端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

終戦記念日

2012-08-15 | 思うこと

今日は 終戦記念日です。 12時のテレビの時報に合わせて 黙祷をしました。

戦争を知らない世代が多くなりました。 あの沢山の犠牲者の上に 今の日本の暮らしがあることを思うと 胸が熱くなります。

県南の 山の中の分校で 祖父母の生活の中に 疎開していた私は 小学一年生でした。終戦とともに 迎えに来てくれた父と 母や弟の待つ 県北まで汽車に乗りましたが 線路はアチコチ爆撃で不通になり 大きな川の鉄橋を 歩いて渡ったことを 恐怖心とともに 記憶のすみに残っています。

二度と起こしてはならない戦争ですが 戦争を知らない世代が多くなった今 絶対に繰り返してはいけないと 強く思います。

 

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納涼祭

2012-08-14 | Weblog

私の地方 お米作りが 早期の稲作りになって 八月のお盆は収穫時期と 重なるために 役所が音頭をとって お盆は七月にしていましたが お米作りも段々早くなり 都会に出て行った子供達も 夏休みに帰省とかで 近頃は 八月の お盆が多いようです。

私の集落も 毎年八月のお盆を 前に 11日の夕方から納涼祭が 行われました。 小さな小さな 納涼祭です。 子供達の為に 輪投げ ヨーヨーつり 無料の カキ氷 と用意され お墓に向かって まず黙祷です。 

子供が毎晩特訓を受けた 盆おどりの太鼓を叩き 昔からの 踊りを 輪になって皆で 踊ります。

其の後は 焼肉や 焼きそば 冷たいビール と準備され にぎやかな子供達や 帰省の見違えるほど色気の出た 娘さんを冷やかしたり それはそれはにぎやかな 納涼祭です。

私も今年は 集落の行事の助っ人の当番でした。   やりましたよ。かき氷の係りを。

キューブの氷を ボックスクーラーに一杯 確保して電動のカキ氷機の スイッチを入れたり切ったりして オレンジ イチゴ ミゾレ レモン の蜜を用意し どれがお好みか聞いて かけますが カキ氷を手に 悩む子供は十人十色です。

それぞれ 田舎を出て行った息子や 娘の子供達 つまり集落の孫達です。 顔を見れば大体どこの孫だか 察しが付くから不思議です。 遅くまでにぎやかだった 納涼祭でしたが疲れました。 

猫のポシェット もう一個出来上がりました。

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猫のポシェット

2012-08-12 | 趣味

私が 中学生の頃 昭和20年代の 終わりの頃 日本はまだまだ敗戦の痛手を受けていました。 皆貧しい中 一生懸命 日本は立ち上がろうと 頑張っていました。

通学していた 中学校は 一学年9クラスでした。 それも 一クラス40人から50人くらいだったと記憶しています。

三年生になると 高校に進学するか 就職するか この二つでの選択を迫られていました。 就職の生徒は 集団就職で 都会へと出て行きました。  

まだ高校の数も少なく 現在のように受験すれば どこかに合格する なんてことはありませんでした。

三年生になるとテストごとに 職員室の廊下の壁に 100番までの 生徒の名前が張り出されていました。 現在のように プライバシーなどの言葉も聞きませんでした。

そんな テストの順位 高校生になると 一年生から 表示されていました。表示されないものは 順位は分かりませんので 変な安心感に 浸っていました 。

私のブログ  このgooブログだけでも 175万余り 存在する中 翌日に 何人の方が 見ていただいたか アクセスの数字と 順位が 表示されます。

其の数字を 毎朝確認しつつ 何時までたっても だめだなあーと 嘆きつつ キーボードをぽつりぽつり 叩いています。

ポシェットが出来上がりました。  

深さ 25cm 幅20cm ファスナーは20cmをつけています。   

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音 楽

2012-08-11 | 思うこと

昨日の午前中は 生涯学習講座でした。 八月は 宮崎市在住の 音楽家の道本晋一さんのギターの 弾き語りとトークでした。

地元の民放で番組を持ち 音楽イベントなどの プロデュースもして 活躍しておられる方です。お年は 40代 後半と 私はお見受けしました。

20人ほどの高齢のオバサンを前に オバサンの青春時代の歌を フォークギターで 演奏  しばし 青春時代を懐かしみました。

この方 東京の大学の経済学部を卒業し地元に帰り 他方銀行に13年勤め 中学生の頃から かじったギターが 忘れられず 嫁も子もいるのに退職し ギター一本の生活を選択されたとのこと。

多くの反対の中 「不思議と父と 嫁は賛成でした。」と 今は淡々と 語っておられました。

音楽には そんな魔力があるのでしょうか。 そういえば我が家の二人の息子も 中学時代にギターにはまり 調子はずれの 弦を鳴らしていました。

私も 人生先が見えたのに 楽器を何一つ 弾くことが出来ないのが本当に 悔しい思いをしています。 父は草笛を時折吹いていましたが 母はオンチだったような気がします。

生まれつき 短い指の私 鍵盤を押さえるのに向いていない気もしますが ハモニカもふけないのですから 絶対音感とやらが 無いのかもしれません。

テネシーワルツ 少年時代 22歳の別れ 涙そうそう 神田川 などギターでの 弾き語りでしたが 私にも青春があったのだ と思い出した 時間でした。

押入れの隅に 子供の使っていたギターが あったはず 楽器屋さんに 持って行って 弦を張り替えて 古い教本も見つけて ポロロンと やってみるのも いいかもしれない なんて思っています。

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お寺さん

2012-08-10 | 思うこと

一週間ほど前 お寺さんから 10日の午前中に お盆のお経をあげに 伺いますと 葉書を頂いていました。

が 午前中 野暮な用事がはいり 午後に時間を変更していただきました。 

暑い夏の日差しですから玄関廻りに 打ち水をして 坪庭にも しっかり水をまき 藪椿にも 頭から 水を掛けて 風を呼び込んで 一息していたら お見えになりました。

一級河川の 川を挟んだ隣町の お寺さんです。 全然お経の知識の無い私は 耳で聞きながら ご持参の バックに 目が…になってしまいました。

麻の荒めの織りで 栗の渋皮のような 色です。 バックに取っ手はあるのですが 肝心なところは 紐です。

ずうずうしい私 冷たいお茶をお出しつつ 「済みませんが バック見せてください。」 「どうぞ」との言葉に ずうずうしくも デジカメでパチリ。 

京都から 此方のお寺に赴任のとき 餞別代りに頂かれたものだそうです。

京都の 法衣やさんに色々な仏教に関する衣装とともに 準備してあるものだそうです。

法衣や袈裟を購入するときは 身分を問われるそうですが バックは 誰でも買えるとのこと。 中身の 簡易な袈裟も見せていただきました。 模様が肩で 向かい合わせで 背丈に合わせて 模様が近くなったり 離れたり してあつらえるのだそうです。

横の 房は自分で色を選ぶと お店のご主人が目の前で 手で編んで 付けてくれるのだそうです。

お忙しい中 私の質問に色々答えていただき 暑い中 涼しい顔して 帰られました。 

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遺伝子

2012-08-09 | 思うこと

親から 受け継いだ わずかな田んぼを 穴熊さんは それはそれは拘って米作りをしています。

が 今年は いつもの手順と違って 穂が出る前から 所々 緑の濃いところがあり 肥料のやりすぎだと 嘆いていましたが 案の上 強い雨のとき 倒伏した部分が出てきました。

肥料が効きすぎ 実が沢山付き それを茎が支えきれずに 倒れたのです。 

実の量 茎の強さ それを支える 根の張り具合 それらが バランスよく成長しなければ 稲作りのプロではないのです。

それに今年は天候不順で 強い日差しと 大雨の繰り返しで そんな日が続けば 倒伏した稲は発芽してしまいます。

予定では 刈った稲を 掛け干しして お天道様で 乾燥していただき 脱穀して おしまいの予定の作業でしたが 今年はどうにもならず 泣く泣く米農家の方に 大型機械で 刈り取っていただき 乾燥まで お願いしました。

腰が痛い 肩が痛いと 嘆いている私にとっては 楽でしたが 穴熊さんは 不本意な出来上がりに まだ落ち込んでいます。  百姓生まれの遺伝子をしっかり受け継いでいるようです。皆に 美味しい米を食べてもらいたいかった とポツリと つぶやいていました。

町内 まだ 田んぼには 収穫前の稲が所々 黄金色に風に揺れています。 

餅米でしょうか 歩道のガードレールに 掛けてありました。 我が家の収穫が済んでも やっぱり気にかかります。

ポーチが 一個出来上がりました。

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老 い

2012-08-05 | 思うこと

70歳を 越えて 特に身体の衰えを一層 感じるようになりました。

冷蔵庫にあるはずの ジャムが見つからず何度覗いても 見当たりません。 今朝見たら チャンとドアーのポケットに 納まっていました。

食事のとき ご飯をこぼすことも多くなり 飲み物を気官に入れむせることも 多くなりました。そればかりか 自分の 唾液を気管支に引っ掛け むせて苦しんでいます。

パソコンのキーボードで変な単語が出てきて 隣の文字を叩いていることも多くなりました。ブログに 書きたいことは山ほどあるのに まとまりの無い文章になり 誤字 脱字 など多くなり 後で読み返して 赤面しています。

ボケの 防止に縫い物をしていますが 先日からバイヤステープを作る テープメーカーが見当たらず 探すこと三日 机の引き出しから見つかりました。

指貫が見つからないと 仕事にならないので 三個用意しています。

我ながら 情けない想いです。  

今日は あの歌手「いきものがかり」 と言うのだそうですね。 私はづーと 「いきものがたり」と思っていました。

今日ラジオで 子供の頃 生き物の係りをしていたので 「いきものがかり」と 名づけられたとのこと そんな変な名前 付けないでと 叫びました。

ポーチが出来上がりました。

幅20cm 深さ15cm 底幅4cmの まちをつけています。 ファスナー16cmです。

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お寿司

2012-08-04 | 食べ物

我が家で 寿司といえば この混ぜ寿司です。

ご飯に 混ぜる具は閑のときに 沢山作り 五合分の 酢飯に丁度よいくらいの量に小分けして冷凍しておきます。

具の中身は 椎茸 筍 お揚げ ごぼう えび を入れていますが その時期で 季節の物を入れます。  生姜と人参は 生を小さく刻み 甘酢に漬けておき 一緒に混ぜます。

酢も砂糖も塩も いつも目分量ですから いつも同じ味ではありません。

今日は 市販のいなり寿司用の揚げがあったので  半分はいなり寿司にしました。 コレなら 冷凍できるので 一人のとき便利です。

梅を漬けた 紫蘇がいい色になり 紅生姜の出番です。

ご飯は 出来ても「だれやめ」を欠かさないお人の為に やっぱり肴は準備しなくてはなりません。  亭主が 呑み助か下戸かで 女は臨機応変に 対処することになるようです。

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ペンケース

2012-08-03 | 趣味

先日 布を買ったお店に ペンケースのキットが 並んでいました。早速 説明書を 読みながら作りました。

出来上がりは 長さ30cm 深さ7cm 底幅6cmです。  

お財布を作るときと同じ 要領です。 

30cm 四方のキルト出来上がりを 角を丸くして 廻りをバイヤスでくるみ 30cmのファスナーをつけ 残りは巻きとじです。

少し大きめですから ペン 鉛筆 ボールペン ホッチキスと沢山 入りそうです。

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検 索

2012-08-02 | 思うこと

先日 庭の百日紅の写真を デジカメでパチリ。

そして パソコンに 取り込んだら  自分の知識を 確認するためと 忘れつつある記憶を戻すためと 失礼ながらパソコンを試して 検索しています。

百日紅を検索したとき 杉浦日向子さんの著書「百日紅」が 出てきました。 

そして連想ゲームのごとく 検索して 面白そうな本 二冊を アマゾンに注文しました。

このところ 時代小説にはまっています。 山本一力 藤沢周平 池波正太郎 と肩のこらない読み物は 眠れない夜の 友達です。

庶民が 助け合い 心寄せ合って暮らしていた あの時代は 今又 見なおされています。

一冊は そんな江戸時代の 庶民の生活の解説書 もう一冊は そんな細やかな江戸を愛していた 杉浦日向子さんの 日常の生活を 記した本です。

お父様が 和服のお店を しておられたようですが 道理で テレビでいつも素敵な和服姿でした。

NHKの「お江戸でござる] の最後で 江戸時代の 解説をしておられた 姿が 思い出されます。

46歳で 鬼籍になられたことは 本当に残念です。 

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