一般的には学校の外でお勉強を指導する機関は「塾」という範疇に入るんだと思います。なのであえて「塾」指導としていますが、私の感覚は「学習」指導なんですよね。そしてもっといえば「指導」なんですよね。
今、国はもちろんのこといろんな学習機関で「教えすぎ」ているんだと常々思っています。日本という国は長い間「鎖国」をしていました(最近このよび方は正しくないという論もありますが、この方が通りがいいのでこう書きますね)。鎖国が終わってすぐの頃と比べると、文明は恐ろしく進歩しました。しかしながら思うのです。人間の能力はそこまで進化しているのでしょうか?我々大人が子供だったときの子供と、今の子供を比べてみるとどうでしょう?恐らく進化はしていないと言っても過言ではないかと思います。
私の好きな歌にビートたけしさんの「嘲笑」があります。1部引用しますね
『ぼくらがむかしみたほしと ぼくらがいまみるほしと なんにもかわりがない それがうれしい』
人間が生を受けその命が尽きるまで精々頑張って100年です。そのくらいの長さでは自然はほとんど変化しません。地球は誕生してから46億年が経過しているといわれます。なんと人間の命の期間の短いことか。
そんな短い時間の中で、子供たちにたくさんのことをさせすぎていると思うのです。小学校の授業を見ても私が子供の頃と比べると「総合」「英語」「プログラミング」「道徳(教科化されましたね)」が増えました。土曜日の「半ドン」はなくなりました。じゃあこの授業時数はどうやって確保するのか?これまでの授業を削っているわけですよね。
さらに高校・大学入試では「英語4技能」が求められます。4技能とは「読む・書く・聞く・話す」です。「英語で」ですよ。日本語ですら満足に論理的な思考ができていないにも関わらず「英語4技能」を求めるわけです。頭がおかしいとしか思えません。子供たちに求めることは増える一方です。あのね、こうした教育行政を決定しているお偉いさんは子供の頃にぜーんぶ完璧にできたんですよね?恐らくできている人はほんの一握りだと思います。
私は今の教育には「引き算」をする勇気が不可欠だと思っています。そして「引き算」してはいけに領域もまたあると思っています。「引き算」してはいけない部分。それは「基礎的リテラシー」だと考えています。いわゆる「読み・書き・そろばん」ですよね。もちろん今の時代に合わせたものでなくてはいけません。旧字体で書けとか、電子辞書は使うなとか。そういうことではありませんが、基礎的リテラシーを身につけることは絶対に削ってはいけないと考えています。
「引き算」してもいいことは何か?たとえば大量の課題であったり過去問題演習であったり理科や社会を丸暗記することであったりと、いわゆる「考える機会を奪う教育」です。そして基礎的リテラシーが身についてから学ぶほうがいいものは全部引き算してしまえばいいとも思っています。小学校から英語はいらないし、プログラミングは日本語で論理的な文章が書けてからでいいと思っています。
そういうわけで、私は学習指導として「基礎的リテラシーを徹底する」ことを最重要に考えて指導しています。その結果は「そろばん学習者の進学先」を見ていただければと思います。ま、教え子は本当によく頑張って自分の進路を自分の力で手繰り寄せています。そして私はそのお手伝いをできたこと。その姿を見守る機会をいただけたことに日々感謝しています。
これからも信義と信頼をいただいた皆様に、信用してくれている教え子に応えるために、日々精進を続けるだけです。
今、国はもちろんのこといろんな学習機関で「教えすぎ」ているんだと常々思っています。日本という国は長い間「鎖国」をしていました(最近このよび方は正しくないという論もありますが、この方が通りがいいのでこう書きますね)。鎖国が終わってすぐの頃と比べると、文明は恐ろしく進歩しました。しかしながら思うのです。人間の能力はそこまで進化しているのでしょうか?我々大人が子供だったときの子供と、今の子供を比べてみるとどうでしょう?恐らく進化はしていないと言っても過言ではないかと思います。
私の好きな歌にビートたけしさんの「嘲笑」があります。1部引用しますね
『ぼくらがむかしみたほしと ぼくらがいまみるほしと なんにもかわりがない それがうれしい』
人間が生を受けその命が尽きるまで精々頑張って100年です。そのくらいの長さでは自然はほとんど変化しません。地球は誕生してから46億年が経過しているといわれます。なんと人間の命の期間の短いことか。
そんな短い時間の中で、子供たちにたくさんのことをさせすぎていると思うのです。小学校の授業を見ても私が子供の頃と比べると「総合」「英語」「プログラミング」「道徳(教科化されましたね)」が増えました。土曜日の「半ドン」はなくなりました。じゃあこの授業時数はどうやって確保するのか?これまでの授業を削っているわけですよね。
さらに高校・大学入試では「英語4技能」が求められます。4技能とは「読む・書く・聞く・話す」です。「英語で」ですよ。日本語ですら満足に論理的な思考ができていないにも関わらず「英語4技能」を求めるわけです。頭がおかしいとしか思えません。子供たちに求めることは増える一方です。あのね、こうした教育行政を決定しているお偉いさんは子供の頃にぜーんぶ完璧にできたんですよね?恐らくできている人はほんの一握りだと思います。
私は今の教育には「引き算」をする勇気が不可欠だと思っています。そして「引き算」してはいけに領域もまたあると思っています。「引き算」してはいけない部分。それは「基礎的リテラシー」だと考えています。いわゆる「読み・書き・そろばん」ですよね。もちろん今の時代に合わせたものでなくてはいけません。旧字体で書けとか、電子辞書は使うなとか。そういうことではありませんが、基礎的リテラシーを身につけることは絶対に削ってはいけないと考えています。
「引き算」してもいいことは何か?たとえば大量の課題であったり過去問題演習であったり理科や社会を丸暗記することであったりと、いわゆる「考える機会を奪う教育」です。そして基礎的リテラシーが身についてから学ぶほうがいいものは全部引き算してしまえばいいとも思っています。小学校から英語はいらないし、プログラミングは日本語で論理的な文章が書けてからでいいと思っています。
そういうわけで、私は学習指導として「基礎的リテラシーを徹底する」ことを最重要に考えて指導しています。その結果は「そろばん学習者の進学先」を見ていただければと思います。ま、教え子は本当によく頑張って自分の進路を自分の力で手繰り寄せています。そして私はそのお手伝いをできたこと。その姿を見守る機会をいただけたことに日々感謝しています。
これからも信義と信頼をいただいた皆様に、信用してくれている教え子に応えるために、日々精進を続けるだけです。