超人日記・俳句

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<span itemprop="headline">ユングの「ヨブへの答え」を読む</span>

2010-02-16 15:37:23 | 無題

ユングの「ヨブへの答え」は、聖書の心理学的な読みときである。神と人の葛藤のドラマとも言える。
ヨブは神を畏れ敬う勤勉なまじめな人物だった。この人物にサタンが目をつける。ヨブは敬虔な男だと言われていますが本当にそうでしょうか、ひとつ試してみてください。この誘いに神は乗ってしまう。それ以来ヨブは数々の不幸に見舞われる。妻と子を失い、財産を失い、不治の病に掛かって灰の上をのたうち回る。このときになってヨブは、初めて旧約の神に異議申し立てを行う。あなたはなぜ、真面目に生きてきた私に不義を行うのですか。神はそのとき自分の被造物を見せて自分の力の絶大さを誇る。ヨブは口に手を当てて沈黙するしかなかった。というのが「ヨブ記」である。
嫉妬深く怒り易い旧約の神は、心理学的には、無意識の暴発した形と捉えなおすことができる。それまで誰も神の暴挙に対して旧約で異議申し立てをした人物はいなかった。神という無意識の暴発に対して、ヨブという小さな人間が、意識の立場から異議申し立てを行った。
ヨブの問いかけに対して、神の反省と応答が始まった。最初、神の反応は知恵文学という形で聖書に現れた。神は自分の剛直な頑なさを反省して、知恵という女性性で人間に答え始めた。次に聖書において、預言者たちの預言のなかでの神の子、人の子の登場が、神側からの反応として見られるようになる。
けれども「神は情け知らずで無慈悲ではないか」というヨブの問いかけへの決定的な答えがもたらされる。それは、神が自ら人間となってこの世に生れ出て、人間の苦しみ悲しみを自ら経験して天に帰る、そのことで怒れる神の愛の神への完全な変化が行われるというものだ。
つまり、神は不義で無慈悲ではないかというヨブの問いかけへの最終的な答えが、イエス・キリストの誕生と生涯と受難であるとユングはいう。イエスとして苦しみを経験してようやく神は人間の苦しみ、悲しみを実感しえたのである。このようにユングは聖書を神という無意識が反省的意識を獲得する過程ととらえて、怒れる神から優しい神の転換点をヨブ記に見たのである。卓抜な聖書の読み方で、神が成長するという視点が斬新である。心理学的には大きな足跡をこの書でユングは残した。
卓上のイコンに光る眼差しはヨブへの答えイエス・キリスト



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