東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

美人

2013-11-14 00:35:55 | 日記
 今日は授業中に卒業生がふらっと来てくれました。

 小学校卒業時に辞めるまで、なかなかのやんちゃぶりを発揮していました。そろばんをしているときも、お世辞にもいい態度ではなかったですし、結構反抗的な態度を取っていました。それでもやることをきちんとしないと許さない私とはたびたび衝突しました。

 その彼女も今では府立夕陽丘高校に通う女子高生です。そして看護師を目指していることを教えてくれました。いろんなお話をしている中で、「せんせ~。暗誦はほんまに役に立ってるわ。あれはほんまにいい!」と言ってくれました。そして今、教室で頑張っているみんなに「ちゃんとせんせ~のゆうことききや!」とは!。

 あの、小学生の頃のあなたに聞かせてあげたい(と思いましたが心の中にしまっておきました)。反抗しながらも、クリアしていったあの中身。勉強を進めていくうちに、私が伝えたかったことを彼女なりにと受け取っていたことがわかり、かなりうれしい気分になりました。子供たちとけんかをしながら、毎日悩みながら進んでいく私に、卒業生が答えのひとつをくれること。すごくうれしい限りです。

 そして、小学生のころは、少しとげとげしい雰囲気のあった容姿は、優しさを感じるふんわりとした(なかにも凛としたものを感じる)しっかりとした大人に近い「女性」になっていました。しっかり育った彼女には「美人」という言葉が相応しいと感じました。

 その夢、叶うといいね。ぜひかなえてくださいね!。
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季節の変化にご用心

2013-11-07 23:40:12 | 日記
 今日は、3人の生徒が体調不良でお休みとなりました。

 なかには、元気印の生徒まで含まれていたので驚きです。

 さて、この時期教室でこんな注意を始めます。

「お部屋に入ったら服を一枚脱ぎなさい」


 子供たちって、自分で「温度調節」をする機能も、「服で調節する」っていう感覚もまだまだ未熟なんですね。だから、教室ではこうした指導をします。そのときに「お部屋中は暖かいでしょ。そのままの格好で寒いお外にでたら風邪をひきやすくなるよ。だからお部屋に入ったら服を一枚脱ごうね」と声をかけてあげます。普段の生活でも温度調節に意識が向くようになってほしいなあと思うからです。

 それでも、風邪をひかなくなるわけではありません。でも「予防」の意識があるのとないのでは大違いだと思います。ただ、上着を脱いだら中から半袖の恰好が出てくると「?」になることもあります。

 季節に応じた服装も、体調管理を支えます。お休みをするとお勉強はもちろん、友達との話題にも穴が開いていきます。なるべく生活の中に「穴」を作らないためにも、できることから体調管理を心掛けていただければ幸いです。

 もちろん、体調管理を心掛けても、体調を崩すときは崩します。それはある程度しかたのないことです。ただ、体調を崩しにくくすることは可能だと思います。私も言った手前、体調管理には気を付けたいと思います。
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偽装

2013-11-06 23:35:54 | 日記
 最近「食品・食材の誤表示」が話題になっています。

 「国産」が「外国産」だったり、「車海老」が「ブラックタイガー」だったり、「生搾り」が「既製品」だったり…。ちょっと笑ったのは「おふくろの味」を作っているのが「中年男性」だった…。これはいいと思いますがねえ。

 少しでも商品をよく見せるために、本当ではないことをさも本当のように喧伝する。確かにいいことではありません。でも、そうした食材のうそを食べた側も見抜けなかったわけですよね(見抜いたうえで、行かなくなった方もおられると思います)。

 クレームがたくさん来ていたら、多分こうした「誤表示」はすぐになくなっていったはずです。でもクレームもないし、健康被害も出ていない。そして何より利益が出せるからそのまま突っ走ってしまったのかもしれません。

 やはり嘘は隠し通せるものではありませんでした。結構な数の「誤表示」が白日の下にさらされています。今、心配なのは、真っ当な食材を用いて、真っ当なお料理を提供し、愚直なまでに頑張っているお店まで「あそこも誤表示ちゃうの?」と、くくられてしまうことです。

 こんなときに、ただ落ち度のある側を叩いて溜飲を下げるだけでいいのか?、と思ってしまう自分がいます。ただただ落ち度のある側を叩いても、物事の根本は解決しません。だって「誤表示」を見抜けなかった人の数のほうが多分多かったんです。だから、問題の根本は「誤表示をした」ことで「誤表示をした側」が「今後の信用を失う」という事実にどれだけ真摯に向き合うのか。そして、「真の表示」を本当に信じていける店づくりをしていくことが本当に可能なのか?。という点にあると思うのです。ただ頭を下げてお金を返せばいいと考えている会社の数が多いような気がしています。

 そして今回の誤表示の問題点は、これが「誤表示」ではなくて「偽装」であるものも含まれているということです。叩くことは良しとしませんが、「悪意のある偽装」は、きちんと落とし前をつける必要があります。

 なぜなら、今この状態を見て育つ子供たちに「偽装」することなく、責任ある立場の大人の事態の収め方・身の処し方をきちんと見せることが必要だと思うからです。
 そして「自分の能力を偽装しても、結局自分に返ってくること」「その場しのぎの誤表示は、自分の能力が伴ってないわけだから、必ずボロが出てしまうこと」「だから、今できることに精一杯になって、本当の自分を磨くこと」が大切だと教えることができるはずです。

 どうか責任ある立場の方々には、去年の大津市教育委員会の教育長のような、知らぬ存ぜぬを通す恰好悪い事態の収めかたはしないでほしいと切に願う次第です。
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危険運転をしない大人に育ってほしい

2013-11-06 00:21:56 | 日記
 今日、自動車事故に関する法改正についてのニュースを見ました。

 危険運転致死傷罪だけでは対応できない事故(たとえば飲酒運転⇒事故を起こす⇒お酒が抜けるまで逃げる)につて、免責罪でしたっけ?。とにかく逃げ徳はありえないという刑罰を新設することになりました。

 ところで、こんな法律を作らないといけないってすこしおかしいと感じませんか?。お酒飲んだら運転したらあかんのです。免許を持たずに車を運転したらあかんのです。こんなこと当たり前のことなんです。

 でも法律をつくらないと、今までの法律の斜め上を行く犯罪が出てきてしまうのです。それはなぜでしょうか?

 ひとえに教育のせいだと思います。反復練習をすることが恰好悪いなんて風潮がいけないんだと思います。努力して結果が得られたとき、人はその結果を愛おしく思い、そしてその結果を大事にしようとします。他人に誇れる結果が積み重なっていけば、やがてその方面に興味が向き、それを一生の仕事にしたいという気持ちが芽生えてきます。そうすればその夢に向かって努力をすることが楽しく(時には苦しいでしょうが)なるはずです。そうして得た結果を棒に振るようなことは自然とできなくなります。
 幼少期にそういう原体験をしていない子供たちは、自分に、そして社会に失望し、自暴自棄になり、そのときだけ楽しければいいという感覚に支配されていきます。そう「あきらめて」しまうのです。努力することがめんどくさく、そして努力そのものに意味を見いだせなくなってしまうのです。こんな価値観になってしまえば、その価値観を覆すことは容易ではありません。

 だからこそ、今、子供時代にたくさんのめんどくさい経験を積み上げ、結果を出し、その結果を共に喜び、人生成功の原体験を積み上げていかねばならないのです。そしてその豊富な成功の原体験が、子供たちを思いやりのある大人へと育てていくのだと思います。そして私たち大人は、子供たちが成功体験を積み上げることができるように導いてやり、結果を出した時には共に大いに喜び、子供たちが前を向いて走り続ける原動力を引き出してやらねばならないのです。

 そのために、私はそろばんで子供たちの前に立ちはだかります。そうめんどくさい壁になって。漢字も、暗誦も、あいさつも、姿勢も、鉛筆の持ち方も、全部壁になって立ってやります。そしてこの壁を乗り越えた向こう側にある、答えの一つを見つけてもらいましょう!

 え~と、そこのあなた。「あんたそのお腹が、立ってるだけでもうすでに壁やわ!」。なんてひどいっ…(やっぱりオチつけると説得力なくなりますよね。次からどうしようかなあ)
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そろばんでは計算力しか育たない?

2013-11-05 00:13:15 | そろばん学習で得るものは?
 よく、塾の先生に「そろばんでは計算は上手になるけど、それ以外には力はつかないよ」と言われたお話を聞きます。

 たしかに、本当にそろばんだけを指導する教室で、珠算5級前後の合格で辞めてしまった生徒さんに関しては、この意見はある程度正しいと思います。

 しかしながら、珠算1級合格を果たすころから明らかに子供たちの脳力は変わってきます。そして大体段位を取得するころになると明らかに脳の回路が「つながった」という感覚を見せてくれるようになります。

 たとえば、私は珠算を小学3年生から始めました。途中中学3年生の冬休みから受験終了まで、高校3年生の秋ごろから大学入試終了までお休みしながら、大学2年生の6月・教育実習に行くときにいったんそろばんから離れるまで続けました。約11年間取得できたのは珠算4段・暗算は4段(わり暗算10段が自慢です)。塾には中学3年生の冬休みに7日間、高校3年生の冬休みにセンター試験対策講座を受けに予備校に6日間行きました(どちらもデータがほしかったんですね)。塾には行っていないようなものです。頭を使う習い事はそろばんだけ。でもそのそろばんが自分を育ててくれたことは疑いようがありません。

 ちなみに経歴は大阪府立清水谷高校⇒奈良教育大学⇒奈良教育大学教育学研究科(大学院)です。

 まず自分の経験から言えば、「映像で覚える」。これはたとえば教科書の映像ごと・授業の黒板ごと頭に浮かぶ感覚です。ちょうどスライドショーを見ている感覚といったほうがいいのかもしれません。これはそろばん式暗算が「写像」を鍛えたことに起因すると思います。というのは、そろばん式暗算は普通の学校教育では鍛える機会の少ない「右脳」(芸術脳とも呼ばれます)を鍛えることが、脳科学者によって科学的に証明されたことを知ったからこそ言えることです。

 たとえば、そろばん式暗算を応用した暗算のやり方に「フラッシュ暗算」というものがあります。これは画面上に次々現れる数字を足していき、最後の数字までたした答えを求めるというものです。
 体験授業にこられた保護者の方々とお話しながら、この計算を目の前でやって見せますと、珠算未経験の方はもちろん、珠算経験のある方でも「えっ!」となっていただくことができます。そしてこれは私にとっては特別なことではありません。生徒と会話しながらでも、なんならカラオケを歌いながらでもできてしまいます。

 これは言語領域を司る「左脳」と芸術領域を司る「右脳」を並行して動かせるからこその技であろうと思います。そのことを先の研究結果を知り、説明できるようになりました。

 現在教室には、簡単な歌を歌いながら暗算ができる生徒ならたくさんいます。大体珠算・暗算ともに2級合格前後からこの能力が見えてくるように思います。

 二つのことが並行してできるということは、たとえば授業を聞きながらノートを取る。作業をしながら先生の話を聞くということが自然にできるということの裏返しになります。

 そろばんなんか習っても計算しか伸びない!。とお考えの方にはどうか反論をお待ちしています。(もちろん、こうした能力がつくまでに、それ相応の期間が必要であることは否定しません)
 それくらい私が指導しているそろばんの持つ力には絶対的な自信を持っています。ただ、私の指導力が完全かと言われると…。でも、少しでも子供たちが伸びてくれるように、教室にはたくさんの仕掛けを用意しています。
 そして、明日も生徒たちとともに学びながら、少しでも教室をよりよくしていこうと思っています!。今日はオチなしです。ゴメンナサイ。
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