東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

異常気象時の対応について ※再掲です※

2019-06-26 21:55:44 | 休校・異常事態への対応
◎すべてはお子様の安全を最優先にお考えいただき、安全を確保できた場合は以下のルールであるとお考えください◎

★ 警報発令に関わらず、当方は教室を開けます。ただし、警報発令中の登下校における事故・けがなどについて、当方は一切の責任を負いません。保護者の皆様においてご判断ください。教室に来られた場合は、通常通り授業を行い、通常通りに終了します。
 教室に来た後で、雨や風その他が強くなった場合、保護者の皆様に確認のご連絡はいたしますが、警報が発令されない限りそろばん最終組の授業終了時までしかお子様はお預かりできません。

★ 特に石切教場の最終クラスは19時40分過ぎに教室を施錠しますので、それ以上お迎えを待つこともできません。教室に来られる場合はご了承ください。(ただし、避難準備以上が発令された場合は、もちろん最後の生徒が教室を出るまで待機します)

★ ただし、授業中に「エリアメール」などにより、避難準備・指示・命令地区に指定された地域に住んでる生徒は、発令時を持って休校とし、確認の上帰宅させます(もちろんお迎えに来られる場合はお待ちします)

★ 教室が上記避難準備・指示・命令地区に指定された場合(瓢箪山:昭和町、石切:東山町)・または特別警報対象地域となった場合は、その時点で授業を中止し、休校とします。来ている生徒については順次ご連絡をいたします。最後の生徒が教室を出るまで、教室に待機します。保護者様と連絡が取れない場合は、行政指示の避難場所へ一緒に行く場合もあります。
 この場合は、保護者様の登録番号にその旨メール連絡します。

※万が一のとき(大きな地震・避難勧告)などの場合は、各教場とも、避難場所まで生徒を連れて行きます。
瓢箪山教場⇒縄手北小学校(ただし、火事などで危険な場合は、白はと保育園裏の公園に行くこともありえます)
石 切教場⇒枚岡東小学校(ただし、火事などで危険な場合は、額田グランドに行くこともありえます)
 その後、保護者の方と連絡が取れない場合は、行政指示の避難場所へ生徒を連れて行きますので、ご承知おきください。

 通信が可能な場合は、随時携帯からブログを更新します。いざというときのためにブログのブックマークをお願いします。
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試験前の中学生・高校生を指導していて思うこと

2019-06-24 00:50:26 | 学習・塾に関する中身
 中学生も高校生も全体的に期末テストが近づいてきました。で、今回のテストはさすがに怒りを覚える瞬間がいくつかありました。

 まず私の教え子ですが、自習中に他の邪魔になる私語をしてしまう生徒がいました。これについては何度も指導を繰り返しています。中学生はまだまだ自分を律する気持ちが甘いものです。私が伝えたことは「あなたがした私語のせいで集中できず、それが原因でテストの点数を落として評定が下がり、受験したい高校に届かなくなったときに、あなたはそのメンバーの人生に責任が取れるのか?と」
 論理が飛躍しすぎなのかもしれません。でも「他人の時間を無意識に奪っているということに気付かないといけないよ。その行動はあなたたたちが責任を取れるレベルのことではない」とも諭しました。こうしたことは繰り返し繰り返し伝えないといけないことだと思います。

 次に中学校ですが、とある教科で1授業時間で教科書にして18ページ進むというわけのわからない授業があったのです。そして試験範囲はなんと教科書で90ページ分。そしてまともに授業をしたページはその半分にも満たないでしょう。「読めば分かる」として進んだのだそうです。生徒たちは「これ、塾に通ってない子は終わりやん…」。うん私もそう思います。
 チャレンジテストの前に復習・復習で時間をとりすぎるからこんなことになるんですよ。常に少しだけ先へと進めていましたが、このせいで完全に予定が狂ってしまいました。今日の時点でまだ試験範囲の授業がほんの少しですが終わっていません。最悪です…。

 そして高校。某公立高校ですが、数学は◎◎ッセの模試の過去問と答え配って「いついつまでにやっておくように」。英語の小テスト、不合格の生徒は「例文を3回写して、訳も書いて提出」。古典は助動詞の活用表を配って全訳して終わり。そりゃみんな予備校に通いますわ。そんな作業をさせて学力が伸びるとでも思ってますの?

 おまけに文部科学大臣は「やらずに後悔するよりも、やって反省したほうがいい」ですって、大学入試共通テスト。なんかねー、教育の崩壊が止まらずにすぐそこまで来ている気がします。せめてせめて目の前の生徒たちには「やっつけ仕事」ではないお勉強を伝えていきたいと必死に考える夜のお話でした。
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ツイッターでの無茶振りに応えてみる②

2019-06-09 00:19:45 | 日記
その② 牛島先生からの無茶振り

 お題 ドーナツには穴のあるものとないものがあるのに、何故共にドーナツと呼ぶのか?

 ドーナツの原型といわれているものはオランダの揚げ菓子「オリークック」と言われています。この揚げ菓子は球形だったようです。現在主流の形であるリング状になったのは19世紀中ごろからとする説が有力なようです。さて、ではどうして穴が開くようになったのか?

 ①揚げるときに生地が膨張しても大丈夫なように

 油で揚げることで生地は膨張します。この時に同心円状に広がることができれば全体がふっくら仕上がるのですが、先に外側が高温の油で固められてしまうために、中心部分が詰まったようになってしまいふっくらとはいかなくなってしまいます。これを防ぐために中心部分に穴を開けておくと。こうすることで全体が膨らむ余地を持ててふっくらと仕上がるんだそうですよ。

 ②真ん中までよく火が通るように

 油で揚げるために、球形のドーナツは外側が揚がりすぎて中がうまく揚がらずふっくらしっとりとはいきにくいんだそうですね。真ん中に穴を開けることで火の通りがよくなり、結果的に全体がふっくらしっとり仕上がるんだそうですよ。

 ③材料が手に入らずに仕方なく

 元来、球形のドーナツだったときは中心部分に胡桃がのっていたそう。そして胡桃が手に入らなかったときに「じゃあそこは何もなしにしてしまえ!」と穴を開けて作った。という説がありますが…。

 この他に「ネイティブアメリカンの放った矢が、ドーナツの生地にささり、そのまま油鍋の中に落ちたから。」という説もありました。個人的には②の説が一番合理的に説明できていると感じます。
 そして英語のつづりから言うと、「doughnut」。「dough」は「小麦をこねたもの」・「nut」は「木の実」。だから「小麦をこねて作った木の実のようなお菓子」が「doughnut」だということになるので、語義からいえば「doughnut」は本来穴が開いていないものなんだということになるんだと思います。

 この定義でいくと日本では「サーターアンダギー」が一番ドーナツに近いのかもしれません。元々「小麦をこねてあげたお菓子」を美味しく作りやすくするために穴が開いた。どうやらこんな感じだと思います。

 お勉強でもそうですよね。まずはそのままやってみて、自分が理解しやすい・腑に落ちやすいようにアレンジして、最終的に自分のものにする。最終的な形が原型とは違っていても、受け入れることが出来るものになっていればそれでいいじゃないですか。
 昔からあるものはやはりいいものです。そして少しずつ形を変えながら受け入れられる形で進化してきた。それが穴の開いたドーナツの正体だと私なりに理解しました。

 だから「読み・書き・そろばん」も少しずつその教授方法を変えながらも現代に残っているわけです。「基礎的リテラシー」として、これからの時代もやはり必要とされる能力だと思います。

 と無理やり着地させたところで(これムリありありですねー)、本日の無茶振りのお答えとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました!
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ツイッターでの無茶振りに応えてみる①

2019-06-08 01:29:45 | 日記
 去年の暮れからツイッターを始めまして。最近ブログに書くことがないなーと思って「ブログのネタ何か振ってみてください」とつぶやいてみたら反応をいただきまして。というわけで無茶振りに反応してみたいと思います。

 その① おだわらミュージック先生からの無茶振り

 お題 「地域の教育から全国の教育に変化を与える3つの方法」


 ①地域の小さな取り組みを継続することで、おおきなうねりを作る。

 私はそろばんの先生なので、まずはそろばんの事例から。確か小泉内閣のときでしたか、地域創生のもと「特区」制度ができました。兵庫県の尼崎市では「計算特区」と題して、小学校の授業にそろばん指導を取り入れました。結果的に有意に学力の上昇が見られ、そろばんの指導は学力向上に一定の効果を示すという知見を得ることができました。
 これをきっかけに、そろばん指導を取り入れる小学校が全国で増えました。流行り物に飛びつくのも早いかわりに、醒めるのも早いのが日本人の特徴ではありますが、計算特区そのものは現在も継続しています。この結果は学力向上には結局基礎的リテラシーの向上が大切だと言うある意味当たり前のことを再認識するきっかけになりました。
 地域の教育は、地域の人材や資源をもとにして「小回りがきく」ことがおおきな利点かと思います。尼崎市は小学校の数がそこまで多くなく、取り組んでみるには行政単位の大きさがちょうどよかったのかもしれません。良いとされたことを地域の枠組みで継続していく。そしてその取り組みを発信することで賛同が増えていく。こうして少しずつ変化が起こるのかもしれません。


 ②中央の思惑と真逆のやり方で結果を出していく

 たとえば、地方公共団体の規模が小さければ、公立の学校が数校(場合によっては1校)という場合があるでしょう。こうした場合はトップダウンでいいと思ったことを実行に移すことが出来ます。今、大学入試では英語技能検定が受験資格として必要です(正確には移行中です)。しかしながら、英語技能検定を受検することなく、英語技能検定を合格判定に使わないと言う大学への進学者を多数輩出すればどうでしょう? その教育も正解として注目を集めることになるでしょう。もちろんリスクも大きいですが「あれ?」と日本中が思うようになれば…。追随する学校が出てくることになるのではないでしょうか?


 ③全国の教育に影響を与えようと思わない

 ②と少し似ていますが、逆説的な考え方です。つまり、全国の進む方向に流されずにわが道を突き進むのです。「麹町中学」は定期試験も校則も廃止した中学として全国的に有名になりました。そしてその取り組みには注目が集まり、その取り組みを取り入れようとする学校も出てきています。つまり、ぶれることなく正しいと思う道を突き進むことで「既成概念」をぶちこわすことができる場合があるのです。たった一つの公立中学の挑戦が日本中から注目を集めているのです。

 書いてみて思いましたが、結局「中央の掌の中で踊らない」ことが大切なのかもしれません。もっと言えば「当たり前を疑う」ことに帰結するのかもしれません。そしてこの結論はたくさんの方々が書いているどうにもありきたりな結論でもあります。どんな切り口で教育を考えてみても、結局は泥臭い部分に帰結したことは自分の中で新たな発見でした。私はこれからも奇をてらうことなく、子供たちの指導に愚直に取り組んで生きたいと改めて思いました。


 ふうー。とりあえず一本目終了!
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中学生の定期テストの平均が39点て…。

2019-06-02 10:06:09 | 学習・塾に関する中身
 さて、1番遅かった縄手中学校の定期考査もこの金曜日に終了しました。縄手北中学のほうも正式な平均点は出ていませんのでものは言えないんです。

 さて、瓢箪山と石切でそろばん教室をしています。卒業生は石切中学・枚岡中学・縄手北中学・縄手中学・池島中学にいます。そして私の学習指導の塾にいなくても定期テストの答案を携えて報告したり、アドバイスを聞きに来たりしてくれる生徒が結構います。そんな中でとある中学校のとある教科(5教科の中のどれかです)の平均点が39点っていうのがありました。1番生徒数がおおい枚岡中学でも1学年あたり200名程度ですので、完全な正規分布をするわけではありませんが平均値≒中央値と考えてしまうと、学年の約半数が39点取れないわけです。花園高校・山本高校に進学する生徒が真ん中チョット上くらいですので、ものすごく乱暴な言い方をすれば花園・山本高校に進学するであろう生徒でも40点台のテストというわけです。

 私が教育大学で学び非常勤講師をしていた頃は「平均点が60点前後になるようにテストを作りなさい」とよく言われました。そうしないと成績をつけられない。平均を低くしてしまうと100点を取る生徒がいなくなるし、学力が低い生徒だと0点になってしまう。そうすれば勉強に向かうモチベーションを摘み取ってしまうから、学力が低い生徒でも1桁にならないように普段の授業でしっかりと教えておくように。そして、「ここ確実にテストに出す」なんて言い方はしないように。と先輩の先生から教えて頂きました。

 あと、これが1番印象に残っています。「平均点が40点台のテストなんて、自分の指導が生徒に届いていない証拠だよ。自分が教えている生徒の学力を把握していないということだからね。」「もっと取ると思ってたなんてみっともない言い訳はしないように。平均点が50点を切ったら自分の授業かテストに必ず問題点がある。」「平均点が70点を超えたらよく生徒が勉強してくれていると思いなさい。テストが簡単すぎたとか思わないようにな。」

 今、教える仕事を20年以上してきたからこそ、先輩の先生に教えて頂いた意味がある程度分かるようになってきました。特に低学力の生徒にとっては1桁か2桁かは、その後の学習意欲に大きな影響を与えますし、正しい努力をしたときに点数でその努力が反映されることは大切なことです。

 100点をとらせる気がないわけの分からない問題を必ず1・2問放り込んでくる先生もいます。あなた絶対授業で教えてないよという難問を放り込んでくる先生もいます。問題文の日本語がそもそも成立していないテストを作る先生もいます。しかしながら生徒にとってはそのテストが全てなのです。そのテストによって成績もある程度評価されるし、生徒たちはそのテストに向けて必死に努力しているのです。

 学校の先生方は、努力が正当に、ご自身がされた授業をどれだけ理解できたか、そしてその理解度を正しく問うことができるか。そういう観点がきちんと評価されるテストであるかどうかを是非ともお考えください。

 あっ、もちろん唸るほど素晴らしいテストを作成されている先生もおられます。
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