この題名どこかで見たことあるでしょう? 実は結構前に書いたんですが、書き上げてなんとなくみなさんのブログを見ていると、同じ題名を発見しまして…。しばらく寝かせました。この頭の文章は後から書き足したものです。分かる方は見比べてみてください、今回もまた奇跡的な内容かぶりを見せていますが、あえて書き直すことなく掲載することにします。分かる方は笑いながらごらんください。では本文をどうぞ。
本当にね、お説教って嫌なもんですよ。だって空気が悪くなることが分かっていますからね。説教されなきゃ分からないような状態であるから説教しなきゃいけないわけで…。授業を進めることよりも大切なことがあるからこそ説教をするわけで…。誰も説教をしたくてしているわけではありませんよ。
でもね、子供たちは「うわ~、また始まった…」という表情をしていることが多々あるわけです。そんなこと長い付き合いですから、表情や態度、呼吸なんかですぐに気づくわけで、気づいていないと思うことにびっくりしますよね。
でも、ここで怒声にしてしまうと逆効果であるということにここ数年で気づきました。具体的な例を入れて、抽象的にならないように気を配りながら、伝えたいことを各自に伝わるように説教をするほうが、最初はいやいやでもだんだんと真剣に耳を傾けてくれるということに!
なので、冷静に冷静に言葉を選んで説教をするわけです。少しでも生徒の変わるきっかけになればと想いながら、「君たちならこんなもんではないはずだ! どうしてあと少しができないんだ!」みたいな気持ちですよね。でも松岡修造さんのように熱くなりすぎるとちょっと嫌なんですよ。だからそのへんのさじ加減なんかも気にしながら、お説教をするわけです。
「塾指導に説教する時間なんかないやろ!」という方は私とは一生仲良くできないですね。というか、「説教しない指導者って、子供たちをどうしたいの? お勉強だけができればいいの?」と考えちゃいます。あっ、もしかしたら、お説教をする必要のない、精神的にもきちんと成長した聖人のような中学生だけを教え続けている指導者なら、お説教をする必要はないですね。(そんな生徒ばかりを教え続けている指導者っているのかな?)
子供たちはまだまだ未熟です。私ももちろんまだまだ未熟ですが、それでも子供たちよりはたくさんの経験をしてきました。その過程である程度の結果も出してきましたから、少なくとも子供たちの害悪にあるようなお説教はしていないはずです。
それでも子供たちにとっては鬱陶しいだけのお説教だと思います。なかなかこちらの真意が伝わらないですが、それでも「いつかは伝わるはず」だと思わないとやってられませんし、「いつか私の伝えている意味が分かるときが来るだろう」と信じているわけです。
損な役回りであるのかもしれません。でも子供たちが成長し、私の下を離れてから、自分の希望を叶えた社会人となって帰って来てくれたときに「今なら先生の言ってたこと、少しは分かりますよ。中学生って本当に何にも分かってないですよね。でも分かってるつもりやったんですよねえ」なんて、私の真意を汲み取ることができてくれたことが分かったときはね、もうそりゃ「あ~伝え続けてよかったなあ」なんて思うわけですよ。
これからも嫌われようが、鬱陶しいと思われようが、伝えなきゃいけないことはきちんとお説教をしようと思うわけです。そして伝えることをあきらめない指導者でいたいと思います。はい。