⑤ 指導者の想い
私は、学校週休2日制がスタートした年に大学に入学しました。したがって「ゆとり」と呼ばれる世代の先輩になります。
大学では理科教員を目指し、大学院に進みました。大学院時代は後進の指導をする指導助手も経験し、修了後も野外実習のお手伝いを5年間続けました。年々後輩の学力がおちていることを感じていました。
振り返って考えてみると、物事を考える基礎となる「読み・書き・そろばん(計算)」能力の低下、特に語彙力の低下を感じたように思います。
また、大学院修了後奈良の公立中学校に1年間非常勤として勤めましたが、やはりそこでも痛感したのは「基礎基本の未徹底」でした。さらに、詳細は書けませんが、子供たちの指導にあたって、先輩の先生と大きく衝突しました。それは簡単に言えば「お前は、生徒に対して肩入れをしすぎや」というものでした。
こうした経験を通して私が出した結論は
では、必要と思う知識を子供たちに伝えること。子供たちにできるだけ寄り添うこと。ダメなものはダメ!と言える指導者になること。そして子供たちに基礎基本の能力をしっかりとつけることができるうるさくてうっとうしい先生になること。
でした。最初は試行錯誤どころの騒ぎではありませんでしたが、ご理解いただいた保護者の皆様と、私を信じてついてきてくれる生徒たちのおかげで、5年後にはそろばん1級合格者が誕生ました。、お勉強面でも1級合格者を筆頭に、天王寺・高津・清水谷・夕陽丘・布施・天王寺商業(現OBF)など、自分の生きたい高校を選んだうえでの名門公立高校への進学者も多数でました。
私がそろばんを通して子供たちに伝えたいこと。それは努力は結果にウソをつかないということ。努力を積み上げることは恰好悪いことではないこと。悔しいというためには、悔しいと思えるだけの頑張りが必要であるということ。なんですね。
毎年、数名の生徒が進路の報告に来てくれます。そんな卒業生が口をそろえて言ってくれること。それは「今やったら先生の言うてたこと分かりますわ」。
この言葉に、毎年「指導していることは間違いではない」という自信をもらいます。
これまでも、今現在も、これからも、卒業生にも、今私のもとにいる生徒にも、保護者の皆様にも、いつでも胸を張れる先生でいようと思っています。
私は、学校週休2日制がスタートした年に大学に入学しました。したがって「ゆとり」と呼ばれる世代の先輩になります。
大学では理科教員を目指し、大学院に進みました。大学院時代は後進の指導をする指導助手も経験し、修了後も野外実習のお手伝いを5年間続けました。年々後輩の学力がおちていることを感じていました。
振り返って考えてみると、物事を考える基礎となる「読み・書き・そろばん(計算)」能力の低下、特に語彙力の低下を感じたように思います。
また、大学院修了後奈良の公立中学校に1年間非常勤として勤めましたが、やはりそこでも痛感したのは「基礎基本の未徹底」でした。さらに、詳細は書けませんが、子供たちの指導にあたって、先輩の先生と大きく衝突しました。それは簡単に言えば「お前は、生徒に対して肩入れをしすぎや」というものでした。
こうした経験を通して私が出した結論は
では、必要と思う知識を子供たちに伝えること。子供たちにできるだけ寄り添うこと。ダメなものはダメ!と言える指導者になること。そして子供たちに基礎基本の能力をしっかりとつけることができるうるさくてうっとうしい先生になること。
でした。最初は試行錯誤どころの騒ぎではありませんでしたが、ご理解いただいた保護者の皆様と、私を信じてついてきてくれる生徒たちのおかげで、5年後にはそろばん1級合格者が誕生ました。、お勉強面でも1級合格者を筆頭に、天王寺・高津・清水谷・夕陽丘・布施・天王寺商業(現OBF)など、自分の生きたい高校を選んだうえでの名門公立高校への進学者も多数でました。
私がそろばんを通して子供たちに伝えたいこと。それは努力は結果にウソをつかないということ。努力を積み上げることは恰好悪いことではないこと。悔しいというためには、悔しいと思えるだけの頑張りが必要であるということ。なんですね。
毎年、数名の生徒が進路の報告に来てくれます。そんな卒業生が口をそろえて言ってくれること。それは「今やったら先生の言うてたこと分かりますわ」。
この言葉に、毎年「指導していることは間違いではない」という自信をもらいます。
これまでも、今現在も、これからも、卒業生にも、今私のもとにいる生徒にも、保護者の皆様にも、いつでも胸を張れる先生でいようと思っています。