「基礎的信頼感」という言葉をご存知でしょうか?
あくまで実験的事実は、ネズミやサルといった動物(哺乳類)での実験しかありませんが、乳幼児の時期に親とのしっかりとしたやりとりがないと、攻撃的な衝動性を身に付ける割合が圧倒的に多くなるという傾向があります。一般的には哺乳類の事例は哺乳類である人間にも当てはまるであろうという考え方に基づいて、人間の乳幼児でも、親とのスキンシップが不足すると、この時期に本能的に抱くことができる「無条件で守られる」という気持ちが育まれにくくなるのだそうです。
このように、無条件に守られるという心の根底にある大人との関係性を「基礎的信頼感」といいます。そしてこの「基礎的信頼感」自体は、母親である必要は必ずしもなく、父性からでも得ることができるようです。
確かに今まで、そろばん教室で約500名。中学の非常勤講師で約400名。小学校のそろばんボランティア出前授業でのべ100クラス(およそ三千人)。子供たちと接してきましたが、確かに問題行動を起こす子供の多くは、親御さんとの関係が良好ではなかったと感じます。
さすがにそろばんの生徒にはなかなか、「基礎的信頼感」がないと感じる生徒はいませんが、「とりあえず習わしとけばいい」的な考え方で、あまり子供に興味のない親御さんがいなかったわけではありません。確かに私がそう感じた生徒は、すぐに私のもとに来ます。いわゆる「承認欲求」が異常に高い傾向を感じます。
私は経験上、「基礎的信頼感」が少ないレベルのこどもは「承認欲求」を満たされる経験が少なかったと思っています。
だから私は、普段の授業の中で、できるだけ子供たちが話しかけてくる中身を聞き続けるようにしています。もちろんお勉強が始まれば、本来はそんなことをしていてはいけないのです。でも私の教室では「パソコン訓練」の際に、こうした子供たちのちいさなSOSを感じたときは「どうしたん?」とお話を聞くようにしています。
小学生から「基礎的信頼感」を再構築することは難しいけれども、「承認欲求」を少しでも満たすことは可能であると考えます。こうして小さなころから、子供たちとしっかりと接してきた自負があるからこそ、高校入試も子供たちと頑張りぬけるんだなと、とある先生とのメールのやりとりで再認識しました。
先日のコメントのあなたへ
おそらくあなたの文体から考えるに、あなたも瓢箪山地区で塾をしている(しかも個人で)塾の先生でしょう。ブログの文体とコメントの文体が似ています。私のことをとやかく言う前に、あなたを信じてお子様を預けている保護者の皆様と、そして今目の前であなたを信じている生徒たちに対して、少なくとも恥ずかしくない授業をしてください。
もし、きちんとお名前を書いてコメントされるならば、正々堂々論に応じます。私の至らない点は伏して反省する覚悟はあります。しょうもないコメントを書いている暇があったら、もうちょっと子供たちとしっかり向き合ってください。それができないなら、塾の先生は辞めてくださいね。
少なくとも、あなたよりは教育に関わる事柄に関してきちんと勉強しています! それがね、大事な大事なお子様をお預かりする者の、義務であり責務なんですよ。真剣なコメントをするか、アホなコメントを辞めるか、塾の先生を辞めるか、いずれかでお願いします!
あくまで実験的事実は、ネズミやサルといった動物(哺乳類)での実験しかありませんが、乳幼児の時期に親とのしっかりとしたやりとりがないと、攻撃的な衝動性を身に付ける割合が圧倒的に多くなるという傾向があります。一般的には哺乳類の事例は哺乳類である人間にも当てはまるであろうという考え方に基づいて、人間の乳幼児でも、親とのスキンシップが不足すると、この時期に本能的に抱くことができる「無条件で守られる」という気持ちが育まれにくくなるのだそうです。
このように、無条件に守られるという心の根底にある大人との関係性を「基礎的信頼感」といいます。そしてこの「基礎的信頼感」自体は、母親である必要は必ずしもなく、父性からでも得ることができるようです。
確かに今まで、そろばん教室で約500名。中学の非常勤講師で約400名。小学校のそろばんボランティア出前授業でのべ100クラス(およそ三千人)。子供たちと接してきましたが、確かに問題行動を起こす子供の多くは、親御さんとの関係が良好ではなかったと感じます。
さすがにそろばんの生徒にはなかなか、「基礎的信頼感」がないと感じる生徒はいませんが、「とりあえず習わしとけばいい」的な考え方で、あまり子供に興味のない親御さんがいなかったわけではありません。確かに私がそう感じた生徒は、すぐに私のもとに来ます。いわゆる「承認欲求」が異常に高い傾向を感じます。
私は経験上、「基礎的信頼感」が少ないレベルのこどもは「承認欲求」を満たされる経験が少なかったと思っています。
だから私は、普段の授業の中で、できるだけ子供たちが話しかけてくる中身を聞き続けるようにしています。もちろんお勉強が始まれば、本来はそんなことをしていてはいけないのです。でも私の教室では「パソコン訓練」の際に、こうした子供たちのちいさなSOSを感じたときは「どうしたん?」とお話を聞くようにしています。
小学生から「基礎的信頼感」を再構築することは難しいけれども、「承認欲求」を少しでも満たすことは可能であると考えます。こうして小さなころから、子供たちとしっかりと接してきた自負があるからこそ、高校入試も子供たちと頑張りぬけるんだなと、とある先生とのメールのやりとりで再認識しました。
先日のコメントのあなたへ
おそらくあなたの文体から考えるに、あなたも瓢箪山地区で塾をしている(しかも個人で)塾の先生でしょう。ブログの文体とコメントの文体が似ています。私のことをとやかく言う前に、あなたを信じてお子様を預けている保護者の皆様と、そして今目の前であなたを信じている生徒たちに対して、少なくとも恥ずかしくない授業をしてください。
もし、きちんとお名前を書いてコメントされるならば、正々堂々論に応じます。私の至らない点は伏して反省する覚悟はあります。しょうもないコメントを書いている暇があったら、もうちょっと子供たちとしっかり向き合ってください。それができないなら、塾の先生は辞めてくださいね。
少なくとも、あなたよりは教育に関わる事柄に関してきちんと勉強しています! それがね、大事な大事なお子様をお預かりする者の、義務であり責務なんですよ。真剣なコメントをするか、アホなコメントを辞めるか、塾の先生を辞めるか、いずれかでお願いします!