暖かな 穏やかな日が続いていますが 今夜から又 冬の寒さに戻るとか 予報が出ています。 地震の避難所で 空腹と寒さに震えている 方々のことを 思うと何も手を差し延べることの出来ない 自分が歯がゆく 思えます。
どうか一刻も早く 援助の手が届きますように 祈るばかりです。
暖かな 穏やかな日が続いていますが 今夜から又 冬の寒さに戻るとか 予報が出ています。 地震の避難所で 空腹と寒さに震えている 方々のことを 思うと何も手を差し延べることの出来ない 自分が歯がゆく 思えます。
どうか一刻も早く 援助の手が届きますように 祈るばかりです。
バックが出来上がりました。 古布を使っています。 おんなじパターンを六枚つないでいます口幅は8cmを 六枚つないで 口幅 24cmです。
小さな 麦とコスモスを 刺繍しました。
底は 六角形です。 同じ形を六枚つないで 裏も 同じですし 底の六角形を まっつて出来上がりです。 持ち手はロープを 縄にしました。
私の生活の中で ラジオは欠かせません。 針仕事をしながら聞いたり 夜中に眠れないときは「ラジオ深夜便」を聞いています。
今日も お昼ごはんを 用意しつつラジオを聴いていましたが 刻々と増えていく 被害の状況を 仙台の放送局の男性のアナウンサーが 伝えていました。 レポーターの 赤ちゃんを抱っこした お母さんが<帰る家が無いのです。ショックで おっぱいが出なくなり 粉ミルクを 探しています。>との 言葉を伝えるのに 声がつまり 中断してしまいました。
男性のアナウンサー 声を詰まらせ 涙声でした。 私もつい 涙を流してしまいました。
どれだけの方が なくなっているのか まだ分からないようです。こんな切ないことはありません。 のんびりとしている自分が やるせない気持ちです。
もう少し状況が 落ち着いて把握出来るようになれば 私でも協力できることが きっとあるはずと思います。
ご飯を食べる 箸も茶碗も 何にもかも なくなったのです。鼻水をすすりつつ 食べたお昼ご飯でした。
昨日の午後 発生した大震災 とそれに伴う大津波 時間が過ぎるごとに被害の大きさを伝えています。
それに原発の事故も発生し 住民が避難を強いられています。 <一寸先は闇>と年寄りが言っていましたが 本当に そうだと改めて思っています。
都会では 停電も予想されていますが こんなに電化された生活 昔に戻ればどうなるのでしょうか。テレビに 映される被害の状況は 目を覆うばかりです。
沢山の 大事な命が失われ 残された方のかなしみは いかばかりかと 察しています。
心から お見舞い申し上げます。
あちこちの 田んぼで 田植えの準備の作業が始まりました。 お米の値段が下がっても 転作を奨励されても 自分で食べるお米は自分で作るのが 農民です。
先祖から 受け継いだ農地を 自分の代で売るわけにもいかず 草ぼうぼうにするわけにもいかず さりとて他人に耕作を依頼するにも 狭い三角や小さな田んぼは 引き受けてくれる人もなく 腰が痛い 肩が痛いといいつつ 米作りをすることになるのです。
まだ用水路の 栓が開いていませんので 田んぼは水なしですが 肥料をまき トラクターが土を混ぜ あっちこっちに 動きまわっています。
其の後 水が入りますが 大事な水を漏らさないために水田の 下側の畦は しっかりと塗り固められます。 昔は鋤鍬で泥土をすくい畦に塗っていましたが 今はトラクターに専用の部品を取りつけ 機械が上手に塗り上げていきます。
それでも 田植えが済めば毎朝 水の管理は 欠かせません。
そんな 機械化された米作りですが 我が家は機械化には程遠い 手作業の米作りです。植えるまでの準備は 穴熊さんが頑張り 苗は農協頼み 植えるのはご近所の田植え機にお願いし 草取り 取り入れ 掛け干しの 手作業の 米作りです。
自分で作って 自分で食べる 何時まで続けることが出来るでしょうか。
今日は 寒い一日でした。 お彼岸まではまだまだ寒い日が来るのでしょう。
ポーチが 出来上がりました。 20cmのファスナーをつけています。糸巻きのパターンといいますが 一つのパターンは5.5cmの四角で布割りをしています。横に四枚つないで
22cmになるはずですが キルトをすれば 縮みます。そこで20cmの ファスナーでOKです。
このままにするか 紐をつけて ジョギングのときの小物入れも いいかなあーと思っています。 次なに作りましょうか。
私の町の ギャラリーは商店街の 真ん中の 空き店舗を利用した ギャラリーです。
運営のスタッフの努力で いつもいろいろな目新しい 手作りの多彩な作品が 展示されています。 田舎のギャラリーにもかかわらず 近隣からの 沢山の方が 見えているようです。
私も 着物で洋服を作っている 栞さんと二人で 年一回 「布遊び展」でお世話になっています。
先日 街で ギャラリーのスタッフひろ子さんに 「おひな祭りの食事会をしますよ」と声を掛けていただきました。
今 <ひな祭り展>の開催中で沢山の お雛様に囲まれて 20人ほどの女性たちの昼食会です。
こんな 高齢になっても ひな祭りの席に座れば 心はずみます。毎日せわしない日を過ごしていますが そんなときだから こんな時間 とても嬉しいひとときでした。
季節を楽しみ 時間を作り 残り少ない人生 生きていくことの楽しさは 自分で探さなくてはと思いました。
女ばかりの中で ひときわ困ったお顔の 右大臣様を 横目に♪♪ 灯りをつけましょぼんぼりに……♪♪と 鼻歌で帰路につきました。
バックが出来上がりました。
9cmの四角を 横四枚 縦三枚をつないだものを 二枚作り 底をつけました。
無地を つないだところに つわぶきと どくだみを 恥ずかしながら 入れました。
次は 何を作りましょうか。
今日は お友達に誘われて 午後チャリティーのコンサートに行ってきました。亡きお友達のご主人と同窓の方の コンサートです。
昭和40年の春 NHKののど自慢が まだ正統派で全国一を 決定していた頃 日本一になられた方です。
学校の校長先生を定年退職して 趣味の音楽を生かして活躍中の 佐々木政輔さんです。昭和11年のお生まれですから 70才を越えておられるのですが 今なお その甘いバリトンは健在です。
シャンソン カンツォーネ 歌謡曲 とたっぷり聞かせていただきました。
昨年の初夏に 開催の予定でしたが 口蹄疫発生で 延びて今日の開催になったようです。まだまだ あの口蹄疫の影響が 色々残っています。
音楽教室の生徒さんの 発表もあり 最後に 春の歌 <早春賦 朧月夜 花 今日の日はさようなら >を ステージと観客皆で斉唱し 帰宅しました。
久しぶりに声を出して 歌を歌いましたが なんにでも感化される私 歌を練習するのも いいかなあー とまだ余韻に浸っています。
今日と明日の二日間は 隣町の鬼子母神のお祭りです。我が家がお世話になっているお寺さんの境内に 祀られている鬼子母神さまです。
どんな時代になっても わが子を思う親の気持ちに 変わりはありません。
元気で健やかに 育つように 私も お参りしてきました。 今は 宮崎市と合併して 市になりましたが 昔から歴史のある町です。
子供の初節句には 素朴な土人形の佐土原人形を 贈るのが慣わしでした。その佐土原人形も出店に並んでいました。
それに 伝統工芸の うずら車も出ていました。
夕方から 明日に掛けて 沢山のお参りでにぎやかなことでしょう。
このお祭りが 過ぎると 春ももうすぐです。
お土産は 生姜あめです。