本屋で色々取り寄せた。幻覚の歴史を綴るハンス・ペーター・デュルの「夢の時」、蜂蜜の神話と煙草の神話の関係を論じたレヴィ=ストロースの「蜜から灰へ」、ヘーゲルの「精神現象学」、バタイユの「エロティシズムの歴史」、ロシア未来派詩人の評伝の亀山郁夫氏の「甦るフレーブニコフ」などである。
亀山郁夫氏は岩波新書の「ロシアアヴァンギャルド」がよかったので購入した。その本でもフレーブニコフの説明のところでロマン・ヤコブソンの詩の原理とは隠れていた選択肢を並べて見せることだという説やトゥイニャーノフの詩の原理とは偶然的なものを芸術の中心に置くことだという説などが紹介されていて大いに触発された。「甦るフレーブニコフ」では詩人の心の故郷アストラハンが東西の交流点であり、古来アジア人や中東人が多く住むところであり、葦の多い水の都であり、それをフレーブニコフは未来の理想都市の原郷として何度も取り上げている点が語られる。葦については「湖の岸の時―葦、そこは石が時であり、時が石であり(「湖の岸の」)」と歌われており、水連については「亜麻色のおさげのスラブ乙女は、水連の花びらを摘みとりながら、ツォンカパの至言を、清き露とかきまぜるのだ(「ラドミール」)」などと美しく歌い上げられている。この「ラドミール」こそ、1920年5月、フレーブニコフが初めて十月革命に正面から取り組み、革命との強い連帯意識のなかで、来るべき未来派のユートピア像を提示した作品だった。「あれは創侶たちが練っていくのだ。労働世界の旗竿を掲げた調和世界の僧侶たちが。あれはラージンの叛乱がネフスキーの夜空まで飛んできて、ロバチェフスキーの設計図も空間も奪い取ろうとするのだ」と歌われる「ラドミール」は労働と科学の融合、労働者の生の変容として好意的に批評家に受け止められた。この「ラドミール」は「チョークではなく愛で未来の設計図を描け。かくして運命は枕辺に降り立ち、ライ麦の賢き穂を傾けることだろう」で締めくくられる。そのあとイランに旅してざくろの赤い花に黄金時代を夢みたフレーブニコフは、革命の成就と自分の命の短さを秤にかける。全人類の歴史の数学的体系化を企てた「時間の法則」の探究、言葉の断片で実験を繰り広げた「超小説」群などを残して三十七歳で1922年にフレーブニコフは逝った。その未来派的な語法は早すぎた預言者の異次元のポエジーを今に伝えている。