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東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

なぜだろう?

2016-11-08 15:12:08 | 日記
 昨日のブログの閲覧者数が2倍に増えています…。

 う~ん。某塾のブログでご紹介されていたからかなあ? ということは某塾のブログの読者がかなり多いのか…。

 もしそうであるなら、某塾の先生も、私も、どこの塾に対して、そしてどこの塾の講師に対して腹を立てているのか分かっておられるのかな?

 もし私のブログの読者の皆様で、私の考えについて思うことがある方は、もちろん匿名で構いませんので、ぜひともお考えをコメントくださいませんか?

 記名のコメントであっても、文中で非公開希望と書いておいていただければ、公開はしませんのでよろしくお願いいたします。

 私には私の信念がありますが、それにしても前回のブログで書きました「所以講師」さんも、たびたび出てきます地元瓢箪山の「成績の低い生徒を辞めさせて、成績の高い生徒と入れ替える学習塾」さんも、「子供のことよりも自分自身がかわいくて仕方がない学校教諭」さんも、根っこは同じだなと思いますね。それは「自分の価値観が絶対だと思い込んでいる」ということですよね。

 「お前もそうやないかい」と言われても、反論は難しいですが、「先生だいぶ変ったよなあ」と代が変わるたびの卒業生に言ってもらえているということは、客観的に見て私にもなんらかの変化があるんだろうと感じています。

 生徒が伸びるためなら、いいものはどんどん取り入れていきたい。ただ単にそう思うだけなんですけどね。

 前回の記事に関してでも、それ以外の記事に関してでも、コメントお待ちしています。
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学習塾における「講師」と「教師」の違い  長いですよ(笑)

2016-11-07 11:57:55 | 学習・塾に関する中身
 学習塾という存在はまず間違いなく「生徒の学力を伸ばす」ことに一義的な存在理由があると思います。ここに異論のある方は恐らくいないと思います。ところがこの「学力」というものをどう捉えるかは、それこそ千差万別・十人十色と言った感じです。

 まず、私はこの「学力」というものは、偏差値だけで計ることはできないと考えています。この想いは私の大学時代~卒業後しばらくの実体験に基づきます。

 私は奈良教育大学修士修了(生命・地球科学専修:要は理科の先生です)です。いろいろありまして、母校からは現在はもうなくなってしまいましたが、自然科学に特化した人材を育てるコースで、野外実習の実地指導をする補助教員を大学院時代~そろばん教室を開いてからも、通算5年間させていただきました。
 野外実習とは、実際に野山を歩き「地質図」を作成する授業です。「地質図」とは、簡単に言いますと、自分の足元にある表土をはぎ取った時に、その下がどのように構成されているかを地図上に表したものです。
 地質図を作り上げるためには、実際に野山を歩き、自分で見たものが何であるか判断を下しながら進んでいく必要があります。机の上で学んだ〇〇岩はこういう鉱物でできていて…という知識を、実際の野山にある現物で答え合わせをするという、理科の専門科であればこの上ない経験を積むことができる授業なんですね。

 私は大学生が野山を歩きまわるのについて歩き、助言・時には知識を伝達しながら同時に安全管理をして、教員としての役目も果たすという立場だったわけです。そのときの複数回あった学生とのやりとりです。

 ① 学生:先生、(拾い上げた岩石を見せて)これ何岩ですか?
    私:あなたは何岩だと思いますか?
   学生:先生、実はわからないんじゃないですか?
    私:わかっていますよ。なんなら今ここで紙に書いて封をしてあげるから、持って帰って教授に何岩か聞いてごらん。
   学生:分かっているなら教えてくださいよ。
    私:だから、あなたは何岩と思うのか・その根拠とともに説明してみてください。
   学生:メンドクサ。そんなん覚えたらいいじゃないですか。
    私:…。(その後、ベースキャンプになっている施設で、夜のミーティング授業をするのですが、その場で懇々と説教しました)

 ② 学生:先生、私はこの岩、花こう岩だと思うのですがどうですか?  
    私:ほう、その根拠は?
   学生:石英や長石のつぶが大きくて、黒い雲母も見えます。石基にあたる部分は確認できないので、花こう岩だと考えました。
    私:おしい! いいところまでいっているよ。だけどその鉱物の粒の一粒一粒を見てごらん。角が丸みを帯びているよね。花こう岩で
      あれば冷えてすぐに固まっているから、粒は角張っているはず。これは花こう岩が風化・浸食されてできた砂が堆積してできた
      堆積岩です。花こう岩を原料にできた砂岩と考えてもいいよね。
   学生:ほんまや! 角が丸いですね。そうやって見るんですね。
    私:そう、きちんと考えているから、間違いをストンと理解できたでしょ。

 ①の学生には、理科、特に自然科学の専門家を目指すのであれば、目の前のものをそのまま理解しなくてはいけないということを(教授の前で偉そうに)説教をしました。その学生は私が自己紹介で「そろばんの先生をしています」と言ったものだから、そんなに知識がないと思っていた節もあったので、きちんと筋道立てて説明をしてあげました。(ちなみにその彼は、今は理科の教師をしています。まあ角も取れて、理科の本質を抑えた授業をしているようです)

 さて、いわゆる偏差値が決して高いわけではないですが、母校は国立大学です。それなりの高校を卒業した学生が集まっています。奈良でいえば奈良高校・郡山高校・育英・育英西。大阪で言えば高津・八尾・清水谷・夕陽丘・四条畷…(私が関わっていたころの高校名ですよ)。
 でもね、①のような学生、少なくなかったんですよ。そして①のような学生ほど小学時代は〇文式でお勉強。中学・高校は大手の塾・予備校で「受け身」の授業を受けてきたものが圧倒的に多かったんです。
 ②のような学生は、小学時代はそろばん・習字・ピアノといったお稽古ごとをしていて(中学になっても続けている者が半数以上でした)、中学時代は3年生だけ塾に行き、高校時代は予備校にはあまり行かないで季節講習だけ受講といった学生が圧倒的に多かったんですよね。

 ①の学生は、自分に足りないものが何かを先達に教えてもらい、それをこなすことには非常に長けていました。が、自分で物事を考察する能力には著しく乏しかった記憶があります。
 ②の学生は間違いもありますが、基本的には自分でなぜかを考え、調べてそれでも分からない時に「私は〇〇だと思いますが、どうですか?」と聞けるんですよね。そしてその考え方に光るものがあるんです。

 こうした姿勢は、小学校・中学校のときに「どれだけ知的好奇心を満たしたか?」 そして「どれだけ効率の悪い経験をしてきたか?」に裏打ちされます。そう!効率が悪い勉強ほど、物事の真の姿に近づいていけるのです。
 それは「結果を覚える」という勉強の無味乾燥さと「試行錯誤した後に辿り着く答えを知った時の達成感」を多数経験しているからです。
 そして、小学校・中学校時代は、そうした効率の悪い勉強をするのに最適な時期です。そして試験に関係のない知識であっても、そのこどもの栄養としてたっぷりと与えてやらねばなりません。

 ここが、塾「講師」には分からないんですよね。大量の勉強は効率が悪い。過去問を使えば効率よく勉強(ではなく得点をとることが)できる。それをさせないのは中学時代に「過去問を使う経験を奪う」なんて暴論につながるのは、「講師」なんですよね。
 私は「過去問ばっかり使う指導」が賛成できないんですよ。きちんとお勉強をして、自分のお勉強に漏れがないかどうかを確認するための「自分テスト」として過去問を利用するのが、一番中学生にはいいと考えています。
 目先の得点や成績に捉われることなく、その先にある本質を見据えて、今子供たちに必要だと思うことは、たとえしんどい思いをさせると分かっていても伝えてやらせる。これが「教師」なんですよね。

 だから「講師」は「得点や偏差値を上げる専門家」ではありますが、「教育の専門家」ではありません。私はまだまだですが、それでも「教育の専門家」として子供たちを指導していく努力をしています。

 効率の悪い勉強を中学時代に積みまくったから、過去問を使った効率の良い勉強を、高校生になってできない! なんて主張は「私は自分が教えた生徒は、自分が教えたことしかできない、完全な受け身の生徒に育て上げる自信があります。」って公言しているということに気づけていない時点で、その能力の浅さを露呈していますよね。
 効率が悪くても、きちんと勉強する力を身に付けていれば、周りからの情報と、高校で出会った先生のご指導とできちんとそれくらいできるようになりますわ!

 早くこの方が「講師」としては専門家ではあるけれど「教師」としてはド素人以下(未満かな? なまじっか偏差値向上に関する指導力はあるようなので、実は一番タチが悪いんですけどね)という自分自身に気づいていただければ、その塾に通う生徒たちは救われるのになあと思ったので書いた次第です。

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これからますます高校受験は厳しくなります~日本の文部行政のトップにはウマシカしかいないのか?~

2016-11-05 00:00:59 | 学習・塾に関する中身
 「大学進学時、給付型奨学金(返済義務なし)を月額3万円支給。ただし高校在学時の成績評価の平均が4以上の生徒に」

 え~と、バカですか?これを決めた方々は…。

 もし私が中学3年生なら(私はこの頃が一番貧乏でした。本当に赤貧って言葉ご存知ですか?あんな感じです。)、確実に受験校をワンランク下げます。その方が確実に高校でもらえる評定は上がりますもんね。

 つまり、この施策によってますます相対的な貧困は確実に広がります。だって、各高校ごとに成績評価は一定の比率になされますから、富裕層はこんな施策を気にせずに受験できます。一方この給付型奨学金が命綱になる生徒は、目先の3万円で進路を変更するでしょう。そしてワンランク下げた進学先では、指導もやはりワンランク下がることになります。

 むしろ、大学進学希望者に大学入試センター試験のような、同一問題を高校在学時に複数回課し、その成績の上位何%かを奨学金の対象とする方が現実的です。そうすることで、学力が相対的に低いものが、奨学金(言葉の意味を冷静に考えてください。学業を奨励するお金です)を受けるという事態は回避できます。(スポーツや芸術など、学力が直接的に関係ない進学者をフォローできない場合は確かにありますが、それは別の奨学金制度を作ればいい話です。学力と、学力以外を同時に計る尺度などないのですから、同列に議論することができません)

 優秀でありながら、経済的な問題で進学できない学生を援助することが本当に必要なのですよ。優秀な学生がその芽を伸ばすことに対して投資することが、今本当に求められると思うのです。

 「ふるさと創生基金」って覚えておられますか? 地方に1億円をばらまいたあの政策です。今私が町長でこの1億円の使い道を決定できるなら、へき地医療に従事する意思のある高校生を、医学部に進学させるための基金として利用します。

 まず、わが町の採用試験を受験してもらいます。そしてその成績優秀者を、一旦町職員として採用します。そして町職員の身分のまま、医学部に進学してもらいます。学費・生活費は全額この基金で負担します。

 そして、卒業後、へき地医療に従事してもらいます。給料から基金へと返済をしていただき、相応の期間(10年くらいが望ましいと思います)経過後は繰り上げ返済も認め、返済が済めば独立しても、そのまま引地医療に従事していただいてもOKと。

 これで、基金は引き継がれて、医師不足の解消に寄与すると思います。

 夢物語ではありますが、こんなふうに優秀な人材を確保するためにこそ資金を投入するべきだと思います。

 まあ、つべこべ言ってもルールはルール。私の教え子たちが進学先でも力を発揮できるように、さらに気合いを入れて指導することにします。

 アア、アタマガイタイ
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2本も続けて難しいことを書いたら

2016-11-04 00:50:04 | 日記
 知恵熱が出そうです。

 まあ、こんなことを内面に秘めながら、日々子供たちに向き合っております。はい。

 時には真面目にふざけて、時には本気で叱り、一緒に喜び一緒に泣いて…

 そんな時間を子供たちと共有することができる先生であり続けたいと思います。

 あ~、オチをつけようとおもったけどやっぱりまじめになってしまった………






 あっ、知恵熱がでてき…。    オヤスミナサイ
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大学入試が改定されますね

2016-11-04 00:22:41 | 学習・塾に関する中身
 現在はマークシート方式(選択肢の中から、正解を選択する方式)で大学入試センター試験が実施されています。(数学では実際の答えをマークで回答する問題もありますから、完全に選択式ではありませんね) これでは知識偏重で問題解決力が育たないなどというもっともらしい理由で、記述式の問題へと変更をするようです。

 さて、まずは塾業界。商魂たくましい塾では「新方式への対応もお任せください!」なんて言っていますが、私は入試問題の出題方式が変わったって、指導を変えるつもりは全くありません。

 なぜならば、「物事を論理的に思考し、自らの意見を論理的にもとめるためには、相応の語彙力が必要である。基礎となる語彙力は(漢字の読み書きを含めて)暗記である。だから、論理的なお勉強を行うための力をつけるためには、その入り口の学力までは到達する必要がある。現在中学生卒業までのお勉強は、その後のお勉強のスタートとなるものであるから、今まで通りでなんら変更する必要はない」と考えているからです。

 今まで「暗記偏重」の指導をしてきた塾さんは、新方式に対応しないといけないのです。でも私は対応する必要がないのです。なぜならば、今の段階でそろばんの生徒に対しても、前述の指導をしているからです。

 例を挙げましょう。中学校理科1年生の問題です。

 問 試験管に入れた液体を加熱するときには、沸騰石をいれます。これはなぜですか?

 答 突沸を防ぐため(突然沸騰することを防ぐため)

 試験ではこれで〇になるんですよ。でも私は×にしたいくらいです。ではこの答えはどうでしょう?


 答② 突沸して、中の液体が飛び出すことを防ぐため

 はい、ずいぶんとよくなりました。原因と結果つまり因果関係を書けています。でも私はもうひと押しツッコんで聞きますよ。

 問2 じゃあ、どうして沸騰石を入れると突沸が防げるんですか?

 これに応えるためには、そもそも「沸騰とはどんな現象か?」ということを理解している必要があります。答えはあえて書きませんので、気になる方は調べてみてくださいね(そこのあなた!「実はお前も分かってないやろうと」は失礼な。中学校教諭(理科)も専修免許を持ってますよ)

 そればんでは、漢字指導で部首を覚えさせます。部首の意味を説明して、会意文字・形声文字について説明もします。そろばん指導では、計算した答えがおかしいか、答えを書く前に気づくことができるようにも指導しています(企業秘密です)。

 ここまで普段から教えていますから、私は教え方を変える気はないのです。

 「新方式への対応は当塾にお任せください」と書いている塾は、今の授業が新方式に対応できない指導方法であると、私は考えています。

 ※ 追記

 ネットニュースで「これからの塾は体験を中心にした指導をウリにするところが出てくるでしょう。でもそれは家庭で十分できるから(たとえば美術館・博物館に行く。農作業を体験するなど)、塾の必要性はなくなる。」と書かれた記事を見つけました。

 これも的を得ていないと思います。塾のもっとも重要な仕事は「鍛えること」です。これからますますあふれる情報を読み解くための「基礎能力」を徹底的に身に付けさせることです。そしてその使い方も意識して教えるのが教育のプロです。教育のプロはもとから必要な教育を目指して指導していますから、求められる能力がたとえば体力とか、歌唱力とか、そういう方向へ行かない限りは指導を変える必然性はありませんし、社会からの必要性がなくなるとも思えません。

 ただし、通わせるご家庭の皆様にも、プロの教育者とその教育力を見抜く力がより必要となることは認めます。

 そろばん教育はこうした力の基礎の基礎を下支えする力を持っていますから、これからの時代にこそ最適であるというのが私の結論です。
 (このお話は過去ログ「そろばん学習で得るものは?」のカテゴリーに詳しく記しています)
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