今回のブログは、特定の方や特定の経験からのもではありません。2年ほど前からTwitterを始めて様々なご意見を拝見するようになりました。子供たちの発達に関する知見もそれなりに学びました。ずっと心の中にもやもやしていたものを言語化しようと思います。うまく表現しきれないかもしれませんが。。。書けるところまで書いてみたいと思います。
バイト時代も含めると、教えるということに携わって23年になりました。教える仕事を始めたころと今とを比べて、子供たちが「弱くなった」とは思いません。子供たちを取り巻く環境が、そして保護者の皆様の子供たちとのかかわり方が変わったと思います。
「子供がめんどくさいと言っているので辞めます」
そろばんを始めとした習い事において、昔はよく聞く言葉でした。知り合いの先生方からもよく聞きました。最近増えてきているなあと感じるのはこれではないんです。
こどもが「ついていけていない」気がするので辞めさせます。
そろばんの先生だけでなく、お習字や英語の先生。学習塾の先生方とお話ししたり、やりとりしたりすることが増えました。そうした皆さんとやり取りする中で出てくるのが、この辞め方です。
その教室が・先生が合わないから辞めるのであれば、ある意味仕方がないと思います。でもそうではないんです。ここがずっともやもやしているのですが。。。
同時に習い始めたお友達より上手くならない・伸びないとかが遠因となって、傷つく前に引いてしまうといいますか。
先回りして、進む先にマットを敷いて、それでも危険なら立ち止まらせて、安全確認を十分にして、進む道をものすごく単純化して、その道しかないように見せてしまう。そんな風に見えてしまうんです。
こどもはたくさん失敗します。そして楽な方に逃げるものです。それでいいと思います。失敗して・伸び悩んで・足踏みして・時には少し戻って・なんなら大失敗して。そんなたくさんの「無駄」を糧にして子供たちは成長するんだと思います。
もちろん、その失敗がもとで子供が進むことを辞めてしまうくらいに傷ついたらどうするんだ?というご意見もあると思います。そのために保護者の皆様がいるわけですし、指導者と納得いくまでお話をされればいいと思います。
心に大きな傷を負うことになっても、それが前を向いたことによってできた傷ならば、そしてかかわる大人たちがこどもが前へと進むことを信じぬけば、子供は必ずといっていいほど傷を治して再び前へと進みだします。
そうした時間を過ごすこと。見守ってくれているという安心感が子供たちを前へと進ませるんだと思うんです。
求める・求めざるにかかわらず、たくさんの情報が目に耳に飛び込んでくる時代になりました。情報の洪水の中で「本当にこれでいいのか?」と悩みだすと泥沼にはまりこんでしまいます。検索すればするほど情報はどんどんと襲い掛かってきます。正反対の中身がさも正しいかのように書かれていれば、どれを信じていいかわからなくなって迷走するのかもしれません。
大人がそんな情報の洪水の中で溺れてしまえば、子供たちもまた自分の立ち位置を・進むべき道を見失ってしまうでしょう。
だからこそたくさんの失敗をして、時には進む道を間違えて引き返して、どの道を進むか悩んで。そんな試行錯誤を「自分」で「大人たちに見守って」もらいながらすること。
私はこれこそが今の子供たちに最も必要だと思っています。でもこうした「試行錯誤をする自由」は、ともすればインスタントに結果を求めることが望まれる時代においては、贅沢なことなのかもしれません。
今の子供たちは弱くなった
時々聞こえてくる表現です。でもこうして考えてみるにつけ、弱くなったのは時間の余裕を失った・「待つ」ことができなくなりつつある大人の方なのかもしれない。こんなことを思っています。
バイト時代も含めると、教えるということに携わって23年になりました。教える仕事を始めたころと今とを比べて、子供たちが「弱くなった」とは思いません。子供たちを取り巻く環境が、そして保護者の皆様の子供たちとのかかわり方が変わったと思います。
「子供がめんどくさいと言っているので辞めます」
そろばんを始めとした習い事において、昔はよく聞く言葉でした。知り合いの先生方からもよく聞きました。最近増えてきているなあと感じるのはこれではないんです。
こどもが「ついていけていない」気がするので辞めさせます。
そろばんの先生だけでなく、お習字や英語の先生。学習塾の先生方とお話ししたり、やりとりしたりすることが増えました。そうした皆さんとやり取りする中で出てくるのが、この辞め方です。
その教室が・先生が合わないから辞めるのであれば、ある意味仕方がないと思います。でもそうではないんです。ここがずっともやもやしているのですが。。。
同時に習い始めたお友達より上手くならない・伸びないとかが遠因となって、傷つく前に引いてしまうといいますか。
先回りして、進む先にマットを敷いて、それでも危険なら立ち止まらせて、安全確認を十分にして、進む道をものすごく単純化して、その道しかないように見せてしまう。そんな風に見えてしまうんです。
こどもはたくさん失敗します。そして楽な方に逃げるものです。それでいいと思います。失敗して・伸び悩んで・足踏みして・時には少し戻って・なんなら大失敗して。そんなたくさんの「無駄」を糧にして子供たちは成長するんだと思います。
もちろん、その失敗がもとで子供が進むことを辞めてしまうくらいに傷ついたらどうするんだ?というご意見もあると思います。そのために保護者の皆様がいるわけですし、指導者と納得いくまでお話をされればいいと思います。
心に大きな傷を負うことになっても、それが前を向いたことによってできた傷ならば、そしてかかわる大人たちがこどもが前へと進むことを信じぬけば、子供は必ずといっていいほど傷を治して再び前へと進みだします。
そうした時間を過ごすこと。見守ってくれているという安心感が子供たちを前へと進ませるんだと思うんです。
求める・求めざるにかかわらず、たくさんの情報が目に耳に飛び込んでくる時代になりました。情報の洪水の中で「本当にこれでいいのか?」と悩みだすと泥沼にはまりこんでしまいます。検索すればするほど情報はどんどんと襲い掛かってきます。正反対の中身がさも正しいかのように書かれていれば、どれを信じていいかわからなくなって迷走するのかもしれません。
大人がそんな情報の洪水の中で溺れてしまえば、子供たちもまた自分の立ち位置を・進むべき道を見失ってしまうでしょう。
だからこそたくさんの失敗をして、時には進む道を間違えて引き返して、どの道を進むか悩んで。そんな試行錯誤を「自分」で「大人たちに見守って」もらいながらすること。
私はこれこそが今の子供たちに最も必要だと思っています。でもこうした「試行錯誤をする自由」は、ともすればインスタントに結果を求めることが望まれる時代においては、贅沢なことなのかもしれません。
今の子供たちは弱くなった
時々聞こえてくる表現です。でもこうして考えてみるにつけ、弱くなったのは時間の余裕を失った・「待つ」ことができなくなりつつある大人の方なのかもしれない。こんなことを思っています。