この春からまた一人、お手伝いに来てくれる卒業生が増えました。
主に、中学生のお勉強のサポートをお願いしています。わたしももう40代のおじさんです。少しでも子供たちに年齢の近い大学生のほうが、子供たちもなじみやすく、相談もしやすかろうという想いがあり、来てもらっています。
今こうしてサポートに来てくれているのは、全員教え子です。で、改めて紹介を書いていたところ、なかなかすごいメンバーだなあと思います。ここまで育ったとのかと思うと感無量なんですよね。個人が特定されるのも困るので、この5人の高校・大学だけあげてみましょう。
①天王寺高校→大阪府立大学工学域
②高津高校→関西学院大学理工学部
③近畿大学付属→近畿大学農学部水産学科(近大マグロ)
④清水谷高校→同志社大学文学部
⑤清水谷高校→大阪市立大学工学部
ね。なかなか頑張った自慢の教え子たちです。そして今年もまた、大学進学・就職の報告をたくさんもらいました。たとえば、教え子の進学先としては、今年の報告者で関関同立を制覇しました。これまでの報告に来てくれた生徒を思い返すと、国公立は京都・大阪府立・大阪市立・奈良教育・京都教育・京都府立・奈良女子・和歌山への進学者がいます(この中には、若かりし頃別の塾で雇われ講師をしていたころの教え子を含みます)。あと、看護師が5名、研究職が1名、国土交通省が1名。ほかにも書ききれないくらいの進学・就職者がいます。
そしてうれしいことは、高校入学までを私とともに過ごした生徒は、ほぼその後の進路を報告に来てくれるんです。指導者としてこんなにうれしいことはありません。
そろばんの教室に来てくれたときから、その生徒との縁が始まります。早くに教室を去ってしまう生徒ももちろんいます。しかし、人生においてその半分以上を共に過ごす生徒もいます。上に挙げた5人は1番短い生徒こそ5年ほどの付き合いですが、一番長い生徒にいたっては15年のおつきあいです。これだけ長い間顔を合わせて、なお来てくれる。本当にありがたいし、うれしいことです。
そろばんの指導の時から、そろばんだけにとどまらず、いろいろなことを伝え、時には厳しく叱り、壁として立ちはだかる。嫌われることもたくさんしてきました。それでも今ここに帰って来てくれた生徒は、私を認めてくれています。これまで私が伝えてきたことは、少なくとも間違いではなかったと、胸を張っていえる先生へと彼らに育ててもらったともいえます。
私は、いつも胸に刻んでいることがあります。「そんなこともわからへんの?」という言葉を子供の前で出した時は、先生という仕事を辞める時であるということです。常に「どうしたら伝わるのか?」を考え続ける先生でなければいけないと思っています。だから、そろばんやお勉強で必要なやり方や知識は「教え込み」ますが、当たり前のことを当たり前と思える心を育てるために「伝える」ことを大切だと思っています。手を抜いたり、体裁だけを繕って子供たちの前に立てば、子供たちは恐ろしいくらい見抜いてしまいます。だから、私は毎日が本気です。
先日上記のうちの1名と、酒を交わしました。たくさん語り合いましたが、一番うれしかったのは「俺、先生と出会ってなかったら大人をクソやと想ってましたわ。こんなけ本気で子供に向かっていく先生は少なくとも俺は出会ったことがない。」と。「本気が伝わっている」生徒がここにまた一人いたことにうれしい反面、本気で子供を想う先生が減ってしまっていることに、悔しい気持ちにもなりました。
今年度も変わらず、子供たちに本気で立ち向かう先生であり続けたい。そして「教え込む」だけでなく「伝える」ことのできる先生でありつづけようと胸に誓った瞬間でした。
主に、中学生のお勉強のサポートをお願いしています。わたしももう40代のおじさんです。少しでも子供たちに年齢の近い大学生のほうが、子供たちもなじみやすく、相談もしやすかろうという想いがあり、来てもらっています。
今こうしてサポートに来てくれているのは、全員教え子です。で、改めて紹介を書いていたところ、なかなかすごいメンバーだなあと思います。ここまで育ったとのかと思うと感無量なんですよね。個人が特定されるのも困るので、この5人の高校・大学だけあげてみましょう。
①天王寺高校→大阪府立大学工学域
②高津高校→関西学院大学理工学部
③近畿大学付属→近畿大学農学部水産学科(近大マグロ)
④清水谷高校→同志社大学文学部
⑤清水谷高校→大阪市立大学工学部
ね。なかなか頑張った自慢の教え子たちです。そして今年もまた、大学進学・就職の報告をたくさんもらいました。たとえば、教え子の進学先としては、今年の報告者で関関同立を制覇しました。これまでの報告に来てくれた生徒を思い返すと、国公立は京都・大阪府立・大阪市立・奈良教育・京都教育・京都府立・奈良女子・和歌山への進学者がいます(この中には、若かりし頃別の塾で雇われ講師をしていたころの教え子を含みます)。あと、看護師が5名、研究職が1名、国土交通省が1名。ほかにも書ききれないくらいの進学・就職者がいます。
そしてうれしいことは、高校入学までを私とともに過ごした生徒は、ほぼその後の進路を報告に来てくれるんです。指導者としてこんなにうれしいことはありません。
そろばんの教室に来てくれたときから、その生徒との縁が始まります。早くに教室を去ってしまう生徒ももちろんいます。しかし、人生においてその半分以上を共に過ごす生徒もいます。上に挙げた5人は1番短い生徒こそ5年ほどの付き合いですが、一番長い生徒にいたっては15年のおつきあいです。これだけ長い間顔を合わせて、なお来てくれる。本当にありがたいし、うれしいことです。
そろばんの指導の時から、そろばんだけにとどまらず、いろいろなことを伝え、時には厳しく叱り、壁として立ちはだかる。嫌われることもたくさんしてきました。それでも今ここに帰って来てくれた生徒は、私を認めてくれています。これまで私が伝えてきたことは、少なくとも間違いではなかったと、胸を張っていえる先生へと彼らに育ててもらったともいえます。
私は、いつも胸に刻んでいることがあります。「そんなこともわからへんの?」という言葉を子供の前で出した時は、先生という仕事を辞める時であるということです。常に「どうしたら伝わるのか?」を考え続ける先生でなければいけないと思っています。だから、そろばんやお勉強で必要なやり方や知識は「教え込み」ますが、当たり前のことを当たり前と思える心を育てるために「伝える」ことを大切だと思っています。手を抜いたり、体裁だけを繕って子供たちの前に立てば、子供たちは恐ろしいくらい見抜いてしまいます。だから、私は毎日が本気です。
先日上記のうちの1名と、酒を交わしました。たくさん語り合いましたが、一番うれしかったのは「俺、先生と出会ってなかったら大人をクソやと想ってましたわ。こんなけ本気で子供に向かっていく先生は少なくとも俺は出会ったことがない。」と。「本気が伝わっている」生徒がここにまた一人いたことにうれしい反面、本気で子供を想う先生が減ってしまっていることに、悔しい気持ちにもなりました。
今年度も変わらず、子供たちに本気で立ち向かう先生であり続けたい。そして「教え込む」だけでなく「伝える」ことのできる先生でありつづけようと胸に誓った瞬間でした。