今年度は公立入試で2名の生徒が涙を飲みました。
この学年は1年生のときに全くといっていいほどお勉強をしませんでした。何度叱ってもお話をしても動きませんでした。2年生のときに「もうこの学年の塾辞めよう」と生徒たちと本気でけんかしました。それからは形だけはするようになりました。このころのお勉強の基準は「先生に叱られるかどうか」。それでもやらないよりはマシでした。とはいえ放っておくわけにはいきません。お勉強のやり方、姿勢、受験に向けて何度も何度もお話をしました。
中3の夏休み前にもう一度雷を落としました。それからゆっくりとお勉強に向き合うようになりました。真剣に進路を考えだしたときに気付くのです。「あ、これは無理やわ」と。いかに自分たちのお勉強が甘いものであったのか、いかにサボっていたのかに。
目の色が変わったのはその頃でした。もちろんもっと早くに気付くことができるように指導できなかった私の未熟さが一因です。そこは否定しませんし批判も甘んじて受けます。それでも「あれだけ目の前のことから逃げ続けた生徒たちが、できない自分と真正面から向き合っている」という成長を感じもしました。
私立受験の過去問を始めるころには「できないこと・分からないことを、できるまで・分かるまで潰していく」というお勉強をするようになっていきました。ところが、そういうお勉強をすると、やらねばいけないことが途方もない量であることに気付くのです。そりゃそうです、そこを今まで逃げてきたんだから。だから私は自分に負ける前にアドバイスをしました。
「今から復習しても無理だと思う分野・単元はいまはやめておきなさい。少し復習すれば・覚えなおせば大丈夫という分野・単元を確実にしなさい。そこができてから難しい・苦手の分野・単元に向かいなさい」と。そういうお勉強を意識してできるようになっていくと面白いように点数が伸びていきます。「確実に取るべきところ」を「確実に取れるようになる」だけで、点数は随分上向くものです。それを体得してからはさらに伸びていきました。
結果的に1年生の状態では到底受験できないはずの私立高校に全員合格できました。さて、公立です。公立高校は内申点の比重が大変大きく、さらに1年・2年の内心が2割ずつ加算されます。目標とする高校に内申点が届いてるのは受験者5名中1人だけという状態でした。
それでも4名がが第一志望を譲りませんでした。1名は悩んだ挙句上げた志望校を元に戻しました。リスクを説明しても「下げて後悔するなら、受けて後悔した方がはるかにマシ!」そう言われればやるしかありません。
伸びていく手ごたえはもちろんありましたが、それでもかなり苦しいと感じていました。
受験当日、私は入試応援というやつが好きではなく(自分が来られるとかえって緊張すると思うので)、朝にラインでメッセージを送りました(毎年こうしています)。そこには「先生は君たちと過ごした3年間に自信がありますよ」と。
結果的には2名が涙を飲みました。そのうちの1人は「絶対に3年後にリベンジしますよ!期待してください!」と。もう1人は「先生の責任ではなくて自分の責任です。自分を責めないでください」と。そして2人とも「叱ってくれて見捨てないで最後まで向き合ってくれてありがとうございました」と書いてくれました。
入試の結果そのものは悔しいものであったけれども、この入試を通してしてくれた成長は素晴らしいものでした。生徒と過ごした3年間に自信があるとメッセージを送ったこと、間違いではなかったと思っています。
合格したメンバーも含めて、もう少しかかわりは続きそうです。教え子の今後を見守ることができそうでホッとしています。これが私の仕事のいちばん幸せな部分です。不合格くらいで人生が決まるわけではありません。
ですからね。後者を大きくすればあなたの値打ちはまだまだいくらでも大きくなります。さあ前を向いて進もうぜ!
この学年は1年生のときに全くといっていいほどお勉強をしませんでした。何度叱ってもお話をしても動きませんでした。2年生のときに「もうこの学年の塾辞めよう」と生徒たちと本気でけんかしました。それからは形だけはするようになりました。このころのお勉強の基準は「先生に叱られるかどうか」。それでもやらないよりはマシでした。とはいえ放っておくわけにはいきません。お勉強のやり方、姿勢、受験に向けて何度も何度もお話をしました。
中3の夏休み前にもう一度雷を落としました。それからゆっくりとお勉強に向き合うようになりました。真剣に進路を考えだしたときに気付くのです。「あ、これは無理やわ」と。いかに自分たちのお勉強が甘いものであったのか、いかにサボっていたのかに。
目の色が変わったのはその頃でした。もちろんもっと早くに気付くことができるように指導できなかった私の未熟さが一因です。そこは否定しませんし批判も甘んじて受けます。それでも「あれだけ目の前のことから逃げ続けた生徒たちが、できない自分と真正面から向き合っている」という成長を感じもしました。
私立受験の過去問を始めるころには「できないこと・分からないことを、できるまで・分かるまで潰していく」というお勉強をするようになっていきました。ところが、そういうお勉強をすると、やらねばいけないことが途方もない量であることに気付くのです。そりゃそうです、そこを今まで逃げてきたんだから。だから私は自分に負ける前にアドバイスをしました。
「今から復習しても無理だと思う分野・単元はいまはやめておきなさい。少し復習すれば・覚えなおせば大丈夫という分野・単元を確実にしなさい。そこができてから難しい・苦手の分野・単元に向かいなさい」と。そういうお勉強を意識してできるようになっていくと面白いように点数が伸びていきます。「確実に取るべきところ」を「確実に取れるようになる」だけで、点数は随分上向くものです。それを体得してからはさらに伸びていきました。
結果的に1年生の状態では到底受験できないはずの私立高校に全員合格できました。さて、公立です。公立高校は内申点の比重が大変大きく、さらに1年・2年の内心が2割ずつ加算されます。目標とする高校に内申点が届いてるのは受験者5名中1人だけという状態でした。
それでも4名がが第一志望を譲りませんでした。1名は悩んだ挙句上げた志望校を元に戻しました。リスクを説明しても「下げて後悔するなら、受けて後悔した方がはるかにマシ!」そう言われればやるしかありません。
伸びていく手ごたえはもちろんありましたが、それでもかなり苦しいと感じていました。
受験当日、私は入試応援というやつが好きではなく(自分が来られるとかえって緊張すると思うので)、朝にラインでメッセージを送りました(毎年こうしています)。そこには「先生は君たちと過ごした3年間に自信がありますよ」と。
結果的には2名が涙を飲みました。そのうちの1人は「絶対に3年後にリベンジしますよ!期待してください!」と。もう1人は「先生の責任ではなくて自分の責任です。自分を責めないでください」と。そして2人とも「叱ってくれて見捨てないで最後まで向き合ってくれてありがとうございました」と書いてくれました。
入試の結果そのものは悔しいものであったけれども、この入試を通してしてくれた成長は素晴らしいものでした。生徒と過ごした3年間に自信があるとメッセージを送ったこと、間違いではなかったと思っています。
合格したメンバーも含めて、もう少しかかわりは続きそうです。教え子の今後を見守ることができそうでホッとしています。これが私の仕事のいちばん幸せな部分です。不合格くらいで人生が決まるわけではありません。
あなたの値打ち=これまでの人生+これからの人生
ですからね。後者を大きくすればあなたの値打ちはまだまだいくらでも大きくなります。さあ前を向いて進もうぜ!