大阪府公立高校の入試において、英語については次のような規定があります。
★TOEFL iBT 60点 ★IELTS スコア6 ★英検 準1級 読み替え得点率100%(試験で何点であっても英語は満点扱い)
★TOEFL iBT 50点 ★IELTS スコア5.5 ★英検 (対応無し) 読み替え得点率90%(試験で81点未満でも英語は81点扱い)
★TOEFL iBT 40点 ★IELTS スコア5 ★英検 2級 読み替え得点率80%(試験で72点未満でも英語は72点扱い)
TOEFL iBTもIELTSも基本的には英語の4技能を判定する英語の検定試験です(それぞれのレベルが完全に対応するのかは私には分かりませんが、それぞれの紹介を読む限りはそれぞれの対応にはしかるべく整合性はあるんだろうと理解します。なんにせよ専門外なのでここではその点は完全に対応するとして話を進めます)
で、いろいろ文章を考えていたんですが、今日放送されたTBS系列の「林先生の初耳学」でひとつの答えを林先生が出しておられました。
「子供に早期英語教育やらしてる東大出身の親に会ったことがない」
「日本社会はそこ(英語ができたら全てができると考える:筆者注)の物差しが狂ってる。もともと(本人)のスペックを高くしたら、英語はすぐにできるようになります」
はい、終了!
とはいきませんよね。
さて、まずは英語教育を早期から行うことについての私の考えを書きます。
人間は物事を深く考えるときに使用する言語があります。幼少期から身に付けたその言語を母語というんですが、この母語が母語として人間の中に確立するのは平均的に7歳~15歳と言われています(教育環境に大きく左右されるのでこれだけの幅があります)。発達生理学や発達心理学の観点から見ても、概ねこの年齢の範囲にはいるようです(私が読んだ文献に拠りますので、間違いがありましたらぜひコメント欄でご指摘ください。訂正します!)
幼少期に二つ以上の言語を同時に学びながら育った場合、この母語が明確に育たず、自分が深く物事を考えるときに常に二つ以上の言語が脳内を駆け巡り、深い思考を行うことが難しくなる場合が多くなるというのが一般的なお話です。
私が実際に幼少期から英語教育をしている幼稚園や、アメリカンスクールへ通った生徒と接した経験からも、この考え方は間違いではないと言えます(ただし、どちらかの言語に振りなおして母語を確立できた生徒もまた知っています)
自分の意見を正しく表現できるようにすること。このことこそ、教育においては先決だと考えます。「英語ができる」ということと、学術的なことを思考できるということは別なのです。
そのために、まずは自分の国の言語をしっかりと身につける事。当人にきちんとした能力があるのであれば、日本語をきちんと身につけてから英語なり他の言語を学んでも十分に使いこなせます。これは向き不向きの問題を含みます。
で、大阪府の公立高校の英語問題についてですが、教育委員会の方々は大きな勘違いをしていると思っています。それは「英語で読む・聞く・書く・話す」という4技能が仮にある程度できたとしても、それは単に「英語圏で生活ができる」ということでしかないということです。
中学生程度が学んだ学術的な知識などたかが知れています。そんな知識の裏づけしかない状態で英語検定技能を取得していても、それは真の学力ではない可能性が高いと言うことです。
中学生が進めるべき学びは、先人が開いてきた学問をきちんと間違いなく身に付けること。そして必要に応じてその知識を取り出せるようにしておくこと。高校・大学と学びを進めたときに自分が積み上げた知識の裏打ちを持って、更なる学びを進めることができるようにしておくこと。だと思うのです。
さらに、現職の中学校の英語の先生が果たしてどれくらい読み替え得点率100%の検定資格を持っておられるのでしょうか? さらに中学校の授業をきちんと身に付ければ、読み替え得点率100%の検定資格を得ることができるのでしょうか? 中学校の教育現場で、読み替え得点率100%となる検定資格を取得できるように指導しているのでしょうか?
答えは「否」だと思います。実際に授業を受けている生徒たちの様子を見ると「教科書を進めるだけで精一杯」という印象を受けます。
入試とは、中学校で学んだ知識がきちんと身に付いたかを問うものでなくてはいけません。そして満点とは「中学で身に付けるべき内容が不足なく身に付いている」という意味でなくてはいけません。中学校で指導する中身を著しく超えた中身を持ってして「読み替え得点率100%」は本当におかしな話だと思います。
本来中学時点では必要のない勉強を中学生に強いることになるのだろうと非常に憂いています。
私は、ぶれることなく中学生に必要な力をきちんと身につけるべき指導を貫きたいと思います。そしてそこを超えて挑戦したいと言う生徒が出れば、その想いにも応えることができるように頑張りたいと思います。
★TOEFL iBT 60点 ★IELTS スコア6 ★英検 準1級 読み替え得点率100%(試験で何点であっても英語は満点扱い)
★TOEFL iBT 50点 ★IELTS スコア5.5 ★英検 (対応無し) 読み替え得点率90%(試験で81点未満でも英語は81点扱い)
★TOEFL iBT 40点 ★IELTS スコア5 ★英検 2級 読み替え得点率80%(試験で72点未満でも英語は72点扱い)
TOEFL iBTもIELTSも基本的には英語の4技能を判定する英語の検定試験です(それぞれのレベルが完全に対応するのかは私には分かりませんが、それぞれの紹介を読む限りはそれぞれの対応にはしかるべく整合性はあるんだろうと理解します。なんにせよ専門外なのでここではその点は完全に対応するとして話を進めます)
で、いろいろ文章を考えていたんですが、今日放送されたTBS系列の「林先生の初耳学」でひとつの答えを林先生が出しておられました。
「子供に早期英語教育やらしてる東大出身の親に会ったことがない」
「日本社会はそこ(英語ができたら全てができると考える:筆者注)の物差しが狂ってる。もともと(本人)のスペックを高くしたら、英語はすぐにできるようになります」
はい、終了!
とはいきませんよね。
さて、まずは英語教育を早期から行うことについての私の考えを書きます。
人間は物事を深く考えるときに使用する言語があります。幼少期から身に付けたその言語を母語というんですが、この母語が母語として人間の中に確立するのは平均的に7歳~15歳と言われています(教育環境に大きく左右されるのでこれだけの幅があります)。発達生理学や発達心理学の観点から見ても、概ねこの年齢の範囲にはいるようです(私が読んだ文献に拠りますので、間違いがありましたらぜひコメント欄でご指摘ください。訂正します!)
幼少期に二つ以上の言語を同時に学びながら育った場合、この母語が明確に育たず、自分が深く物事を考えるときに常に二つ以上の言語が脳内を駆け巡り、深い思考を行うことが難しくなる場合が多くなるというのが一般的なお話です。
私が実際に幼少期から英語教育をしている幼稚園や、アメリカンスクールへ通った生徒と接した経験からも、この考え方は間違いではないと言えます(ただし、どちらかの言語に振りなおして母語を確立できた生徒もまた知っています)
自分の意見を正しく表現できるようにすること。このことこそ、教育においては先決だと考えます。「英語ができる」ということと、学術的なことを思考できるということは別なのです。
そのために、まずは自分の国の言語をしっかりと身につける事。当人にきちんとした能力があるのであれば、日本語をきちんと身につけてから英語なり他の言語を学んでも十分に使いこなせます。これは向き不向きの問題を含みます。
で、大阪府の公立高校の英語問題についてですが、教育委員会の方々は大きな勘違いをしていると思っています。それは「英語で読む・聞く・書く・話す」という4技能が仮にある程度できたとしても、それは単に「英語圏で生活ができる」ということでしかないということです。
中学生程度が学んだ学術的な知識などたかが知れています。そんな知識の裏づけしかない状態で英語検定技能を取得していても、それは真の学力ではない可能性が高いと言うことです。
中学生が進めるべき学びは、先人が開いてきた学問をきちんと間違いなく身に付けること。そして必要に応じてその知識を取り出せるようにしておくこと。高校・大学と学びを進めたときに自分が積み上げた知識の裏打ちを持って、更なる学びを進めることができるようにしておくこと。だと思うのです。
さらに、現職の中学校の英語の先生が果たしてどれくらい読み替え得点率100%の検定資格を持っておられるのでしょうか? さらに中学校の授業をきちんと身に付ければ、読み替え得点率100%の検定資格を得ることができるのでしょうか? 中学校の教育現場で、読み替え得点率100%となる検定資格を取得できるように指導しているのでしょうか?
答えは「否」だと思います。実際に授業を受けている生徒たちの様子を見ると「教科書を進めるだけで精一杯」という印象を受けます。
入試とは、中学校で学んだ知識がきちんと身に付いたかを問うものでなくてはいけません。そして満点とは「中学で身に付けるべき内容が不足なく身に付いている」という意味でなくてはいけません。中学校で指導する中身を著しく超えた中身を持ってして「読み替え得点率100%」は本当におかしな話だと思います。
本来中学時点では必要のない勉強を中学生に強いることになるのだろうと非常に憂いています。
私は、ぶれることなく中学生に必要な力をきちんと身につけるべき指導を貫きたいと思います。そしてそこを超えて挑戦したいと言う生徒が出れば、その想いにも応えることができるように頑張りたいと思います。