8月最終日にこのブログを書いています。私どもの教室がある地域の学校は、多少の日程のずれがありますが、概ね29日の月曜日にはすべて2学期が始まりました。
この夏休みは中学校の部活動で「はやり病」が流行してしまい、特に学習塾の授業の予定が大幅に狂ってしまいました。臨時休講をして日程の変更を行いましたが、指導したいことの2割弱が夏休みのあとに繰り越しとなってしまいました。
もともと私はごりごりに勉強をさせる方針を持っていません。宿題は最低限にしたいんですね。これがなぜかというと「弱点が個人ごとに異なるから」これに尽きます。
問題集を◎周しなさいとか、毎週の小テストとか、家庭学習の時間管理とか。そういうことをしていれば「大人の側は」指導している気持ちになりますし、やっているつもりになります。
でも、みなさんが子供のころを思い出してみてください。「身につくように」とか「考えてやりなさい」とか言われながら、まあまあの量の課題を出されてきちんとこなし(こなせ)ましたでしょうか?。
私は、小中学生にはほとんど無理だと思うのです。もし指導する側の思惑通りこなせる生徒がいたならば、その生徒はどこの塾に通っても(なんなら通わなくても)一定の成果を出してくれるはずです。
そんなことを考えながら指導しているので、「自分で自由に使える時間を確保できる」程度の宿題にとどめたいわけです。そして「その自由に使える時間を遊びではなく自分の成長のために少しでも使える」ようにと願って、つねに声をかけ続けています。
そして指導から一貫性を失わないためにも、指導方針・方法はもう20年来変えてはいません。もちろん、使用する教材を変更したり、授業時間を変えたりといった細かな変更ありますが「やり方」は変えていません。そして子供たちと共に歩むという基本方針はこれからも変えるつもりはありません。
以前からの指導のやり方を変えていくこと・アップデートしていくと。これらこれでとても大切なことだと思います。が、少なくともそこには「これまで」と「これから」にある程度の整合性はあるべきなんじゃないかなとも思います。
後進に講釈を垂れ流すだけの有害なおっさんにはなりたくないな〜。なんて考える夏休みの終わりでした。