その方の本性って見え隠れするんですよね。
たとえば言葉遣い。基本的に教える仕事をしている方で「上から目線」の考え方をしていて指導も優秀という方を寡聞にして知りません。「もともと優秀な子供」を「さらに良くできるようにする」という方ならたくさん聞いたことがありますし、現実にも知っている方が少なくないです。が、今現時点で学力がかんばしくないという子供達を伸ばしている指導者で「上から目線」の方は、本当に見たことがありません。
これは「指導に自信を持っている」とは似て非なるものです。こういう方は、言葉や行動の端々になんとも形容のしがたい謙虚さがにじみ出てくるんですよね。逆に上から目線が染みついている方は、言葉や行動にそういうものを感じませんし、そういう風に一見感じても「嘘くさいせんさー(あえてひらがなです)」が反応してしまいます。
とたえば「理解」を「理解させる」と「理解してもらう」という表現の違い。これであれば「理解させる」という表現の方がいいと思います。それは「指導者としてゼッタイに必要なこと」だという矜持(きょうじ)が感じられるからです。
ところが「驚愕」や「感動」のような主観的な言葉で「驚愕(感動させる」と「感動していただける」という表現の違い。これだと「驚愕(感動)させる」という表現は途端に上から目線に感じます。特にSNSで気軽に発信する言葉に、こうした人となりが表れることが多いなと思います。
あとはブログですよね。更新頻度にこだわって「うっすい中身」を連発してしまうとか、改行で一見長そうな文章に見せてその実中身がスッカスカとか…。自分ができることはさも当たり前にできると自慢するけど、自分ができないことはスルーとかもありますね。
私ですか? できないことはできないと割と正直にお伝えしているつもりです。ただ、そう言い切れるまで相応の努力とアプローチを子供達にする時間はほしいというのはあります。教育というのは短期間で結果が出にくい(というか出ないとすら思っています)ものですから。今までで私の想いが伝わった最長記録は、小2でお預かりして高2ですから10年くらいですね…
ちょっとお話が逸れましたが。生徒達から友達がしんどい想いをしていると相談された場合に、結構な頻度で「大人の(特に学校や塾の先生)が上から目線」という原因があるので書いてみました。