東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

横浜の事件 本当に責任を取れない責任者は責任者を辞めるべきですよね

2017-01-31 23:00:00 | 日記
  「加害を疑われている児童及びその保護者への聞き取り調査については、本委員会の委員の中でも意見が割れ、聞き取りを委員会として行うべきであるという意見と、本事案が起こった時期からすでに長い時間がたっていることから、児童への人権への配慮と教育的な意味を勘案して積極的に行う必要性に疑問を呈する意見があり、長時間の討論を行った。その結果、中学校への進学を控えた時期であったことも重なり、直接の聞き取りに替わって、小学校から提出された書類等の分析・検討で判断することとした。このことは、小学校から提出された資料だけで充分であるということではなく、経過の長い事案であることと、「いじめが行われた」とされる時期から時間がすでに長く経ってしまっていることから、関係する児童の記憶が正確に再生できるかということについては、変容し曖昧になっていると推測され、小学校側から提出されたその当時の児童聞き取り調査資料以上のものを期待することはできないと判断されることと、十分ではないかもしれない資料ではあるが、小学校側の提出資料でおおむね事実の確認ができると判断されたためである。
 
また、加害を疑われている児童の保護者に対しては、この内容を伝えるとともに、本事案に対して、お話ししたいことがあれば本委員会へ伝える事ができると確認したが、申し出はなかった。」(新聞記事より引用)

 これが「第三者委員会」の見解です。要するに「子供に聞いても、覚えてるかどうか分からないし、蒸し返すのも違うから、小学校からの報告書で事足りるでしょ。だから本人たちには聞きません」ということですね。

 これを受けて、横浜市教育委員会の教育長は「関わったとされる子どもたちが、『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは疑問がある」「第三者委員会の答申を覆すのは難しい」(新聞記事より引用)

 え~と、小学生に150万円。どう考えても「おごる」という範疇は超えています。こんな額を「おごらざるを得ない」状況って「いじめ」以外に考えられないんですよ。というかこれは「いじめ」ではなくて「恐喝」です。犯罪です。ここ間違えないでほしいと思います。

 どう考えても、横浜市の教育委員会も、第三者委員会も「責任を取りたくない」という意図がスケスケですよね。本当にね、これをそのまま流すマスコミは頭がおかしいとしか思えません。

 あなたのご子息が同じ目に会ったときに、同じ対応ができますか? 絶対出来ないはずですよね。

 繰り返し述べますが、教師や教育委員会は絶対に「子供を守る立場」でないといけません。この場合は「いじめ(というか恐喝という犯罪)」として対応することで

 ◎被害を受けた生徒に対して「あなたのことを守る大人がいる」というメッセージを届け、その生徒が学校へ安心して復帰できるようにすることで、被害を受けた側の生徒の人生を守る

 ◎被害を与えた生徒に対して「これはおごるとかいうレベルを超えて「犯罪」であるということ」をきちんと教え、叱るべきは厳しく叱り、この加害生徒たちが今後他人を傷つけることがないように、彼らの将来を守る。

 と、加害生徒・被害生徒の両方を結果的に「守る」ことができるはずです。どうか、この学校に関わる大人たちが声を上げ、常識では考えられない保身に全力で走る大人たちを子供たちの前から引き摺り下ろして、子供たちを守ることの出来る大人に交代してほしいと切に願います。

 私は目の前の生徒たちが、こんな行動を取ることがないように、当たり前のことを当たり前と感じてくれるようにこれからも接していこうと思います!
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インフルエンザでの欠席および学級・学年・学校閉鎖での欠席について振替授業を実施します

2017-01-30 13:57:18 | そろばんに関する中身
 教場ニュースでもお知らせしましたが、上記の通り振替授業を実施します。

 参加できるのは、欠席のご連絡の際に「インフルエンザによる欠席」あるいは「閉鎖による欠席」とご連絡をいただいていた場合に限ります。

 1回に欠席について、振替授業1コマに出席できます。実施日時・時間帯は教場ニュースをご確認ください。

 さて、なぜ振替授業を実施するのかですよね。当初は年度末は行事が立て込むので、日程を確保できないと思っていましたが、次の月でなくてもいいかなと思い、振替授業を実施するに至りました。

 残念ながら、瓢箪山教場担当の兄先生は2月は行事・予定が詰まっていて振替が実施できません。石切教場もご案内した1日しか確保できません。

 あとは3月の実施になりますが、1月・2月の欠席分も出席できます。

 頑張る皆さんにたくさん頑張ってもらいたいと思います。申し訳ございませんが、お申込は先着順です。いっぱいになってしまえば春休みにもう一日設定します。よろしくお願いいたします。
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また間が空いてしまいました…

2017-01-27 00:22:28 | 日記
 なかなか書く時間がなくてまた更新の間隔が空いてしまいました。

 最近の思うことを少しばかり…。

 学校の先生に憤ることがたまにあります。

 私は度々書いていますが、「先生は子供たちに安心を与える存在」でなければいけないと思います。

 沖縄の先生で、生徒の家庭に問題があり、給食で食いつないでいる生徒に自分のお金で食事をさせて、

 その中で一年かけて子供の心を解きほぐし、福祉の支援につなげたという方もいます。

 「目の前の生徒が明らかに困っている…。こんなこと当然でしょ」

 一方で、私の身近にいる先生の中には自分の気分で手を上げてしまう方もいます。

 授業は5分。雑談は45分。なんていう笑えない先生もいます。

 生徒への規律指導は厳しいのに、指導する先生本人はジャージ…。

 先生は子供たちの規範であると同時に拠り所でなければいけないと思っています。

 だから私は、言うだけのことは出来る先生であり続けたいと思います。

 子供たちが何かに苦しんでいるとき、当たり前のようにそばにいることの出来る先生でいたいと思います。


そういえば

 つい半年前は「学校の先生は視野が狭い」とこきおろしていたくせに、コロッと態度を変えて「学校の先生を軽く見るのはいけないよ」

 こういう節操のない指導者、自分を良く見せるためなら平気で意見が変わる指導者を見るにつけ

 「ああ、みかけを飾ることができるって強いんだなあ」と感じてしまいます。

 指導者本人にある程度学力を上げる力があっても、私がそろばんで教えた生徒はこんな指導者の下では学んでほしくないなあ…

 なんて考えてしまいます。

 「勉強だけできたってだめだよ」 そんなもん当たり前ですよね。だから高校・大学と進むにつれて、自分で判断できる力をつけなきゃ

 だから過去問に、予想問題に、塾が定期試験に似せて作る問題で、場当たり的な勉強をさせてはいけないと思うんですよ。

 目先の成績が上がって、偏差値が(みかけで)上昇し、いわゆる「名門校」に進学できても

 中身が伴ってないんですよ。結局は。だから私は「できるまで・わかるまでする」ことにこだわりたいんですよ。

 先日、私が尊敬する素晴らしい(日本でも五本の指が入る… あっ間違えた。五本の指に入る)先生とお話したときに(←誰?くしゃみしたの)

 「ほんまに、数学のワークに赤で答えかいてるのは何故でしょうね?」というお話で盛り上がりました。

 「赤で答えを書いても、計算が・証明が出来たことにも、理解したことにもならないのにねえ」と。

 そんなわけで、これからも「当たり前のこと」を「真っ当な方法で」できるようになる力を生徒たちにはつけてもらえるように

 まっ、「いつも本気で全力で」頑張りまっす!
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徒然なるままに~その2~ あの日から22年が経ちました。

2017-01-18 00:48:42 | 日記
 今日であの悪夢の日から丸22年が過ぎました。あの震災で異国へと旅立たれた皆様に心から哀悼の意を表します。

 旅立たれた皆様へ

 私は今、子供たちを指導させて頂いております。教える中身はそろばんですが、そろばんだけにとどまらずいろいろなことを教えています。私は元々は理科の教師を目指していましたが、いろいろとご縁をいただき今はそろばんの先生です。

 大学・大学院の頃は地震の予知は可能ではないのか? という研究に没頭していました。私が大学4年生のとき、この震災が起きました。だからなおのこと、地震予知が少しでも可能であればと頑張りましたが、残念ながら私が試みた方法では無理であろうという結論になりました。

 でも私はこうした研究の過程で自然科学を学ぶということの本質に少し近づいたと思います。それは「未知・未解(こんな熟語はないですが、答えが見つかっていないという意味の造語です)の現象に、既知の知識を駆使して立ち向かっていく」ということです。そのためには、興味を持った出来事に対して素直に「なぜ」と思う心が必要です。そうした当たり前のことが、当たり前にできるようになるために必要な力を、子供たちには身につけて欲しい。そういう想いを持って、日々子供たちに接しています。

 そうして、知識を得ることができるようになった子供たちが成長したときには、自然災害に対する知識を持っていることで、自分の命を守ることができる大人になっていると思います。

 だから、普段から身の回りのいろいろなことに興味を持ち、不思議に感じたこと、分からないことをそのままにすることが気持ち悪いと思えるような、そういう人間になってほしいと思います。

 皆様方に「お前頑張っとんなあ!」と言って頂けるように、悲しい思いをする者が一人でも減るように、これまでもこれからも、精進していきます。残された者の責務として、子供たちに伝え続けていこうと思います。
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すいません…。更新が滞っていましたね。ちょっと徒然なるままに書きますね。

2017-01-17 11:25:00 | 日記
 年末年始のご挨拶はきちんとしたので、そんなには更新頻度を気にしてはいなかったのですが、気づけば9日更新していませんでした…。なるべく1週間以内に更新しようと思ってはいるんですが、用事が立て込んでくるとそうもいかないのが難しいところですね。

 さて、ちょっと気になることがあるんですよね。

 「このような学習態度・習慣では当方への入塾をお断りすることがあります」。というブログをたまに見ます。まあね、気持ちは分かりますよ。そりゃ地頭が良くて、素直で従順で…。そんな生徒だけを受け入れていけば、確実に生徒の成績は向上していきます。

 ★ 勉強に向き合う姿勢ができていなければ預かれない。そういう心の指導は小学生のうちからしたいなあ…
  だから、ある程度うちの教室に合う状態の生徒でないと、と思うので今後は受け入れをご紹介に限定します。

 と書いてある方の記事を見ました。学習塾であるのに、自分の思い通りにならない生徒は受け入れないんですって!

 私はそろばんの先生です。でも、生徒たちにきちんと将来を生き抜く力をつけてほしいと思います。怠ける心に打ち勝つ力(克己心)、しんどい状況から逃げない力(忍耐力)、毎日の課題をサボらずにこなすこと(継続力)…。そろばんの授業を通してあらゆることがらを身に付けてほしい。だから授業中はもちろん、日々の会話の中にもいろいろな想いをちりばめています。

 ご挨拶の声や、私と目が会ったときの態度、あるいはお友達との会話の声色や視線なんかで子供たちの異変に気づくことが良くあります。そんなときに信頼関係が出来ていれば声をかけますし、まだだなあと思える生徒にはそれとなくジャブを繰り出します。そうして「先生なら大丈夫」と思ってもらえる関係を作り上げて、始めてしんどい課題でもこちらを信じてついてきてくれるようになるんですね。(ただ、私が勝手に信用してもらえていると思っている独りよがりの場合も有り得るとは思っています。)

 ただ、上記のお考えの方はそのほかの記載をどう好意的に呼んでも、「私の指導はクリアすれば絶対的に正しい。だから早くに生徒を預かって自分の教えやすい生徒に育て上げたい」という思いが透けて見えて仕方ないんですよね。
 子供たちはそんなことは実は怖いくらい見抜いています。自分の都合のいいように振舞う大人の言うことは、表面上の損得で言うことを聞いているように見えることもありますが、内面では怖いくらい保身のために何かを言っているのか、本当に自分のために言ってくれているのかは分かっています。

 成績を上げていく、偏差値を上げていくこと。それだけを究極に求めるのであればこの考え方はそれほど間違いではないでしょう。でもね、子供たちの人生を預かる指導者の立場としては、「自分の色に染める」ことは怖くて出来ません。

 私が究極の目標にしていることは「自分で判断できること。そのために必要な力のつけ方を理解させること」なんですよね。自分で自分の人生を切り開くことが出来るようになって欲しいんですよ。

 そのためには、必要なことを出来る限り伝えていきたいと思っています。たとえばご挨拶はものすごくうるさく指導していますし、失敗したときはごめんなさいが言えることを大切にしています。また、何かをしてもらえば感謝の気持ちを表すことも当たり前です。
 そして日本人として知っておいて欲しいことは折に触れて伝えます。おせち料理とはなんぞや? 三が日とは? 松の内って何? 門松はなぜ飾るの?
などなど、いろんなことを伝えていきたいわけですよ。

 どんなに、えらそうな御託を並べても、どんなに能力が高そうに見えても、どんなに生徒の学力を伸ばしていても、年末年始のご挨拶ひとつすらまともに出来ない指導者ってなんなんでしょうね。

 
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