南九州は 焼酎文化圏ですが 私の生まれ育った故郷には おそらく日本で一番南ではないかと思われる 日本酒の蔵「千徳酒造」があります。
其の故郷に住む 弟がいつものように 清酒「千徳」を送ってくれました。
私には「姉ちゃん」と 呼んでくれる弟が二人居ます。
故郷に住む弟は 下の弟で 七歳年下です。
戦争が 終わって生まれたので 親が働くのに一生懸命だった分 弟の子守は
私でした。
学校許可の 映画や友達との遊びにもいつも尻について きていました。
ソレがいやで 隠れて出て行こうとすれば 母に見つかり 仕方なく連れて行っていました。
そんな弟も 高校三年の夏休みに 三度目の入院の母に 毎日付き添い 最後まで
世話をしてくれました。
弟には 母の余命がないことは 父と内緒にしていましたが 「最後です」の医師の言葉に「助かる手立てはなかったのですか」 と小さな声で 医師に
訴えたえた 弟の言葉は 今も耳の奥に残っていて 思い出すたび
切なくなります。
母は 47才でした。
母が 「猪の一年子は家の宝と言うのだよ」と言っていたとおり 母を看取り
父を看取り 祖母を看取りました。
今は 仕事も勤めあげ 孫の成長を楽しんでいます。
姉の風を吹かせる私も この弟には 感謝です。
それでも やっぱり姉貴気取りで 色々苦言を呈する私がいます。
両親も居なくなり 弟家族だけが 住む故郷ですが やっぱり故郷はいいものです。
其の故郷に住む 弟がいつものように 清酒「千徳」を送ってくれました。
私には「姉ちゃん」と 呼んでくれる弟が二人居ます。
故郷に住む弟は 下の弟で 七歳年下です。
戦争が 終わって生まれたので 親が働くのに一生懸命だった分 弟の子守は
私でした。
学校許可の 映画や友達との遊びにもいつも尻について きていました。
ソレがいやで 隠れて出て行こうとすれば 母に見つかり 仕方なく連れて行っていました。
そんな弟も 高校三年の夏休みに 三度目の入院の母に 毎日付き添い 最後まで
世話をしてくれました。
弟には 母の余命がないことは 父と内緒にしていましたが 「最後です」の医師の言葉に「助かる手立てはなかったのですか」 と小さな声で 医師に
訴えたえた 弟の言葉は 今も耳の奥に残っていて 思い出すたび
切なくなります。
母は 47才でした。
母が 「猪の一年子は家の宝と言うのだよ」と言っていたとおり 母を看取り
父を看取り 祖母を看取りました。
今は 仕事も勤めあげ 孫の成長を楽しんでいます。
姉の風を吹かせる私も この弟には 感謝です。
それでも やっぱり姉貴気取りで 色々苦言を呈する私がいます。
両親も居なくなり 弟家族だけが 住む故郷ですが やっぱり故郷はいいものです。