東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

もうすぐ21周年なんですよね④ 変えない・変わらない

2021-11-24 16:00:00 | 日記
 もうすぐ丸21年を迎えるそろばん指導において、変わったことはほとんどありません。

 1つは、毎回タイムを計って練習していたやり方を、ドリルに書き込みで進める形にしたことですかね。これには「生徒のうそ丸を防ぐ」という意味があります。間違っても〇にしちゃう時期ってあるんですよね。それ自体は子供たちが通る道なんですが、どうしてもそれでついてしまう悪いフォームを見過ごすことのデメリットの方が、転ぶ経験を積ませるよりも大きい気がするので、こちらで丸付けをするドリル形式に変更しました。
 また、こちらが進捗状況を把握できるので、適切なタイミングで指導をいれやすいというのもありますね。

 もう1つ、漢字ドリルを自作したこと。これは何度も書いていますので省略します。

 教育というのは結果が出るまで長い長い時間がかかります。小学校1年生でお預かりして、社会人としてある程度の形が出来上がるまでおよそ20年かかります。今、この瞬間に行っている教育がどういう形であれ実を結ぶまで20年はかかると思っています。
 その20年をようやく去年に迎えました。報告に来てくれる教え子を見るにつけ(うまくいっている・うまくいっていると感じてくれている教え子しか報告に来ないでしょ?というバイアスがかかっていることを考慮しても)、中学2年生くらいまでは在籍していた教え子の過半数がなんらかの報告をしてくれていることを考えると、少なくともそれなりの指導はできていたと思ってもいいのかな?と考えています。

 指導方法を新しくすることには抵抗が大きいんですよね。もちろん「これからスタートアップする指導者が、私とは全く違うアプローチの指導形態を採用する」ことに関しては何の異論もないです。先日、自立型指導は私には無理だと書きました。「これから」始める方は自分の信じる道を突き進めばいいと心から思います。
 教育には「万人にとっての正解」なんてあるはずもありませんから。

 私がもう1つ、新しい形態に変更したくない理由があるんですよね。

 「今までの指導はもう古い!これからの教育は〇〇であるべきだ!」ってね。これは個人的には嫌です。裏を返せば「これまで指導してきた生徒には、ダメな教育をしてきていました!」って言ってるわけですよ。これまでの生徒全員に、保護者の皆さん全員に謝罪してよ。なんて思うわけですよ。もちろん指導に関する勉強を深めて、新しいことを取り入れつつ「改良」や「修正」をしていくことはいいと思います。でもね、先述のように今までを否定して

「新しいことに取り組みます!すごいでしょ!」

ってやるのはなんか違うようなって思うわけです。

 何度考えても自分の中の結論は同じです。いつの時代でも必要とされる基礎的リテラシーを、そろばんを通して身につけて欲しい。努力は結果に正直であると小学生のうちに知ってほしい

 これにつきます。こんな教室でよろしければ、そろばん始めてみませんか?(おっ!久しぶりの宣伝)。12月1日に新聞折り込みチラシを予定しています。こちらのブログでも同時にお得なお知らせをいたします。11月中の入学にも、12月から実施予定のキャンペーン特典は適用いたしますので、気になりましたらお問い合わせをお待ちしております!

 というわけで、22年目もやっぱり当教室はマンネリを続けます!
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もうすぐ21周年なんですよね③ マンネリの偉大さ

2021-11-19 15:51:33 | 日記
私には自立学習の指導は難しいと思っています。この理由とそろばんの先生をしようと思ったきっかけは、ともに前回のブログに書きました。

荒れている中学生を実際に中学校で見た時に感じたこと。それは「あらゆる生活習慣が体に馴染んでいない」ということなんですよね。

例えば
・真っ直ぐ座る
・朝ごはんを食べる
・カバンの中を整理する
・挨拶をする
・時間割をあわせる

などなどです。もちろん、これがすべての生徒にとって必要とは限らないことは承知しております。朝ごはんを食べるとかえって調子が悪くなるとか、ものすごい引っ込み思案で挨拶することで緊張しすぎてしまうとか、発達上の特性を持っているとか。そんな場合は個性に合わせて対応しなきゃいけませんが、それでもある程度は個性に合わせて集団生活や社会に適応していかねばなりません。

そのためには、ルーティンワークをみにつけてしまうことがいいのではないか?私はこう考えたんです。
そろばん指導を選んだのは、もちろん私が得意であったということも大きいのですが。
基礎基本が身につき、繰り返しで技能を習得する。その習得具合は感覚ではなくてきちんと数値で判断できる。週あたりの回数が多い方なので、子どもたちとの接触頻度が担保できる。などのメリットが他に代えがたいと思ったからです。

教育というものは、子どもたちをかたちづくるものです。たやすく変えるべきものではないと思っています。これまで積み上げてきたものに、私は確固たる自信があります。たったの数年で大きく指導を変えるということは私にはできません。それは「今の指導の結果が出るのは、少なくとも10年以上はかかる」と考えているからです。

目先の指導を変えて成績が多少上がったとしても、それはあくまで「目先」だと思うからです。私は過去に考えてきたこと・書いてきたことた大きく変更したということはないんです。

ある意味で、この20年間の指導はマンネリです。とはいえ少しずつ 少しずつ形は変えています。教材のフォントを変えてみたり、丸付けの方法を変えてみたり、誉め方を変えてみたりと、全く同じではありません。それでも、数年のスパンではほぼ同じなんですね。

これは、自分のしてきた指導に対する信念に自信があるからであって、私の指導が絶対的に正しいとか、私の言うことを皆が聞くべきだなどと思ったことはありません。

この20年、いろいろなことを言われてきました。他人に文句や陰口を言うなんて最低だと叱られたこともあります。私は文句でも陰口でもなく、ダメなものはダメと言ってるだけなんですが、そう取られてしまうことも多々ありました。そしてそんなことを声高に言う方に限って、ご自分がまさにそんなことをしておられることに気付いていないものです。

私は22年目も、私が自信を持って提供できる教育を精一杯「マンネリ」でお届けしたいと思っているんです。
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もうすぐ21周年なんですよね② 勉強を教えるということ

2021-11-18 15:40:56 | 日記
 はやいもので、来月1日で開校21周年になるんですよね。もともと私はそろばんの先生をしたかったわけではありません。このブログでもたびたび書いてきましたが、小学生のころから先生になりたかったんですよね。そんなわけで教育大学へと進みました。学生時代の私は「小学生なんか何言ってるか分からん」と思っていましたので(おっと問題発言か(笑))、中学校か高校の先生になりたいと思っていました。

 諸事情合って、大学院を中間修了(半年遅れ)でした私は、奈良市内の公立中学校で非常勤講師をするわけです。そこで出会ったのは中学校の勉強はおろか、小学校での勉強すら危うい子供たちでした。そんな子供たちと向き合う中で「小さいころから最低限度の基礎的リテラシーを身に付けないとだめだよね」という結論に至りました。
 免許は中学・高校しかありませんので、小学生の教育にどうすれば携われるか?と考えた時に「そろばん」が浮かんだわけです。なので私は「そろばんを教育ツールとして使う」という、そろばんの先生としては異端児なわけです。もちろん、そろばん指導は本気ですよ。

 で、学習塾も併設するわけです。私が考えていること。それは「集団授業」につきます。どんなに時代が進んでも、どんなにICT教育が進んでも、結局その「ツールを扱う」のは人間です。ツールを扱うための根本的な能力がないと「ツールに扱われる」人間になってしまう。私はそう考えています。だから「授業」をして必要なことを「教える」のです。

 最近は「自立(自律とも書きますが、以下自立とします)学習」が声高に叫ばれます。自立型の塾も数多くあります。いくつかの自立型の塾の様子を見せていただいたり、自立型を運営されている方とお話させていただいたりで私が出した結論は「私には自立型指導は無理」というものです。
 まず、自立型でできるようにするためには、自立型の学習を積み上げる必要があります。見学させていただいた・お話させていただいた塾の皆様に共通すること。それは「先の先を見越してゆっくりと生徒と向き合う」「自立するために何度も転ぶ経験を指導の中で積ませていく」というものです。最終的な自立に向けての明確な指導の積み上げがそこにはあります。自立型指導で結果を出している方は、とにかく「待つ」ということをきちんとされています。また、想像もできないくらいのたくさんの準備をしておられます。生徒がどんな学びの方向を向いても対応できるように、無駄になってしまうかもしれない準備(実際には結構使わない準備もあるとお聞きします)をたくさんしておられます。「自立型指導は楽だ」なんてとんでもない。集団型指導の何倍も、いやひょっとすると何十倍ものたいへんさがそこにはあります。聞こえがいいからとか流行っているからと手を出すと、生徒を伸ばせないどころか路頭に迷わせてしまうかもしれない怖さがある。そんな結論に至りました。

 私は、基礎的リテラシーをしっかりと積み上げる教育を、そろばんを通して足場固めとして行っています。これは時には「やらせる」こともあるわけです。言葉を気にせずに言えば「将来自立できるような力をつけるために、小さいうちにしっかりと鍛え上げる」教育です。なので「教える」ことが指導の要となります。
 「教える」ことを通して力を身に付けてもらった生徒が「じゃあ、もう基礎的な力はついたから明日から自立学習ね!」と言ったところでうまくいくわはないと。基礎的な力がついて自分から学ぶ気持ちが出てきて、試行錯誤しながら自らの学びにしっかりと取り組み始めてようやく自立型学習に移行できる。こんな風に考えています。だから、私は「授業」をして「教える」というスタイルを貫くのです。ただし、その教えた中身を「定着させるための工夫」は、それぞれに伝えています。だから「集団指導の中に自立型の要素が少しだけある」とは言えるかもしれませんが。

 指導方法や子供たちとの向き合い方は、時代に合わせて変化してきたと思っています。例えば叱り方ひとつとってもそうです。ただ闇雲に叱るのではなくて、どうしてその行動がダメなのか?改善していくにはどうすればいいか?そのためにあなたができることは何か?こちらができることは何か?などを根気よくお話するようになりました。「どうすればできるか自分で考えてみなさいっ!」昔はよく言ってしまっていました。反省です、、、。。

 どれだけ時代が変わっても、私の指導の根底にあるのは「勉強とは自分探しである」ということです。現代社会は情報の洪水です。そんな中で泳ぐ力を子供たちには身に付けてほしい。そのための手段として、私は「集団指導で授業をして教える」というスタイルで勝負することにこだわります。
 自立型指導をされている先生方の途方もない準備は尊敬しかありません。でもそれはプロならばある意味当然のこと。私は「集団指導で授業をして教える」プロを目指して22年目も前へ進みます。
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もうすぐ開校記念日なんですよね

2021-11-17 15:00:00 | 日記
昨年は社会情勢的にも、子どもたちの安全のためにも、大々的なキャンペーンはしませんでした。11月に入って、ようやく状況も落ち着きを見せてきたように感じております。

というわけで、昨年度を振り返りつつこの21年の歩みを振り返っていこうかな?なんて考えております。

今夜以降、12月1日の開校記念日まで気ままにいろいろと書いていくつもりです。多分3名様くらいは楽しみにしてくださっていると信じています(笑)
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2021-11-09 12:06:09 | 日記
 Twitterを使い始めてほぼ3年になります。一番の理由は「穴熊先生は嫌だ」というものでした。

 おっかなびっくり始めたTwitterでしたが、お一方と繋がってからは「えっ?」というスピードでご縁が繋がっていきました。現実にお会いしてお話させていただいているだけで20名を超えました。やり取りをさせていただいている先生方を含めると50名を超えそうです。SNSを始めていなければ出会うことはありませんでしたし、様々な学びや気付きをいただくこともなかったと思います。

 そろばんの先生を始めた当時は27歳。そろばん協会に加盟したとき、私の次に若い先生で40代半ば。実に約20年の差がありました。お話いただくことすべてがたくさんの経験と実績に裏付けされたものでしたので、諸先生方のお話を聞くだけで学ぶことがあふれていました。
 指導を続ける中でたくさんの壁にぶち当たりました。ところがその壁は「そろばん」だけで解決できるものではありませんでした。結局塾を併設することになりましたが、己の未熟さに愕然とする日々が続きました。
 そろばの指導を続けていく中で、基礎基本を身に付けてもらうことには少しばかりの自信はつきましたが、やはり難関校を目指す生徒の指導にはなかなか自信が持てませんでした。そんな中で教育に関する様々な改革(改悪?)が矢継ぎ早に発表されました。これは自分の力だけでは無理だと感じました。そこでTwitterに取り組むことになりました。

 たくさんのご縁をいただきました。そしてたくさんの学びをいただきました。今繋がり始めている皆さんは私よりも年下が多くなってきました。いただいたご縁と知恵をお返ししていくべき時がきていると感じています。

 そしていざ振り返ってみると、外を見渡すことをしていなかった時期のなんともったいないこと。人はどんなにすごい能力を持っていても、1人でできることには明らかに限界があります。若いときにもっとたくさんのことを自分の中に取り入れていればと改めて思います。

 私より一回り以上も若いのにどうしてそんなにすごいのかとただただ尊敬する方もたくさんいます。その経験値と思考のすごさに驚くだけの方もまたたくさんおられます。
 ジェネラリスト・敏腕マネージャー・理数の権化・知識の泉・学参ソムリエ、、、。皆さん最低でも何かに秀でておられます(あ、日本語が怪しい先生が一人だけ(笑))。そして私が尊敬している皆さんは、そこを自慢するでもなく、他者を見下すでもなく、前をまっすぐに見て進んでおられます。そんなみなさんと出会い、そして刺激を受けることができて本当に良かったと思います。

こうした出会いを通して、助言はもちろんのこと、クレームや耳の痛いお叱りも含めて「耳や目をふさぐ」ことは何の成長ももたらさないとこの3年で骨身にしみて感じました。

 これまで培ってきたことに慢心することなく、さらに前を向いて進んでいきたいなと、そう気持ちを新たにした秋の朝でした。
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