東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

14年

2025-03-11 14:46:00 | 日記

 あの日から14年が過ぎました。あの日は授業の準備を終えてつかの間の休息をしていました。大阪府の公立高校入試の指導も一段落つき、さてそろばんを教える時間だなと思っていたところです。少し船酔いに似たような感覚に襲われ「あれ、やっぱり疲れてる?」という気持ちになったのを覚えています。しかしながら、吊り下げている時計が揺れているのを見て「えっ?」と感じました。当時はまだガラケーを使っていてワンセグでのテレビ視聴が可能だったので、テレビを付けると地震の情報。とんでもない状態になっていることが分かりました。

 東北沖の震源で、大阪が長周期振動。大学で活断層の活動予測(いわゆる地震予知の前段階です)を研究していた私にはシャレにならない状態だということはすぐに理解できました。それでも授業を止めるわけにはいきません。学童経由で来る生徒も複数いる状態では教室を止めると、行くところが無くなる生徒が出てきます。万が一に備えて、リュックに買い置きの水を詰め込み、中学生の自習時間においていた甘いものを詰め込み、ティッシュやビニール袋などを準備して、いつでも避難できる態勢にしてから授業を開始したことを覚えています。

 その日は大阪では特段の被害はありませんでしたので、準備したものを使うことはなく授業を終えることができました。その後日が経つにつれ、様々な状況が分かってきます。日に日に子供達が不安になっていきます。そこで私は授業時間内に「聴きたいことあるなら聴いていいよ」と、子供達の不安に向き合いました。学年に応じてできるだけ平易な言葉を選び、学術的なうそがないように、でもできるだけ安心できるような答えをするように心がけました。頭でっかちな人たちがいることも事実ですが、日本で現場を守る方々の技術水準は世界一だとその当時は思っていましたから(もちろん今でも思っています)、そういうことも含めてお話しをしました。

 何名かの保護者の方からご連絡をいただきました。子供がたくさんお話ししてくれましたと(私の経歴を知らなかった保護者の方々には驚かれました)。私としては子供達の不安を少しでも減らせればそれで良かったわけです。

 

 それでも現地の状況が良くなるわけではありません。さすがに原子力発電所の仕組みや安全装置に詳しいわけでも無く(フェイルセーフの仕組みくらいしか安全装置に付いての知識は無かったんですよね)、日々伝えられる緊迫した状況に対して、改めて無力さを痛感しました。

 

 思い返してみれば、このときの子供達への向き合いかたが、後のコロナ禍での向き合い方に生きたのかもしれません。

 

 とはいえ、私には子供達に伝えることしかできません。地震が来るまでにどうしておくべきなのか?地震が来たらどうするべきなのか?地震が来るとどのような災害が起こるのか?などなど。私の今の立場でできることは、学んだ知識を「生きた形」で子供達に伝えることです。阪神淡路大震災、鳥取県西部地震、岩手・宮城内陸地震、東日本大震災、熊本地震。平成以降でも大きな震災は複数起こっています。そしてこれからも震災は起こるはずです。だからこそ、機会を見て伝えていかなければいけないと思っています。

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体験授業でお話すること

2025-03-01 13:32:18 | 日記

 ここのところ、新しいご縁をたくさん頂戴しています。感謝申し上げます。

 ところで、新しいご縁をいただくにあたって、体験に来られたお子様の様子を見せていただき、保護者の皆様とお子様のことについてお話をさせていただく。という機会もここ最近増えました。そこでいろいろとお話に上がることが「お子様の今後」という視点なんですね。

 大阪府に限ってのお話になりますが、公立高校入試だけでもルールを把握せねばなりません。(いろいろと思うところはありますが)そのルールに文句を言ってもルールが変わるわけではありませんから、ルールにできるだけ沿う形で、でも基礎力はゆるぎなく育てたい。そういう私の考えをお伝えするわけです。

 デジタルデバイスの使用によって書くことにとにかく弱くなった。学校現場では様々な導入が多数行われてきた(タブレット・英語学習・プログラミング的思考・アクティブラーニングなどなど)が、「減らす」という視点での教育改革がないので、読み書きそろばん(基礎的リテラシー)をはぐくむ機会がかなり減っている。教えるのではなく考えさせる授業が増えているが、土台となる基礎を授業として教えていないので、深く思考することができていない。

  だからといって、そろばん学習に来る生徒は主に小学校低学年ですから、そんなに難しいことをできるわけではありません。だから私の教室では基礎的なことを徹底します。またアナログに徹底的にこだわります(紙に書く、そろばんで自力で計算する、古文や銘文を暗誦するなど)。そして学年に応じて学習イベントを行います。

 こうした「ちょっとした努力」の積み重ねを頑張ってもらいます。とお伝えすることが増えました。そして体験に来ていただく保護者の皆様にはご理解やご賛同をいただくことが多いということはうれしいことです。

 

 もう少しこのまま「子供たちの底力」を鍛えることにこだわっていきたい。ここ最近の体験授業で感じたことでした。

 

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入試前日

2025-02-09 18:00:00 | 日記

 大阪府私立高校入試を明日に控えて、中3は勉強に励んでいます。私は入試直前期の授業を質問対応に全振りしています。

 入試前の日曜日、赤本を入試と同様に朝から昼食をはさんで5教科をやりきる。そしてその場で採点して解答内容にコメントする。これを3週にわったって行います。採点過程ででてきた課題を各自に伝えてあとは自分で弱点の補強に頑張ってもらっています。もちろんこちらからある程度指示はします。そして生徒からのリクエストがあれば、できるだけその要求には答えるようにしています。

 入試直前はどれだけやっても不安になるものです。それは保護者も同じだと思います。「入試直前対策講座」なんてのはとても耳障りのいい言葉です。やっておけば少しでも不安は軽減されるのかもしれません。でも私は思うのです。

 「普段の授業を受けているだけでは、入試の対策にならないであれば、その普段の授業は必要なのですか?」と。実技試験が課される場合や、面接など一般的な入試で実施されにくい部分への対応は特別講座が必要なのは分かります。でも「入試直前英語長文対策講座」とか「入試直前作文対策講座」とか、、、。それ普段から指導しておくものではないのか。別講座・別料金にするようなものなのか?と疑問に思うこと。毎年の恒例行事です。

 私は全く逆の考え方かもしれません。この時期に「わかっていることを共通で無理やりやらされる」ことは、生徒たちにとって苦痛でしかないと思うのです。限りある時間だからこそ有効に使う。それこそが大切なことだと思うのです。

 私は(問題が特殊な大阪府公立のC問題は、さすがに少し別対策をしますが)入試前だからと言って特別な講座をしようとは思わないのです。

 入試直前に私が気を付けていることは2つ。1つは「あまりにも無駄なことをしていないか確認する」ということです。単語をくり返し書いたりという勉強はさすがにこの時期の中3はしませんが、いわゆる「難しすぎる問題」に時間を割きすぎていないかはそっとアドバイスを入れます。「時間を割くことで伸びる部分に適切に時間をかける」ようにしてほしいからです。

 もう1つは「無理をさせない」。毎日夜中まで勉強しても、その努力が高校3年間継続できるならまだいいんです。この時期だけの「無理」をして背伸びして進学することに、私はあまり意味を感じないからです。ただ本人の志望とその理由がはっきりしていて、頑張りどころだと判断すればこの限りではありませんが、睡眠時間を削ることはできるだけさせないようにしています。

 さらに、明日の授業もお休みです。というか塾に来るのをストップかけているくらいです。「いつもと同じように過ごすことが大切だ。だから入試の当日であっても夜の授業を行う」という塾さんの考え方も理解できます。でもほとんどの生徒が人生で初めて「選抜される」という経験をしてくるのです。そのストレスは尋常なものではないのです。だからこそ私はゆっくりと休むということをしてほしいのです。

 この1日の休息で合格が遠のくならそれはそもそもが無謀な挑戦です。休息すべき時は休息する。これは子供たちのこれからの人生において知っておくべきことだと思うのです。そしてやるべき時はやる。この経験もまた受験を通して知ればいいのです。

 私はこう考えて子供たちを指導しています。

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30年

2025-01-17 05:46:00 | 日記

 私は大学4年生で「断層活動(地震)は予測」を最終目標として「断層活動年代測定(断層が動いたのが今から何年前かの測定)は可能か?」を卒論のテーマとして取り組んでいました。

 1995年1月17日、兵庫県淡路島の野島断層の活動を起因とした「阪神淡路大震災」(正式には『平成7年兵庫県南部地震』)が起こりました。日本はプレートが複雑に絡み合うことでプレート境界にも、またプレート内にも応力がかかります。このことが原因で、非常に地震が起こりやすくなっています。だからこそ、私はこのテーマに興味を持ち研究をしていました。

 京都大学の教授ともつながることができ、修士時代にはさらにこの研究を進めました。結果的に「断層活動年代を測定することは難しい」という結論になりました。ただかなり安価に「活断層(おおよそ千年以内に自信を引き起こす活動をして、今後も引き続き自信を引き起こすおそれのある断層)かどうかの簡易的判断」は可能であろうとの結論をもって、無事に修士論文を審査を通過しました。

 結果的に地震予知に何か貢献できたわけではありません。でも「地震」というものを深く学ぶことができました。たかだか一人の学生・院生が深く学んだところで世の中が何か変わるわけではありません。でも私は今、子供たちに教えることができる立場になっています。地震を予知したり、地震被害を減らしたりすることはできません。でも地震とは何か、どうすればよいか、命を守るためにどんな知識を持っておくべきかなどを「伝える」ことはできます。

 地震を含めた自然災害について学ぶ教科は理科です。そして高校では「地学」として、また大学以降では「地球惑星科学」として学んでいくわけですが、その入り口となる「高校地学」が実際に高校ではほぼ選択されていないという現実があります。中学を卒業すると、地学の学びに触れない生徒もたくさん存在するわけです。

 日本は地震大国といわれます。またその特殊な地形のせいで火山活動もまた活発な国です。台風も通過するし雪も降ります。地震に限らず日本人は常に自然災害と向き合ってきました。そんな日本人が身を、命を守るために様々な言い伝えがあります。そしてさらに先人が積み上げてきた知識を「地学」という形で学ぶことができるようになっています。

 でも現状はどうでしょうか?入試に有利なことだけが選択され、コスパ・タイパが重視され、地学の灯は風前の灯火です。だからこそ、こうした知識を持つ大人が子供たちに少しでも伝えることに意義があると思うのです。

 だから私は今年も伝えます。子供たちの命を未来へと。微力も微力ですが…

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今年1年の指導を振り返って(そろばん・学習共通です)

2024-12-30 01:24:05 | 日記

 今年は指導の上で大きな問題は起りませんでした。禍も落ち着きをみせてくれたことで、指導もイベントもほぼ元通りにできたと思います。

 そろばん指導においては「読上げ」を復活させました。読上げの練習は「聴く力」と「集中力」を育ててくれます。このことからできるだけ速く読み上げの練習をしたかったのです。とはいえ、生徒数がそこまで多くないことで、クラス編成も完全に能力別というわけにいかず、異なる技量の生徒が混在する中での読上げ指導に躊躇していました。ところが実際におこなってみると、想像以上に生徒達の「読上げ」への技量が低下していたので、全く新しい気分で導入することになりました。今後は検定試験などの合間に力を入れていきたい指導の1つになりますね。

 また、検定試験の受験においては日商検定受検者が少なくなっていました。これは禍が始まったときに生徒募集を一時停止したり、受け入れ人数を制限していたときの低学年が高学年になってきたことに原因があります。そもそも現在の4~6年生の在籍者数が少ないということもあります。それでも3級以上の練習生徒が増えてきたので、数年ぶりに受験者数が前回受験者を大きく上回ることになりました。ぜひともたくさんの生徒に合格をしてほしいものです。

 

 一方学習指導においては「生徒の学力格差」を成績から感じることが増えました。特に「英語」と「数学」においては教えている各中学校において、成績分布が「M字型」になりつつあります。これは生徒達に学力が上位層と下位層にはっきりと分かれ始めていることの表れといえます。

 当教室はそろばん教室ですので、「数学」の成績に関して言えばそこまで困ることもなく、数学の状態については学校からの成績分布を見るまでは気がつきませんでした。英語に関しては指導していても「小学校英語」と「中学校英語」のつながりの悪さを感じることが多く、ここ数年で小学生の英語授業を大きく変更していたのですが、それでも英語の定着の悪さは実際に感じているところです。

 現状では私が見ている生徒は全体的に言えば学校平均を超えていますので、そこまで授業のしんどさを感じるものではありません。しかしながら、授業をしていて「え?これも指導されていないの?」と感じることが少なくありません。生徒に聴くと「アクティブラーニング」をなんとか行おうとしている先生方の苦悩を感じます。それでも「基礎的な知識」すら身につけていない状態で「アクティブラーニング」が成立するわけもなく…。私は教科書内容の充実と身につけるべき知識をなんとかして伝えているのが現状です。

 このような現状で「自律(自立)学習」(アクティブラーニングに近しい)ことを行っても、一握りのできる生徒以外には効果があまりないことは明白です。「自律(自立)学習」といえば聞こえはいいですが、本来身につくべき基礎的知識が身についていない状態での「自律(自立)学習」は、キャッチボールも満足にできない状態で野球の試合に挑むようなものだと考えます。まずは基本的な知識の習得を、そして基礎的な勉強を確実に身につけてもらうこと。これを念頭において指導をしていますので、私が「自律(自立)学習」を行うことは当面ないと思います。

 

 当教場は「そろばん指導」の中に当たり前の指導として「漢字の読み書き指導」を取り入れています。これをして「読み書きそろばん(計算)」といわれる「基礎的リテラシー」を身につけることができるような授業をおこなっています。

 教科書が、指導要領が高レベルを要求するようになり、学習にも「コスパやタイパ」が求められる。これが現代社会では当たり前かもしれません。しかしながら、子供達の成長に「コスパやタイパ」を求めること。これ自体が大きな大きな間違いだと思うのです。

 私は来年も「コスパ・タイパ」とは対極にある「そろばん」というアナログな教具を用いて、そして「読み取り・書き取り」というデジタルデバイスを無視したやり方で、子供達の基礎力の底上げに腐心しようと考えています!

 

 今年も1年間、当ブログにお付き合いいただいた皆様に厚く感謝と御礼を申し上げます。更新頻度は多くありませんが来年もぼちぼち更新していく所存です。よろしければどうぞ来年もゆるくお付き合いくださいませ。

 

 それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!

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