部屋の隅に読まずに置いてあった「評伝ヨーゼフ・ボイス」を引っ張り出して読む。
長い間ヨーゼフ・ボイスは頭に引っ掛かる、謎の人物だった。何年も前、美術館でヨーゼフ・ボイス展を見たときも、フェルトや蜜蝋や脂肪でできた異様な作品の数々のアウラに魅せられるとともに不気味さを感じた経験がある。
そのヨーゼフ・ボイスの作品世界が特異な彼の経験と研究の産物だとよくわかる一冊である。彼は幼少から自然科学に没頭し、動物の知性と役割について格別な関心があり、戦時中にクリミア半島に戦闘機で墜落して死にそうなときにタタール人が傷口に脂肪を塗り、フェルトで体を温めて介抱してくれた劇的な記憶があり、そういった全ての経験が繰り返し作品に登場することとなった。
また人智学のシュタイナーの社会有機体の三分節説(社会は政治・経済・精神生活から成るという説)や鉱物・植物・動物と天使や霊の間に人間を位置づける神秘学への関心、芸術は人間学でなくてはいけない、芸術的に人間を教育して初めて精神的で民主的な社会ができるという「社会芸術」「社会彫刻」の信念が異様な作品世界の背景に広がっていることも伝わる。
ヨーゼフ・ボイス自身が自覚しているように、彼は動物世界と交感するという意味でも、社会貢献に身を捧げるという意味でも、物質世界の変化の過程を知っているという意味でも、現代のシャーマンである。
何より自分の過去の特徴的な出来事を何かの啓示のようにとらえ、執拗に作品世界で反復する性格が、彼のアートを特異なものとしている。ひとつひとつの出来事が有機的な意味を持ち、決定的な瞬間として感じられる彼独特の感性が、次々と作品として結実する。
ひとりの人間とは蜜蜂の群れに等しいとか、自らの分身としてのうさぎへの親近感、など他人には理解できない部分があるけれども、ヨーゼフ・ボイスはそうした全ての発想を用いて個人の神話を生きた芸術家だと言える。渡米したときもコヨーテと生活するというアクションを行い、そのあとフェルトにくるまれて帰国したというエピソードなど憎めない。かなり自由に身近なものを裁断して作品世界に取り入れたヨーゼフ・ボイスだが、作品の素材の温もりに込められた思いはただならぬ深さだ。