトップの講師」とか、「府下ナンバーワンの指導力」だとか、ただの一度も思ったことはありません。
 
 そういう記述をされている塾さんのブログやホームページを見ると純粋に「すごいねんなあ」と思いますし、そろばんの先生ごときの指導では、お預かりした生徒の伸びは「圧倒的なトップ講師の府下ナンバーワンの授業」を受ける生徒の伸びの足元にも及ばないんでしょうね。なんて思いますよ。

 ということは、少なくともその指導者の下で学ぶ縄手北中学の生徒の定期考査の平均点は400点をはるかに超えるんでしょうね(現中学3年生の中2最後の定期考査の平均点は、特殊な事情で急遽合流した生徒を除くと平均+100点以上ありましたからね)。そうじゃないと「圧倒的な指導力を誇る講師」ではないでしょうね。

 少なくとも府下ナンバーワンや圧倒的な指導力を標榜するのであれば、私ごときそろばんの先生が、大手塾での指導経験もない状態で、そろばんのおまけでしている学習指導で、わが教え子たちが出してる結果を当たり前のように越えていって欲しいものです。

 私の指導力ですか? そうですね、指導者生活20年なりの経験を基にした精一杯の指導をしております。そして頑張ることを決めた教え子たちとともに日々のお勉強を戦っております。そして最近9年間の実績は公開いたしました。それでご判断ください。

 私は「生徒と共に歩み、生徒の希望をかなえるために最大限の努力をする」ことにのみ興味があります。他をsage自分をageしない個人塾の指導者はみんなそんな考え方ではないですかね?

 自分のことを「圧倒的」とか「トップ講師」とか「府下ナンバー1の指導力」とか言うことは、「私は他の追随を許さないイケメン」とか、パリコレに連続で出てもいないのに「私はトップモデル」と言ってるとか、大阪の1地域でたまたま教え子が(優秀なだけかも…)いい成績を残しているだけで「府下ナンバー1の指導者です!」って言ってるようなものですよ。ああナルシストですね。

 圧倒的な指導力を持つ大阪府で学習塾をやればトップ講師である人物は、私の知る限り自分からそんなことは言いませんよ。はい。
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せんせいあのね

2018-04-24 01:14:40 | 日記
 瓢箪山教場では9名、石切教場では6名の1年生がそろばん学習を始めています。

 毎年のことですが、この時期の1年生は本当にできることの差がものすごく大きいものです。語彙力(言葉の数)に最も個人差が顕著に表われます。だから、この時期はひらがな・カタカナの指導を通して「書いた文字から始まる言葉」を必ず言ってもらいます。そしてその言葉からできるだけ世界を広げる言葉かけを意識します。
 たとえば「い」とい文字を書いた後で生徒が「いちご」と言えば「ほかにはどんな果物が好きですか?」とか「イチゴって何色かな?」とか「イチゴはどこで売ってるの?」とかですね。
 「し」と書いた後で「しか」と言えば「見たことはあるの?」「どこで見たの?」「大きさはどれくらいかな?」とかですね。どんどんしゃべってもらいます。その中で自分の思っていることをこちらに伝える言葉の数を増やしていくことを意識しています。そしてできるだけきれいな言葉を選ぶように心がけてもいます。
 また、たまには絵本の読み聞かせをします。1年生であっても絵本はいいものです。絵本は動画ではありませんから、想像力を働かせるにはちょうどいいのです。ことばの切れ目は1マス空いていますから、一緒に文字を目で追うことで、言葉のつながりを自然と意識できます。

 こうして読み書きそろばんを1年生という時期に応じて鍛えていくことが大切だと思っています。だから私は1年生だけを別のクラスにして1年間かけてゆっくりと「せんせいあのね」の続きができるようにしているのです。
 
 小学校では「日記」の代わりとして「あのね帳」を使うことが多いようです。でもね、1年生でなかなか書き言葉をじょうずに使いこなすことは難しいものです。「うんとね、えとね、あのね」と頭をフル回転しながら言葉を捜すには、しゃべるほうがいいのです。1年生の力では「書く」という作業は想像以上に難しいのです。書いている間に考えたことは消えてしまうことが多いのです。だってまだ「書き言葉」を覚え始めたところですからね。

 私は夏休みくらいまでは、話し言葉を鍛えるだけで十分だと思っています。発達心理学を勉強したことで、この考え方にも確信を持ちました。ご家庭でもたくさんの言葉のシャワーをかけていただいている生徒は本当に語彙力の伸びがすばらしいと感じます。

 お問い合わせをいただいた皆様には、お断りすることが本当に心苦しいのですが、席数の問題と、一人ひとりにしっかりと目を届かせるには現状の人数が限界であるということから、現在は1年生のご入学の受付を停止しております。(9名でも実際は若干オーバーしています。それでも今年の1年生は慣れてくれることが早くて、もう平常運転に近づいています)

 「せんせいあのね」から「あのね」が取れるようになって、自分の想いをしっかりと相手に伝えることができる。これがそろばんができることと並行して身に付けて欲しい能力のひとつなんですね。

 さあ、水曜日も「あのね」、いっぱいお話しましょう!
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ちょっと教え子の伸びに、私も欲が出てきました

2018-04-23 09:27:18 | 日記
 って言っても、別に指導方法論が変わるとかではないですよ。今までと同じ事を丁寧にパワーアップさせたいと思うようになったんです。

私はそろばん教室を開設した当初は学習指導をするつもりはありませんでした。

 そろばん指導を始めて1年経った頃、先代の先生から引き継いだ生徒が中2になるにあたってお勉強を見てあげてもらいたいというご要望をいただき、当初はそろばんの後でわからない部分を教るという質問対応の形で学習指導を始めました。

 そして、講師としてお世話になっていた学習塾を正式に辞めたあと、自分の教室でも学習塾を始めました(お世話になっていた学習塾は花園にありましたので、距離的に生徒を引き抜くことは無理です。ただそのときに担当していた生徒は高校入試まできちんと指導しましたよ)。

 学習塾を開始した当初は外部の生徒も受け入れておりましたが、9年前からそろばんの生徒に限定するようになりました。この前後(10年前くらい)は、そろばんを習っている生徒さんの親御さんからご紹介をいただいた外部生がほとんどで、よその塾に行くのはついていけないのではないかと心配で、という保護者の方からのお話でひきうけることが多かったと記憶しています(とはいえ、偏差値で言えば悪くても45はありましたけどね)。

 その当時の教え子の進学先はといえば、布施・山本・花園・日新の各高校とその併願としてふさわしい私立高校が主でした。

 さて、そろばんの生徒に限定するようになってからも、5教科の合計点が420点を超えてくると、ほかの進学塾への転塾をお勧めしていました。狙う高校で言えば八尾高校以上ですね。私の教室では夕陽丘・清水谷が限界かなと勝手に思っていたんですね。

 でここの経緯は以前にも書きましたので省略しますが、まあいろいろありまして「お預かりした以上、本人も親御さんも希望されるなら最後まで預かりきる」と決めたのが、現高1の学年が中学生になる3年前のことでした。

 決めてからの学年は(現中1はわかりませんが)各学年ともに、定期テストで上位3位以内に入る生徒が出てくれています。でも不思議なことに私は指導の中身を10年前と大幅に変えたつもりはないんですよね。でも在籍してくれている生徒の平均点は明らかに高くなっています。

 そろばん教室が、おまけでしている学習塾に学年トップの成績を収める生徒がいる。そして大阪トップ10校への合格者が出始めた。指導している本人が1番驚いています。
大手さんのような◯◯対策講座とか、◯◯特別授業とか、日曜特訓講座とかそういうことは(通常授業の延長ではやりますが)、特別なことはしていません。日々のお勉強を丁寧に、易きに流れないように、取りこぼし廼ないようには心を砕いていますが、そんなものです。それでも、ここ5年は教え子の半数以上が布施レベル以上へと進学しています。そして高校進学後も折に触れて教室へと足を運んでくれることも、少なくとも私の指導が間違いではないとまた、背中を押してくれます。

 さて、夏休みまでにこうした教え子たちのために大改革を行います。さらなる学習環境の改善と、教え子たちを伸ばしていくためのしかけを考えています。5月中にはその中身を明らかにできると思いますので、現在当教場に在籍しているみなさんと、卒業生のうち高校生は期待していてくださいね。

私は教え子たちがこのように伸びてくれていても、実績争いには相も変わらず興味はありません。これまでもこれからも、粛々と指導を続けます。学習塾につきましては、特殊な事情のない限り外部の生徒は募集しませんのでよろしくお願いいたします‼️
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