東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

子供たちにどこまで介入するべきか

2021-09-05 13:36:52 | 日記
 私は、割と介入する方です。私のもとに来てくれるということは、奇跡に近い「縁」であると考えています。関わった生徒とそのご家族がマイナスになることが分かっているのに放っておくことはなかなか性格的に難しいものがあります。それゆえにこちらの想いが保護者の皆さまに伝わらずに誤解を招いたこともありましたし、保護者の皆様に指摘されて行き過ぎや間違いに気付くこともありました。
 それでも「一時的に嫌われること」を恐れていてはいけないと思っています。「ダメなものはダメ」という意識は持ち続けていたいのです。もちろん、私の考え方が唯一無二の正解だとは思っていません。だから保護者の皆様との懇談の機会を大切に・出来るだけ持つようにしています。

 たとえば宿題を忘れて来た時、子供たちは様々な様相を見せてくれます。素直に謝りに来る生徒もいれば、こちらから声をかけるまで黙っている生徒もいます。こちらの目を盗んでなんとかばれずにやってきたことにしようとする生徒もいれば、宿題なんてありましたっけ?という態度で知らぬ存ぜぬを突き通そうとする生徒もいます。さらには(連絡帳制度がありませんので)宿題なんて出されてましたっけ?と本気で覚えていない生徒もいたりします。
 私の中での正解は「忘れたことを素直に申告し謝ったうえで、その解決策を提示してこちらを納得させる」というものです。そうしてくれるようになるまで何度でも何度でも伝えます。そして生徒のキャラクターによってその伝え方は一人一人異なります。

 きれいごとでもなんでもなくて、私は叱ることや諭すことを含めて「子供たちと真剣に向き合うこと」をめんどくさいと思ったことはありません。「何度伝えれば分かるねん」と心の中で思っていることはありますが(笑)。とはいえ「◎◎回伝えれば子供は理解する」なんて楽ちんなことはありませんから、毎年毎年違う生徒に対して繰り返し繰り返し伝えるだけです。
 そろばんもお勉強も、「本人ができるようになりたい」という意識をもって立ち向かわないとできるようになるものではありません。だからこそ、物事への向き合い方を幼少期はそろばんで、小学校高学年からはお勉強を通して伝えていると思っています。

 「子供たちは楽をしたいものです」。よく見る表現ですが私は間違いだと思っています。「人というものは楽をしたいものです」が正解だと思います。うそや間違いをその都度修正して「楽をすれば今は楽しいけど、後で苦労する確率がうんと上がる」ことに気が付いてほしいのです。私自身もすぐに楽をしたくなります。暇さえあれば寝てますし、YouTube見るのが大好きです。でも、子供たちの前ではきちんと筋を通したいのでやらなきゃいけないことは後回しにしないように、教える中身についての学びは怠らないようにしています。
 指導する側があきらめて子供たちを「放置する」ことはあってはならないことだと思います。それは子供たちに「見捨てられた」という感覚を持たせることにもなりかねません。一人一人のキャラクターに合わせて「見守る」ことは必要ですが「見守っている」ことは表情や態度で示し続ける必要があるとも思っています。

 子供たちを「叱る・諭す」という行為はとんでもなく重いものです。その子供たちの人生を左右することも少なくありません。「先生に無茶苦茶叱られて良かったですよ」と来てくれる卒業生と話をするたびに、私のもとを離れるその日まで、伝え続けることは大切だと思っています。子供たちに介入することを辞める(伝わらない生徒を放置する)ときは、私は指導者を辞めるときだろうなとぼんやりと考えています。
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なるべく対面授業を続けたいのです

2021-09-03 00:27:10 | 日記
 感染拡大が非常に厳しい状況になりつつあります。去年までは子供は発症しにくい上に、罹患しても重症化は稀であるとされてきました。実際にデータもその事実を裏付けています。そのことが分かり始めた去年の夏ごろから、私は対面授業を止めないためにどうすればいいかを考えました。まずは換気を確保するため、網戸とサーキュレーターを増設しました。そのため教室内の気温が下げきれないので、熱中症を予防するためにウオーターサーバーを設置しました。秋ごろには長期戦の様相を呈してきたので、思い切って全教室で換気扇設置工事を順番に行いました。正直投じた費用は2・3年で回収できるものではありません。それでも決行したのは「対面授業を止めたくない」からです。

 大阪府は去年の休校が5月15日の知事の再開決断まで、実に二か月半に及びました。大阪府の要請に応じてそろばんは休校、学習塾はYouTubeで録画した授業を配信しました。再開後そろばんも学習塾も人数を減らして分散授業。結局元通りにするのに三か月かかりました。

 再開後に感じたこと。小学校低学年は指先の動きが鈍っていました。コミュニケーションもぎこちないというか、うまくいかない感じがしました。高学年は休校期間にどのように過ごしたのかが如実に表れた気がします。特にペースが乱れてしまった生徒は元に戻すまで数か月かかったと記憶しています。
 学習塾の場合は、手元を見ながら・答えを確認しながら授業を修正していくというライブ授業が全くできず、生徒の頑張りでなんとか踏みとどまったものの、この時期の借金をいまだに返済しているという感覚があります。

 どれほど技術が進歩しても、やはり人対人のライブ授業に勝るものはないのではないかと考えています。画面に表示しきれない視野の外にあるものこそ、とても大切だと思うのです。褒める・叱るタイミング、努力を見つけるこちら側の目配り、失敗を隠そうとする生徒側の動き、などなど。向かい合うからこそ「指導する側とされる側」のそれぞれが分かることがたくさんあるのです。

 だからこそ、対面授業を続けたいのです。しかしながら、命より大切な授業などありません。そのために、できることをできる限りしています。8月末からは、保護者の皆様にご負担をお願いすることになりますが、ウレタンマスクは感染予防効果がほぼないことから、着用禁止とさせていただきました。手指消毒は今まで以上に声をかけ、マスクの正しい着用法も繰り返し伝えています。マスクを外して水分を取っている間は絶対に喋らないとも。

 それでも状況が許さなくなれば躊躇なく休校に入るための準備もしています。できるだけ科学的知見に基づいて根拠ある対応・対策を心がけています。

 やれるだけのことをやる。でも、何が何でも対面授業を続けるわけでもありません。状況は刻々と変わります、人類の叡智がなんとかできるようにしてくれるまで耐え抜いて、「あの頃はほんとに大変だったねえ」と回顧できる日が来ることを願いながら、全力を尽くし続けようと思います。

 でも、時々は力を抜くためのお休みをいただくかもしれません。その時はどうか温かい目で見ていただけると幸いです。
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