東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

「姿勢」から見えること

2019-04-23 23:51:23 | 日記
 さて、新学期も落ち着いてきましたね。小中学校へと入学をした児童・生徒のみなさんもようやく新しい学校に慣れた頃ではないでしょうか? 緊張しているときはあまり気にならなくても、平常運転になってくると気になるのが「学習時の姿勢」ですね。

 「まっすぐ座る」これが本当にできていません。私はそろばんの授業中に生徒の姿勢が悪くなってくるとすることがあります。それは「1分間じっとするチャレンジ」です。まず、自分が1番楽だと思う姿勢をしてもらいます。このときはどんなに悪い姿勢でも何も言いません。ただし、「その姿勢のまま1分間動いてはいけない」ということだけを伝えます。ほとんどの生徒が机に突っ伏した姿勢か、後ろに頭を反らした姿勢のどちらかになります。

 じゃあいくよー。よーい始め!

 40秒もしてくるともぞもぞと動き始めますが「動いたらダメ!」と声をかけます。そして1分すると「けっこうしんどいなー」という声が聞こえてきます。そして次に背筋を伸ばして手をふとももの上へ置き、まっすぐに前を向いた姿勢で1分間じっとしてもらうのです。

 終わってみると「こっちのほうが楽やなー」という声が聞こえてきます。ここで、人間の体の部位で1番重いのが頭であること、姿勢が悪いとその頭を首のみで支えるので疲れることが当たり前であること。まっすぐ座ると背中全体で頭を支えることになるので平気なことなどを分かりやすい言葉で伝えます。

 それから、鉛筆の持ち方がなぜ決まっているのか? 下敷きはどうしていれるのか? どうして鉛筆は削った方がいいのか?

 といった学習に向き合う姿勢や態度、習慣といった中身をお話していくのです。そうして姿勢がきちんとなっていく生徒は例外なく学力は伸びていきます。これはあくまで経験則ですが間違いのない事実です。

 姿勢を良くすることは克己心を育てることに繋がるからだ。私はこう考えています。だからこそ低学年の間に学習習慣と正しい姿勢をきちんと涵養し、中学年で宿題を(少ないけれども毎日というめんどくささとの戦いとなるように)出して毎日学習する習慣を育てて、高学年で難しい課題を乗り越えることを通して自己肯定感を高めていくー。という一連の流れを下支えする「姿勢」は今の時期にうるさく言うのです。

 それは「正しい姿勢」が「正しい学習習慣と学力」を育てるからに他なりません。学力を高めるためにはその基礎の基礎を徹底的にしておかねばならないのです。この時期は特に「姿勢」をしっかりと指導するのはこういうわけなんですね。
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教科書の進めかたについて思うこと

2019-04-20 00:17:19 | 学習・塾に関する中身
 さて、いよいよ新学年の授業も平常運転へとなりつつありますね。

 私のこそっとしている学習塾は原則として2校を受け入れておりますが、どこの学校でも受け入れるという塾もあったりするわけです。そうした塾の先生は本当にものすごい力量をお持ちです。複数の中学を受け入れるには相当な覚悟が必要です。そしてそれゆえに私はできれば1中学に限定したいのです。理由をいくつか挙げてみましょう。

 ◎定期考査の日程が中学校ごとに違う(すごい場合は2週間以上違います)
 ◎理科・社会・国語は学校ごとに進む単元が違う場合が多い
 ◎担当の先生によっては教科書を使わずにプリント授業だったり副教材を中心に進めたりする
 ◎担当の先生によって試験問題の難易度が違いすぎる

 などなど1人で全教科を指導する上で、責任を持ってできることには限界があるからなんです。

 ところで、

どうして学校ごとに進度が違っていいのか?


 これね、以前から疑問に思っていたんです。基本的に教科書は教育委員会の単位でどの教科書を採択(使用するか)を決定しています。私の教室がある東大阪市で言えば、東大阪市立の中学校は全校同じ教科書を使用しているんですよね。にも関わらず、学校ごとに進度が違う。ひどい場合はA中学の社会は地理なのに、B中学の社会は歴史なんて場合も存在します。

 これがね、公立中学でいいのかな?とずっと疑問に思っているんですよ。たとえば、引越しした生徒は「前の中学で学習した単元が引越し後に通学する中学では学習していない」という場合が有り得るんです。逆を言えば「前の中学で学習していない単元を引越し後の中学では学習済み」という場合も有り得るわけですよ。

 これって、子供の学ぶ権利が大きく阻害されていると思うんですよ。同一の地方公共団体であれば、そこまで地理的・文化的要素が異なるとは思えません。同一の地方公共団体(教育委員会)に属する公立中学は、授業進度をある程度縛ってもいいのではないかとすら思うのです。もちろん試験の日程もです。そうすれば少なくとも同一の地方公共団体内での引越しは学業的に不利はおこらなくなります。いじめやパワハラ、先生の体罰など生徒側に否がない原因での転校もぐっとしやすくなるはずなんですよね。

 試験日程も統一してしまえば、クラブ活動の大会は試験週間を外して日程を設定できますし、地域の活動なんかも事前に中学校の行事が行政単位で決まっていればそれを避けて決定すればいいわけですから、学校・生徒・家庭・地域がそれぞれ日程に余裕を持って行事が行えるはずなんですよね。

 試験日程の統一、教科書進度の統一。これくらいはやってもらえないものなんですかねー?
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修士論文を提出するまで④ 修士論文のお話と…

2019-04-13 11:09:32 | 日記
 さて修士論文の研究にとりかかるわけですが、問題は「本当に断層活動で断層破砕帯に含まれる石英粒子はゼロイングしているのか?」という点に絞られるわけです。

 で、教授は「実際に圧力(応力)を擬似的にかけた石英粒子のTL信号強度を測定しよう」と考えたわけです。私は「石英粒子が数秒昇温しただけでTL信号強度がゼロイングされるのかを検証しよう」と考えたわけです。

 教授の検証実験の試料作成も行いながら、自分の実験計画・実験試料も作成しました。

 教授の実験は京都大学の地震研究所教授であった先生との共同研究の形になりました。一方で私は「十分な温度に加熱した陶器製の器に瞬間的に石英粒子を撒き、実際にどの程度ゼロイングしているかを測定する」という実験計画を完成させました。

 教授の実験についてはここでは触れないでおきますね。

 さて、私の方はといいますと「瞬時の昇温ではゼロイングは不充分なんじゃないのかな?」となんとなく予想していました。結果は予想通りでした。ところがたとえば500℃に加熱した陶器製の器に撒かれた石英粒子のTL信号強度は200℃程度までは消えてるのです。加熱温度を上げれば、消去されるTL信号強度の温度も上がりました。

 以上の結果から導かれた結論を考察として私の修士論文は無事に審査を通過しました。

 この研究を行ったのは「奈良教育大学教育学研究科」なんですよ。つまり教員を目指す院生が行った研究なんですね。というわけで「教育学」の授業ではよく「どうして教材研究や授業研究ではなく、理学部で行うような研究をしているんですか?」と聞かれました。私はそうした質問をされる教授方に決まってこう反論していました。

 「理科、特に自然科学というものは、自然の中で起こっている現象に対して何故?と思い、その何故?を理解するための仮説を思考し、その仮説を証明するための実験を考え、実際に実験を行い、その実験結果から導かれる妥当な考察を考える必要があると思います。この一連の流れを実際に行ったことが無い人間が、どうして理科の本質を伝えることができるんですか?
 実際に授業をしたことの無い人間ー教育実習程度はしていますがーが考える教材研究や授業研究に意味があるとはあまり思えません。それよりも理科という教科の学びの本質を突き詰めたことがない人間が、どうして理科の教員になって理科の楽しさを伝えることができるんでしょうか?私は理科の教師を目指すものは、実験計画を立てて実験を行い考察をする。この一連を経験するべきだし、経験していない人間が理科の教師になるべきではないと考えますが、先生はどうお考えですか?」

 私のこの問いかけに満足いく答えをいただけた教授は一人だけでした
 「学生・院生という研究をする時間を十分に与えられている間に、考えうるすべての事柄について思考を巡らせる経験は絶対に必要だし意味がある。そしてそれは教師を目指すものは教育に振るべきだと思います。ただしあなたのあなたの考えは理解できる。私はあなたの考えを良しとはしませんが、あなたはあなたの信ずる道をいけばいい」と。

 後の先生方は皆さん「理屈は分かるが、それは教育大学で行う研究としてはふさわしくない」。概ねこのような内容でした。

 私は詰め込み教育は大嫌いです。大量の課題で自由な学びの時間を奪うことも、予想問題や過去問で対症療法的な学びを強制することも嫌いです。それは私が学んできた環境と、その学びの結果自分が得たものを尊く愛おしく思っているからです。
 教え子のみなさんにはぜひとも、自分が学びたいことを主体的に学べる環境に進んで欲しい。だからそのために必要な素地が身につくように指導をしたい。

 こうした指導観の根底にあるのが大学・大学院での学びでしたよ。

 と、まあ結局この辺りに着地してしまうわけなんですよねえ。ではこのシリーズこれで終わりです!
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修士論文を提出するまで③ 学位論文のお話その3

2019-04-08 23:44:08 | 日記
 さて、卒業研究をする研究室は決めました。あとから知るのですが、同期のメンバーはもちろん教授陣も「キミがH研究室に入るとは思わなかった」というくらい意外な選択だったようです。そうですこれを「天性の天邪鬼」と言わずしてなんというのでしょうか。

 この研究の肝は「断層破砕帯に含まれる石英粒子のゼロイングは完全かどうか」に集約されます。そして実際に卒業研究に励むわけです。実際の断層から試料を採取し実験を行いましたが、予想に反する結果しか得られないのです。何度もデータの解析をやり直したのですが、それでも事前に予想されたものからは遠く離れた結果しか出ません。教授と実験手順を何度も確認しましたがミスがあるようには思えません。卒論の提出期限は1月20日。でも12月22日に意を決して「先生、1から実験やり直します」と伝えたんです。そりゃ先生は驚きましたねー。「えっ? 間に合うと思うの?」

 そりゃそうですよね。常識で考えてそれから実験してデータ解析して考察して清書するって、間に合うわけがないですからね。でももう腹をくくっていたので「最悪留年してもいいですから」と答えたんです。すると先生の顔も真剣そのものになって「分かった」と。

 というわけで、先生と約束は大晦日は夕方まで。正月1日は休もう。そこだけは絶対やぞと。あとは私も付き合うよと。今思えば私の生徒に対する対応の原点はこのときの先生の対応にあるのかもしれません。

 とにもかくにも実験をやり直しました。手順ごとに先生と確認を続けました。先生も問題ないと。で出た結果が初回とほぼ一緒。もうね、衝撃しかないんですよ。ものすごく要約すると「ゼロイングなんかほとんどしていない」という結果なんです。でも先輩方はある程度しているという結論ばかり。正直ね誤魔化したんじゃないの?って思うくらいでした。

 でも結果は結果ですからとにかく考察しなければなりません。で、学生ごときが考えた考察なんて荒唐無稽なんですよ。それでも先生は真摯に向き合ってくださいました。結果的に先生は、ご自信のこれまでの研究業績を否定しかねない私の実験結果も考察も支持してくださいました。そして締切ギリギリに提出した卒論に対して最高評価である「秀」をつけてくださいました。

 このときに同時進行で大学院入試のお勉強をしていたなんて、今思えばよくやったなあと思います。同期は不純で、教育実習に言った先の先生に「これからの先生は確実に40代で管理職にならされる。そのときに教育学修士を持っていれば教育委員会に借りを作らないで済む。キミは絶対に素直にウンと言わない先生になるから、進学できるのならば進学しておきなさい」って言われたんです。私の性格よく見抜いておられました(笑)。で、大学院を受験して合格したわけです。

 卒論の結果が納得いかなかったのです。理論は間違ってないはずだと。じゃあどうすれば年代測定ができるのか? 私なりに考えた実験と理論があったのです。それを先生にゼミでぶつけてみたんですね。

 「ほおー面白そうやな。よしやろう!」

 というわけで、卒論の結果は「断層活動でのゼロイングは確認できなかった」。つまりこの理論は正しくない可能性が高いというものだったんですね。これをひっくり返すぞ!という気持ちで大学院へ進み、修士論文にチャレンジしたわけです。

 ふー。やっと卒論のお話は終わり。いよいよ大学院時代へと進みます。(このシリーズ、需要あるのかなあ?)
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修士論文を提出するまで② 学位論文のお話その2

2019-04-07 22:21:37 | 日記
 さて、修士論文の前に卒業論文です。

 「断層の活動年代測定」とはなんぞや?というお話です。

 地震が起こる原因は大きく分けて3つあります。まずは「火山性地震」。火山活動に伴っておこる地震です。比較的マグニチュードも震度ももそんなに大きくありません。続いて断層が動くことによって起こる地震です。マグニチュードは比較的大きくありませんが、生活圏の直下で起こると震度が大きい場合があることが特徴です。阪神大震災はこのタイプですね。そしてプレート境界型地震。地球の表面を覆っているプレートが沈み込む際に引きずられて歪みを蓄積したプレートが、その歪みを解放する際に起こる地震です。東日本大震災や、近々発生が予測されている南海トラフの地震がこれにあたります。

 さて、断層の中でも比較的最近に繰り返し活動し、今後も活動するであろう断層を「活断層」といいます。古文書などの地震記録をもとにして断層の活動度が評価されていて、概ね1000年のオーダーで地震を起こすであろう断層については東京大学地震研究所が「日本の活断層」として発表しております。

 この活断層について、最後の活動がいつであったが測定できた場合、その断層が地震を引き起こす危険度を予測することができます。つまり、活断層の活動年代が測定可能であった場合、耐震工事の優先順位を決定できますし、直近に地震が想定される場合は工事を中止するなど、減災に大きくつながります。

 さて、大学生の頃の私は、この研究の持つ意味合いは理解できたのですが、肝心の「活断層の活動年代をどうやって測定すんねん」ということが理解を超えていたわけです。「TL年代測定(熱蛍光年代測定)」を使って年代測定を行うとな?なんじゃこれは?

 ではこの「TL年代測定(熱蛍光年代測定)」について少し補足説明を。これは主に遺跡から発掘される土器の焼成年代を測定する手法です。ものすごく簡略化して説明すると

 ・石英粒子は、自然の放射線を浴びることでダメージをその粒子内に蓄積している
 ・そのダメージは、加熱をしてあげることで熱蛍光として測定できる
 ・その熱蛍光はダメージの量に比例して強くなる
 ・700度程度まで加熱されれば蓄積されたダメージはリセット(ゼロイング)される

 以上を基に、発掘された地点の1年間あたりのダメージ量を測定して測定されたダメージ量を割ってあげればゼロイングしてからの経過年数が測定できると。土器は焼成温度が低いとされる縄文土器でも700度は担保されているので、TL年代測定で十分だということなんです。

 で、断層が活動する際は断層面にかかるエネルギーはとても大きくかなりの温度上昇が期待できる。じゃあ断層破砕帯(断層がこすれてぼろぼろになっている部分)は断層活動時に摩擦熱でかなり温度上昇が起こっているはずだから、断層破砕帯の粘土を測定すれば最後に断層が活動した年代が分かるんじゃね?

 ま、こういう理屈なんですね。とにかくわけがわからないなりに知的好奇心を掻き立てられたわけですね。で、この研究室のゼミの扉を叩いたわけです。

 まだまだ続きますよ。
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