旬といっても、食べ物の「旬」ではありません。
子供たちにも、能力が伸びる「旬」があります。それは大変個人差の大きいものです。そしてその「旬」で伸びる量そのものもまた、個人差が大きいのです。
「旬」になっているかどうか、その「旬」でどれだけ伸びるのか・伸びているのか。これを見極めそして導いていくのが指導者の努めの一つであるとさえ思います。
ところが、これがなかなか難しいんです。気づくと「旬」が過ぎていたり、「旬」だと思ったら、ただただ必死に努力していただけだったりとか…。子供たちは十人十色、いや百人百色と言っていいんです。
でも、強制的に「旬もどき」を引き出すタイミングがあります。たとえば2年生で学習する「九九」を指導するタイミングは、最初の「旬」を見出す時期であるといえます。3年生ではわりざんのあまりの計算。4年生では都道府県名・都道府県庁所在地名をそれぞれ漢字で覚える。といったことが、その時期における「旬もどき」を引き出す壁であるといえます。
私の指導する教室では、3年生の1月から「都道府県名・都道府県庁所在地名をそれぞれ漢字で覚える」という学習イベントがスタートします。課題を与えられた生徒たちは「こんなん無理や~」のオンパレードです。でもやはり普段から学習習慣の確立している生徒が何人か先んじてクリアしていきます。そして残った生徒は絶望感にさいなまれるのです。
ここで指導者として、子供たちを励まし、できると思わせ、時には叱り飛ばし、保護者の皆様にお子様の現状を伝えてご協力を願い、この壁を乗り越えさせることに全力を注ぎます。
できたとき、乗り越えたときの子供たちの「ドヤ顔」は本当に素敵です。そしてこの学習イベントが眠っていた子供たちの「旬」を引き出す時もあるのです。できるまでやる。現在の教育において一番欠けているのがこれだと思います。そしてこのような壁がないから、大人になるまで明確な「旬」に出会えない子供がたくさんいるんだと思います。
もちろん、自分自身の力で「旬」を迎え成長する子供たちもたくさんいることでしょう。でも私はこの流れに反対です。「強制するのは子供たちの自主性をそこなう。だから子供たちの自発的な伸びを引き出す教育をせねばならない。」なんていう論調をよく見ますが、私から言わせれば「大間違い」です。確かな基礎学力と学習習慣の下支えがあってはじめて、自分から「旬」を迎える能力が育つはずです。
だから私は、この学習イベントを大切にしています。ともすれば通過してしまう日常に、ありえない「壁」を作り出して、子供たちの「旬」を引き出すこと。これがこの指導の真の目的です。
今はうらまれようが、うざがられようが、子供たちに「努力の貯金」をさせて、「旬」を体感させ自信を持たせる。ただ大人にやらされるだけでなく、自分でやり遂げた実感があるからこその達成感がそこにはあります。
もし、小学3・4年生のお子様がおられましたら、ぜひチャレンジさせてみてください。クリア後に「何か変わった?」という感覚を子供たちから受けると思います。それが「旬」なんです。
子供たちにも、能力が伸びる「旬」があります。それは大変個人差の大きいものです。そしてその「旬」で伸びる量そのものもまた、個人差が大きいのです。
「旬」になっているかどうか、その「旬」でどれだけ伸びるのか・伸びているのか。これを見極めそして導いていくのが指導者の努めの一つであるとさえ思います。
ところが、これがなかなか難しいんです。気づくと「旬」が過ぎていたり、「旬」だと思ったら、ただただ必死に努力していただけだったりとか…。子供たちは十人十色、いや百人百色と言っていいんです。
でも、強制的に「旬もどき」を引き出すタイミングがあります。たとえば2年生で学習する「九九」を指導するタイミングは、最初の「旬」を見出す時期であるといえます。3年生ではわりざんのあまりの計算。4年生では都道府県名・都道府県庁所在地名をそれぞれ漢字で覚える。といったことが、その時期における「旬もどき」を引き出す壁であるといえます。
私の指導する教室では、3年生の1月から「都道府県名・都道府県庁所在地名をそれぞれ漢字で覚える」という学習イベントがスタートします。課題を与えられた生徒たちは「こんなん無理や~」のオンパレードです。でもやはり普段から学習習慣の確立している生徒が何人か先んじてクリアしていきます。そして残った生徒は絶望感にさいなまれるのです。
ここで指導者として、子供たちを励まし、できると思わせ、時には叱り飛ばし、保護者の皆様にお子様の現状を伝えてご協力を願い、この壁を乗り越えさせることに全力を注ぎます。
できたとき、乗り越えたときの子供たちの「ドヤ顔」は本当に素敵です。そしてこの学習イベントが眠っていた子供たちの「旬」を引き出す時もあるのです。できるまでやる。現在の教育において一番欠けているのがこれだと思います。そしてこのような壁がないから、大人になるまで明確な「旬」に出会えない子供がたくさんいるんだと思います。
もちろん、自分自身の力で「旬」を迎え成長する子供たちもたくさんいることでしょう。でも私はこの流れに反対です。「強制するのは子供たちの自主性をそこなう。だから子供たちの自発的な伸びを引き出す教育をせねばならない。」なんていう論調をよく見ますが、私から言わせれば「大間違い」です。確かな基礎学力と学習習慣の下支えがあってはじめて、自分から「旬」を迎える能力が育つはずです。
だから私は、この学習イベントを大切にしています。ともすれば通過してしまう日常に、ありえない「壁」を作り出して、子供たちの「旬」を引き出すこと。これがこの指導の真の目的です。
今はうらまれようが、うざがられようが、子供たちに「努力の貯金」をさせて、「旬」を体感させ自信を持たせる。ただ大人にやらされるだけでなく、自分でやり遂げた実感があるからこその達成感がそこにはあります。
もし、小学3・4年生のお子様がおられましたら、ぜひチャレンジさせてみてください。クリア後に「何か変わった?」という感覚を子供たちから受けると思います。それが「旬」なんです。